閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2022/08/02 島根県立三刀屋高等学校『永井隆物語』@なかのZERO

とうきょう総文2002の演劇部門で島根県立三刀屋高校の『永井隆物語』と茨城県立日立第一高等学校の『なぜ茨城は魅力度ランキング最下位なのか?』の2本を見た。
 
高校演劇を見るのは5年ぶりくらいになる。2年間ほどだが東京都の大会を中心に熱心に見ていた時期があった。思春期後期の年代の人間しかリアリティを持てない劇的表現というのはあるし、劇の内容やスタイルはバラエティに富んでいる、そして大会優秀校レベルになると演出の工夫や俳優としての練度も相当なもので見応えがある。しかもおおむね無料で見られる。しかし高校演劇にはまり込んでしまうと、自分にとってより優先度の高い他のスペクタクルを見る時間が浸食されてしまうように思い距離を取ったのだ。
 
『永井隆物語』は昨年、雲南創作市民劇のために三刀屋高校演劇分元顧問の亀尾佳宏が書き下ろした作品だ。昨年4月下旬にこの公演を見るために公演会場の雲南市のチェリヴァホールまで行ったのだが、公演当日、出雲空港に到着してレンタカーで会場に向かう途中で、新型コロナ感染拡大の懸念から無観客上演となったという連絡が入った。東京からこの作品を見るために島根にやってきたのでなんとか見ることはできないかと交渉したのだがかなわず、結局チェリヴァホールの館長にインタビューだけして東京に戻った。チェリヴァホールの館長からは、雲南創作市民劇だけでなく、この地域の他のユニークな市民演劇活動についての情報も得ることができたのだけれど、結局、科研費のグループでやっている地域市民演劇研究の調査対象からは外れてしまった。
 
雲南に行った一ヶ月後に雲南創作市民劇の『永井隆物語』は期間限定で映像配信されたものを見ることができた。永井隆はカトリックの反戦平和主義者としてよく知られた人物だ。といっても私はこの劇を通してこの人物を知ったのだけれど。島根県出身で、永井の父が開業していた病院は、チェリヴァホールの近くにあった。永井隆は長崎医科大学を卒業後、大学病院で放射線医療に携わるようになる。長崎への原爆投下で自身が被爆し負傷しただけでなく、妻を失う。戦後はカトリックの平和運動家として活動し、『この子を残して』、『長崎の鐘』などのエッセイを残し、これらのエッセイはベストセラーとなった。1951年に43歳で白血病で死去する。
 
亀尾佳宏作・演出の『永井隆物語』では、永井が反戦平和活動家として知られるようになる以前、原爆投下による妻の死までが描かれている。劇中で強調される「愛」は、永井の場合、実際には彼が説く愛はキリスト教的な「隣人愛」を指していたようだが、『永井隆物語』ではそれはむしろ彼を信仰に導き、彼を支えた妻、緑への情愛、そして残された二人の子供たちへの家族愛へと、おそらく意識的にずらされている。
三刀屋高校版では、創作市民劇よりも上演時間が短いため(高校演劇では50分。おそらく創作市民劇はその倍くらいの長さがあったように思う)、永井隆の前半生のエピソードのいくつかがはしょられていたが、群読や語りを効果的に用いることで、テンポよく永井隆の生涯のエピソードが次々と提示されていた。木の骨組みを使った簡素な美術や多彩な照明効果によって象徴的にエピソードが浮かび上がる工夫も見事だった。しかし圧巻だったのは原爆投下直後の場面だ。コントロールされた俳優の演技と語り、理知的で象徴的な演出による洗練は、感情の爆発、叫びにへと行き着く。戦争・原爆という圧倒的な暴力の理不尽に打ちひしがれる人間たちの描写には、腹に力が入り、背筋が伸びた。そして突然の悲劇のなか、原爆で死んだ母を思い、缶詰のももを分け合い食べる父子三人の場面の痛切さに心揺さぶられる。「泣かせ」の仕掛けはあからさまであざとさはあるのだけれど、そのあざさとさが気にならなくなるような荘厳さがあった。
原爆投下の直前、8月のこの時期にこの作品を見ることができたのもよかった。
総文の全国大会は各地方ブロックでの予選を勝ち抜いた12校の演劇部による「甲子園」のような大会だ。この演劇の祭典での舞台上演にかける高校生たちの高揚感と緊張感は、舞台のみならず観客や会場スタッフから伝わってきて、舞台の感動はさらに大きなものなった。
会場の中野ZEROは演劇の上演を行うには反響が大きすぎて、台詞を観客に届けるのが大変そうだったが、三刀屋高校の公演では比較的明瞭に言葉が聞こえていた。twitterでは他の高校演劇部は台詞を届けるのにかなり苦戦してようだ。
 
私は総文演劇の部の最後の日に上演された2校の公演しか見ることが出来なかった。三刀屋高校『永井隆物語』は完成度の高い素晴らしい作品だと思ったのだけれど、最優秀賞、優秀賞を獲得することができなかった。これにはびっくり。高校演劇特有の審査員の評価のポイントがあるのだろうが、この完成度を凌駕する作品がいくつもあったとは。最優秀校と優秀校については今月末に国立劇場でまた上演が見られるようだが、スケジュールが合うなら見ておきたい。