新年明けましておめでとうございます。
昨年見た舞台作品は70作品でした。45作品だった一昨年よりは観劇数は増えましたが、新型コロナ以前は年間に100本ぐらい見ていました。新型コロナ感染拡大に対する対策のもととはいえ、多くの公演が中止を余儀なくされた一昨年とは異なり、昨年は東京では公演は行われていましたので、昨年観劇数が伸びなかったのは私の側の問題です。これについては後で書きます。
今年見た70作品から最も印象度の高い作品を10作品選ぶと以下のようになります。
- ゴキブリコンビナート『肛門からエクトプラズム』@ 川口市某所(2021/12/04)
- 虹企画/グループしゅら 『じょるじゅ・だんだん』@虹企画ミニミニシアター(2021/12/03 )
- SPAC『夢と錯乱』@楕円堂(2021/12/12)
- 劇団昴『堰 The Weir』@Pit昴 サイスタジオ大山(2021/09/14)
- 赤門塾演劇祭 『父と暮らせば 』@赤門塾(2021/03/27)
- 劇団サム『覚えてないで』@練馬区立生涯学習センター(2021/04/11)
- 劇団唐組 『少女都市からの呼び声』@下北沢駅前劇場(2021/01/21 )
- 劇団前進座『一万石の恋』新国立劇場中劇場(2021/10/10)
- iaku 『逢いにいくの、雨だけど』@三鷹市芸術文化センター(2021/04/21 )
- 『子午線の祀り』@世田谷パブリックシアター(2021/03/22)
番外:劇団一級河川『孤独を旅する短編演劇集』(亀尾佳宏 作・演出)@配信(2021/04/18)
各作品について一言ずつコメントしておきます。
ゴキブリコンビナートの本公演は二年半ぶりだったそうです。ゴキコン・ファンとしては待望の本公演でした。上演会場は予約者にのみメールで連絡がありました。埼玉県川口市内の殺風景な工場地域にある倉庫のような建物でした。ゴキコンがここで公演を行うことは私が知る限りこれが初めてです。性欲に翻弄される人間のおぞましさと滑稽さを、身も蓋もない率直さと独創的で過激な表現で示すゴキコンの舞台にはこれまで失望させられたことは一度もありません。ゴキコンは常に観客の期待に応え、そしてそれを超えた見世物を見せてくれます。今回は6メートルほどの高さのある櫓を会場内組み、高さを利用したダイナミックな演出でした。最初のほうで俳優の頭から激しい流血があるといういかにもゴキコンっぽい感じで、会場の興奮も一気に盛り上がりました(頭部流血俳優はその後、ガムテープを頭にぐるぐる巻きにして再登場しました)。グロテスクな着ぐるみや会場内を狂走する山車、そして本物のアルパカの登場など、観客を喜ばせる仕掛けが満載の実に楽しい芝居でした。ゴキコンはミュージカルなので、多くの楽曲が公演中に歌われます。表現のえげつなさにかき消されてしまいがちですが、その音楽は実は名曲揃いです。90分間の比較的短い時間の公演ですが、最初から最後までフルスロットルで突っ走る爽快な舞台でした。インパクトという点では、昨年私が見た芝居のなかではダントツでナンバーワンです。
虹企画/グループしゅら は、96歳の演劇人、三條三輪さんが主宰する団体です。昨年、板橋演劇センターのシェクスピア作『終わりよければすべてよし』の公演で、私は三條三輪さんを知りました。高齢にもかかわらず、明晰な台詞回しで準主役と言っていいロシリオン伯爵夫人をプロンプターなしで演じきった様子や、当日パンフに初舞台の演出が土方与志ということを知り、私は彼女に関心を持ち、5月に彼女が主宰する虹企画/グループしゅらによる『地獄のオルフェウス』の舞台も見にいきました。上演時間が二時間を超える舞台でしたが、この作品でも彼女は主役級のレイディを演じていました。
10月に成蹊大学の日比野啓氏が研究代表者の科研基盤(B)「戦後演劇史の再構築:オーラル・ヒストリーからのアプローチ」の取材で、三條三輪にインタビューをする機会を得ました。そこで事実婚を選択した女医の母親と編集者の父親のもとに生まれ、リベラルな左翼ブルジョワの家庭環境で育ち、女医と俳優の二本立ての人生を歩んできた彼女の女優人生について話をうかがいました。虹企画/グループしゅらは、三條三輪さんと彼女のパートナーである跡見梵さんによる演劇ユニットで、その活動1970年代から続いていいます。公演のレビューについては以下のブログの記事に記しています。虹企画/グループしゅらのモリエール劇『じょるじゅ・だんだん』は、完成度という観点からは高く評価できる舞台とは言えません。しかし大胆な翻案や今日の感覚ではオーバーに感じられる演技演出、そしてメルヘン的な味わいのある素朴な舞台美術には、70年以上のキャリアを持つ演劇人のモリエールに対する深い理解と愛が感じられるものでした。モリエールのファルスの本質的な部分がくみ取られた楽しい舞台でした。そして舞台上の三條三輪さんの姿に、生の充実と演劇活動がシンクロしていることに大きな感動を覚えずにはいられませんでした。
