閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2021/11/23 平原演劇祭2021第13部「二兎物語c/w川尻しのぶ伝」

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平原演劇祭2021第13部「二兎物語c/w川尻しのぶ伝」
時 11/23(火祝)16:30-19:00
於 浅川ふれあい橋(京王・多摩モノレール高幡不動駅北口徒歩10分)
銭 1000円+投げ銭
出演 千賀利緒、栗栖のあ、池田淑乃、尾崎勇人、西岡サヤ、橘朱里、たかはらさくら

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すでに二年近く続く新型コロナの感染拡大への警戒のもと、非演劇的場所に潜在する演劇性を引き出し、土地と結びついたドラマを作り続けてきた平原演劇祭は、これまでのノウハウの蓄積を生かし、むしろその活動はこの二年、さらに活発化しているように見える。公演の数も今年は月に一本以上のハイペースで、すでに13回である。年末にはさらに二つの公演が予告されている。平原演劇祭の観劇記録をある種の使命だと思っている私だが、今年は見落とした公演がけっこうあった。

今回の会場となった浅川ふれあい橋は、平原演劇祭にとってははじめての上演会場だった。橋の周りの風景の雰囲気は、春の平原演劇祭公演で会場になることが多い是政橋とよく似ているが、浅川ふれあい橋は歩行者専用で上演開始時刻前後には、散策を楽しむ近所の人たちの往来がかなり合った。こののどかな橋の上と下に、平原演劇祭は非日常の異世界を強引に出現させる。

最初は平原演劇祭特有のジャンル、JOJO劇「川尻しのぶ伝」が橋の入り口ではじまった。観客の数は30名ほどだったように思う。

最初は出演者全員による「もしも明日が晴れならば」の斉唱からはじまる。自分自身が子供頃聞いた懐かしい曲で、70年代の青春ドラマっぽいい曲だなと思ったが、誰の曲だったのか思い出せない。家に帰って調べると「欽ちゃんのドンとやってみよう」のわらべのヒット曲だった。

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平原演劇祭でJOJO劇は定番もののシリーズなのだが、私はJOJOをまともに読んだことがない。子供がJOJOのファンなので、家に単行本はそろっているのだけど、私は老眼が進んだこともあって、あのような情報量の多い密度の高いマンガを読むのがおっくうなのだ。JOJO劇は原作を読んでいないと何が起こっているのかさっぱりわからない。平原のJOJO劇は若い俳優が暴れ回るはちゃめちゃで何が展開しているのか理解できなくても面白いのだけれど、今回は事前に予習しておくことにした。

「川尻しのぶ」伝とあったが、最初は「じゃんけん小僧」のエピソードだった。始まった時間は日の入り前で明るく、橋には平原演劇祭の観客ではない地元の人たちもたくさんいた。そんなことはおかまいなく、平原演劇祭は町の人たちの日常に切り込んでいく。橋の上を駆け抜けるダイナミックな芝居で、奇矯な格好の人間が声を張り上げているのだから、当然、通りがかりの人たちも何事かと足を止める。特にこどもたちは興味深そうに見入っていた。

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JOJOの原作を読むと、エキセントリックで超人的なキャラクターが大量に出てきて、「スタンド」で暴れ回るこのマンガを演劇で再現しようとすること自体が無謀に思える。しかしこうした無謀をあえてやってしまうのが平原演劇祭のいいところ。低予算で手作り感に満ちた平原演劇祭で無理矢理やるからこそ、逆説的にJOJO劇がリアルで説得力のあるものになる。「ごっこ」遊びを行き過ぎになるまで徹底的にやったときの面白さがある。俳優の芝居のJOJO再現度のレベルの高さに笑った。実は全然マンガのキャラクターには姿形は似てないのだけれど、あの人物としか思えないような無理矢理リアリズムを勢いで実現させている。

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「じゃんけん小僧」の巻は橋の上で展開し、このエピソードが終わるころには日はすっかり落ちて、あたりは暗くなっていた。上演場所は橋の下に移動し、背の高い雑草が生い茂る河原で「川尻しのぶ」伝が始まる。倦怠の主婦、川尻しのぶを演じた池田淑乃のちょっとしどけなさのある色っぽさ、美しさが、非常によかった。まさに私がマンガを読んで思い浮かべた川尻しのぶのキャラクター・イメージが池田に完璧に再現されていた。何の違和感もない。マンガの場面の再現度から言うと、開演15分前に突然出演が決まった大家役の俳優の芝居も素晴らしかった。原作マンガを片手に持ちながら、取り立ての場面を、ねっとりとした嫌らしい口調で演じる。これは素人ではないなと思ったのだが、あとで聞くと名古屋の優しい劇団の所属俳優とのこと。大学受験で上京したついでにやってきたそうだ。吉良吉影役の尾崎優人と猫草を演じた平原演劇祭の常連俳優となった西岡さやは、原作のキャラクターとは似ても似つかないのだが、身体を張ったエネルギッシュな芝居で観客をファンタジーのなかに引きずり込んでいた。

橋の下演劇となるとあたりは暗闇となり、照明は観客が俳優たちを照らし出す懐中電灯頼りとなる。この懐中電灯による照明も幻想的な空間を作り出していた。「川尻しのぶ伝」が終わった後は、対岸の河原に移動し『二兎物語』が始まった。

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これはサン・テグジュペリの『夜間飛行』(もしかすると『南方郵便機』も入っていたかも)とワイルドの『幸福な王子』の二編の場面をコラージュして再構成したモノローグ劇で、二人の若い女優が演じた。

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石がゴロゴロしている河原を歩き回る芝居だった。『幸福な王子』を演じる女優がこのゴロゴロ石の河原を何回か疾走するので、躓いて転んだりしないかはらはらした。照明は観客の懐中電灯と橋の上の街灯頼りなので、足下はよく見えないところが多い。後半の上演中は、私は寒さと頻繁な移動を伴う立ち通しで疲労していて、集中力を欠いた状態での観劇となっていた。サン・テグジュペリの『夜間飛行』は観劇前に予習して読んでいたのだが、丁寧で静謐な描写は見事ではあるけれど、楽しんで読めたという感じではなかった。

劇の最後のほうに出演者が一人一人、旗を持って登場し、それぞれが「名乗り」をおこなった。

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自己紹介のあと、自由に所感を述べる。いかにも平原演劇祭っぽい趣向だ。栗栖のあがしゃれでなく本気で「あらゆる人をキリスト教徒にしたいっ」と力強く宣言していたのがおかしかった。場違いなことを計算しつつ、すごく真面目に言っているのが伝わってくるので、そのエネルギーの裏返り加減が面白い。そして締めも斉唱、「もしも明日が晴れならば」。すがすがしく、感動的な気分に持って行かれてしまう。

平原演劇祭にはノスタルジーがある。どこか小中学校のころ、クラスの行事でやっていたお楽しみ会を連想させるところも。あのときの遊びを大人になってもずっとやり続け、発展させていくと平原演劇祭のようなものになっていくような。