閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2022/02/23 平原演劇祭2022第4部 #演劇前夜 田宮虎彦『落城』@多摩センター旧富澤家

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画:高野竜「黒菅全図」

 昨年から平原演劇祭のリーディング公演、#演劇前夜で高野竜が取りあげているのが、田宮虎彦(1911-88)の幕末に幕府側についた架空の藩、黒菅藩を題材とする連作小説だ。田宮虎彦は現代ではほぼ忘れられた作家だと言ってもいいだろう。私は名前をどこかで見たことがあるくらいで、田宮虎彦の小説を読んだことはなかった。幕末の佐幕派・尊皇派の戦いについて扱った文芸作品、ドラマ、映画は数多いが、私は個人的にはこれまでこの題材にはまったく興味を持てなかった。二年ほど前に、別の読書会で吉村昭の『天狗争乱』を読まなければならなかったことがあったのだが、とにかく読み通すのが苦痛でならなかった。

 田宮虎彦の黒菅藩の連作も、平原演劇祭で高野竜が取りあげなかったら私はまず手にすることはなかったはずだ。正直、高野がなぜ、今、田宮虎彦の黒菅藩シリーズの読みに執着しているのか私にはわからないし、各回の公演場所の選定(これは平原演劇祭にとって極めて重要な要素だ)の理由もわからないことが多い(昨年9月の炎天下の板橋区赤塚-高島平とか)。高野の作品と上演場所の選定には、当然何らかの意味(高野にとってこうではならないというような必然的な)があるが、高野はあまりこうしたことを説明しない。何年か後に「ああ、こういうことだったのか」とはっとその理由に気づくような気がしている。

 

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 今回は黒菅藩の居城が新政府軍の大軍に攻め落とされる場面を扱った黒菅もののクライマックスといっていい作品、「落城」のリーディング公演だった。今回の公演場所は,多摩センターの公園内に復元移築された築200年以上の旧富澤家住宅だった。この辺りの村の名主を代々務めたという富澤家の旧住居は、歴史の風格と貫禄を感じさせる堂々たる日本家屋であり、「落城」の朗読に格好の場所に見えた。また幕末から明治にかけての富澤家当主、富澤政恕は新撰組と関わりがあり、近藤勇を支援していた人物らしいので、最後まで幕府側にあり、新政府軍によって滅ぼされた黒菅藩の物語と関わりがあるとも言える。

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 今回はさすがにゲリラ公演ではなかった。この旧富澤家の奥は5名以上の団体なら利用可能なのだ。ウェブページを見てみると、市内団体だったら一時間730円と格安だ。ただし暖房設備はないので寒い。寒さについては事前に注意喚起があった。確かにすき間が多く、風が吹き抜ける日本家屋は寒かったが、昨日は天気がよかったため、がまんできないほどではなかった。

 

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 観客は7名だった。リーディング公演#演劇前夜は、特に田宮虎彦シリーズは高野竜さんが一人で読むだけのことが多く、作品の地味さと公演のしかけ自体の地味さのせいで、平原演劇祭のなかでも集客が悪い。私が昨年行ったときには観客二人というのが二回あった。7名集まった今回は盛況と言えよう。

 黒菅藩シリーズは、齢80を超える藩の重鎮の老老中、陸奥の視点からの語りが多い。「落城」もそうだ。陸奥は理知的で倫理的な人間だ。さらに経験豊かな老人でもあるので、文体も熱く盛り上がることはなく、淡々と事実を受け止め、ブツブツと小声でつぶやき続けているような感じだ。

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 高野竜の朗読は独特の味わいとリズムのよさがあって、聞き入ってしまう魅力があるのだが、昨年末の崖空の転落事故で脳挫傷を負って以来、高野の記憶と滑舌に問題があるようだったため、今回は前もって「落城」を読んでおいた。昨年9月の「菊の寿命」を聞いたとき、今ひとつ小説の状況がよくわからなかったという反省もあった。予習していた上、高野が黒菅藩全図を作成し、小説に出てくる地名や人物を書き記してあったので、今回は語りの内容はほぼ完全に理解できた。

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 黒菅藩は田宮虎彦が作った架空の藩で、藩内の地名も架空のものだが、小説の地形描写から現在の岩手県遠野市を地理的なモデルとして使っていることがわかる。「落城」では、山に囲まれた盆地の東、南、西の峠から新政府軍が侵入し、本城に迫る様子が乾いた文体で時系列に語られる。

 手元にある昭和31年(1956)年刊行の新潮文庫版だと50頁の中編だ。高野はこれを三幕に分けて朗読した。各幕のあいだに2回休憩をはさみ、公演開始は14時、終了は15時55分だった。

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 脳挫傷の後遺症で右目の開閉がうまくいかないとかで、朗読を始めるにあたって高野は自家製の眼帯をつけた。時折、譜面台に吊してある鈴を鳴らす。稽古中に滑舌がよくなかった箇所は徹底的に練習して克服したという。訥々とした読み方だったが発声はほぼ問題ない。小説の文体にむしろ合った読み方に思えた。旧富澤家は一般開放されているが、多摩センター公園の奥まったこの場所に訪れる人はあまりいないようだ。あたりは静かで、高野の朗読の声、そしてときおりカラスの鳴き声だけが聞こえる。

 黒菅藩老中の陸奥は、絶望と諦念のなか、着々と進行する絶望的な状況を受け止め、誇りある死と破滅への準備をとりみだすことなく進めていく。いよいよ新政府軍が城中に迫る直前の場面なると、それまでずっと座ったまま読んでいた高野竜は、立ち上がり、動き回りながら読みを進めた。

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 確実な死が目前となった状況で、黒菅藩の城内で男女は互いを求め、交わり合う。陸奥の小姓の長十郎とひ孫のゆきも抱き合っていた。その様子を陸奥は黙って見守る。淡々とした筆致で記述されてきた「落城」だが、この城内の様子の描写は圧巻だ。その後、城内の人々はは次々と自刃していく。そのさまもすさまじい。

 

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 最後に高野竜は懐から鐘を取り出し、全滅した黒菅藩の魂を慰霊するかのように、その鐘の音色を響かせた。

 「落城」で田宮虎彦の黒菅藩ものは完結かと思えば、まだ数編あるらしい。平原演劇祭の#演劇前夜、#黒菅紀行はまだ続く。

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