SPAC『夢と錯乱』は、美加理が一人で演じる20世紀初頭のオーストリアの表現主事の詩人、トラークル(1887-1914)のテクストの朗読パフォーマンスでした。この作品は二年前になくなったクロード・レジ(1923−2019)の最後の演出作品であり、2018年に今回と同じ舞台芸術公演の楕円堂でも上演されています。
美加理は持てる表現技法を十全に駆使して、死ぬ瞬間にはじけ散る想念のかけらのようなトラークルの言葉を丁寧に拾い上げ、それを演劇的に表現してきました。楕円堂の高い木組みの天上の骨組みは、ゴティック様式のカテドラルの天上を連想させる崇高な空間となり、荘厳な宗教的儀式に立ち会っているような雰囲気でした。演出家の宮城聰と女優の美加理は、レジへの深いリスペクトを示しつつ、レジの深遠さに彼らの表現によって到達するすばらしいオマージュとなっていました。
赤門塾演劇祭の大人の部の公演は2年ぶりの開催でした。新型コロナ感染対策のため、観劇は定員を設けた予約制、少人数キャストで演じられるものということで、井上ひさしの『父と暮らせば』が上演演目となりました。この作品は映画や舞台で何回か見ていますが、『父と暮らせば』は、無名の俳優によって、このような小さな空間で見るほうがより味わいが深く、胸に迫るものがあるように赤門塾演劇祭の公演を見て思いました。
劇団サムは石神井東中学演劇部のOB・OGによる劇団です。本来は1月に第6回公演が予定されていたのですが、新型コロナによる緊急事態宣言発令によって公演の中止が余儀なくされました。4月の公演は、1月公演の中止の後、急遽あらたな演目とキャストで行うことなった番外篇の公演でした。劇団サムは中学演劇のエートスをひきついだまま、高校生、大学生、社会人になった人たちが上演を続ける演劇団体です。中学演劇は彼らにとってノスタルジックなユートピアのようなのかもしれません。元演劇部顧問で、劇団主宰の田代卓さんはそして今も「先生」の役割を引き受けています。劇団サムの公演を見て感動的なのは、出演者のすがたに(そして裏方のスタッフも)演劇によって自己表現することの切実な欲求と喜びを、舞台から感じ取ることができることです。
劇団昴『堰 The Weir』は、アイルランドの劇作家コナー・マクフィアソンの作品ということで食指が動き、見にいきました。アイルランドの田舎町のパブが舞台の居酒屋演劇でした。パブの常連たちがだらだらとお話をして時間を潰すという動きのない語り芝居なのdせうが、そのバーでのグダグダの語りが見事に演劇になってしまう脚本の素晴らしさに感嘆しました。とりとめのない語りの仕掛けのなかで登場人物のかかえるさまざまな思いが浮かび上がってきました。芝居が提示する物語の奥行きと滋味の深さに満たされた感じがしました。
劇団唐組といえば野外のテント芝居ですが、 『少女都市からの呼び声』は1月7日発令された緊急事態宣言期間中に下北沢駅前劇場でひっそりと上演されました。新型コロナによる社会の閉塞感と寒くて暗い冬の夜での上演という状況とあいまって、唐十郎のノスタルジックでデタラメな夢の世界にいっそう深く浸ることができたように思いました。美仁音がとてもよかったです。彼女の身体にくすんだ色合いの夢の甘美と狂気が凝縮されていました。
劇団前進座『一万石の恋』は、落語「妾馬」に基づく山田洋次作の翻案劇です。絶妙の呼吸で軽快に、テンポ良く進むカラッと乾いた喜劇で、前進座ならではのアンサンブルの心地よさを楽しむことができました。こういう人情噺喜劇をここまできっちり上演できる劇団は前進座しかないと思います。もっと多くの人に前進座の舞台を見に来て欲しいものです。
iaku 『逢いにいくの、雨だけど』は、再演の舞台でした。この作品は横山拓也の戯曲のなかで私が最も好きな作品の1つです。再演で完成度が高まり、感情のゆれ、矛盾、心理のニュアンスが丁寧に表現された、さらに隙のない緻密な舞台になっていました。
世田谷パブリックシアター『子午線の祀り』。新型コロナ対策によりキャストを絞り、上演時間も休憩25分を含めて3時間10分と圧縮されたバージョンの上演でした。凝縮されたことで、展開が引き締まり、全編退屈することなく見られてよかったですが、各人物の活躍の場が端折られていて物足りなさもありました。
番外としている劇団一級河川『孤独を旅する短編演劇集』は、劇場ではなく、配信で見た演劇です。劇団一級河川は、2010年以降毎年上演を行っている島根県の雲南市民演劇の参加者によって結成された劇団で、作・演出の亀尾佳宏さんはこの市民演劇がはじまった当初から関わっています。また亀尾佳宏さんは高校演劇の全国大会の常連である島根県立三刀屋高校演劇部の指導者としても知られています。『孤独を旅する短編演劇集』は新型コロナ対策のため、わずか20名の観客を前に上演されました。三篇の短編戯曲のオムニバスですが、とりわけ太宰治『葉桜と魔笛』の翻案劇は印象的な作品でした。静謐ではかなくて、透明感のある美しさと緊張感に満ちた舞台でした。
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