閑人手帖

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2022/08/07 平原演劇祭2022第14部「#沙汰踏切」

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平原演劇祭2022第14部 #沙汰踏切 ゲリラ公演

  • 日時:2022/8/7 10:30-14:30

  • 出演:青木祥子、小林敬劇団小林組)、中沢寒天、高野竜

  • 演目:田宮虎彦「落人」「足摺岬」ほか

  • 場所:東武スカイツリーライン姫宮駅付近、宮代町郷土資料館旧加藤家住宅

  • 投げ銭+クラウドファウンディング

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 7/19の平原演劇祭2022第13部「#カレー市民」で昏倒して以来、主宰の高野竜の体調がなかなか快復に向かわず、今日の公演はあるのかないのか数日前までわからなかった。体力、脳力ともにひどく衰弱している様子だったので中止になるのではないかと思っていたのだが、ギリギリで快復したらしい。今日、ゲリラ的に(つまり事前許可なしに)公演を行うことはかなり前から度々twitterで告知は出ていたもののの、公演会場として予定していた場所が使えなくなっていたりしたようで、前日に集合場所や上演時間が変更になった。先月の高野竜の状態を思うと、今日、公演をやれたのは奇跡みたいに思える。

 今日の公演は三部構成になっていた。第一部は10時半に東武スカイツリーライン姫宮駅に集合し、その近所の某所でとある演目をゲリラ公演。第二部は行軍演劇で第一部の会場から第三部会場の宮代町郷土資料館旧加藤家住宅まで、田圃のあぜ道を歩きながらの「落人」の朗読、第三部は平原演劇祭のホームグラウンドの一つといっていい宮代町郷土資料館旧加藤家住宅での「足摺岬」の朗読である。宮代町郷土資料館旧加藤家住宅での「足摺岬」は宮代町のコミュニティペーパーでも告知が出ていたようだ。

 

 午前10時半に姫宮駅に集まった観客は5名ほどだった。第一部の公演会場に向かう前に、高野竜から「今回の公演は事前に許可を取っていないゲリラ公演なので、クレームが入る可能性があります。観客はなるべく観客らしくなくしてください。廃れていた芸能の復活の調査にきたとか、何となくこころへんに散歩しにやってきたみたいな感じでいてください」というような内容の注意が入る。

 駅から公演会場までぞろぞろ歩く。終わってしまったので会場の名前を出してしまっても問題ないだろうか? 第一部の公演会場は駅から10分ほど歩いたところにある姫宮神社だった。桓武天皇の孫の宮目姫がこの場所にやってきて、紅葉の美しさに見とれて、突然死したという伝承があるとのこと。しかし今回の公演演目はこのエピソードとは何の関わりもないものだった。

 姫宮神社の境内の奥、本殿の隣に芝生の広場がある。そこが公演会場となっていて、出演者の青木祥子と小林敬がスタンバイしていた。小林敬は平原演劇祭に初参加だ。終演後に話しを聞くと、小林は鎌倉で演劇活動を行う俳優で、2021年3月の「#埋設演劇」で俳優たちが地面に埋まっている写真を見て、平原演劇祭に参加したいと思ったそうだ。「ぼのぼのさんの撮った公演写真を見て、自分も埋設されたい、水没したいと思って」と小林は言っていた。

  第一部公演は11時に始まった。演目は伏せられていたが書いてしまっていいのだろうか? 不条理コントで知られる劇作家の死体と踏切が出てくる話だ。最初は若い女性(青木)が足の部分が飛び出たバラバラ死体が入っているらしい風呂敷包みを重そうに引きずって出てくる。先に進もうとすると踏切で遮られる。そこに結婚式帰りのサラリーマン風の男がやってきて、やはり踏切で足止め。女性が引きずっているのは彼女の愛人の死体であり、しかもそれは男の知己であったことが判明する。

 姫宮神社は東武線の線路の踏切のそばにある。姫宮駅周辺はがらんとした田舎町だが、そのわりには東武スカイツリーラインにはやたらと電車が走っている。踏切がかなりひっきりなしに鳴るのだ。ただ神社は木で囲まれていて踏切は見えない。当初は別の踏切のすぐそばの場所でやる予定だったみたいだ。ただ境内の芝生と木々の緑と俳優の白い服装のコントラストが視覚的に美しかったし、神社での無理矢理奉納芝居みたいなやり方は、作品の不条理感とよくマッチしていたように思う。高野竜は公演場所の選定だけを行い、演出は二人の俳優たちのアイディアによるもののようだ。上演場所は特殊であるが、別○○の芝居の上演としてはとてもオーソドックスなスタイルの公演を見ることができた。上演時間は40分ほどだった。

 第二部の「落人」(田宮虎彦作)の朗読は行軍演劇だった。これは高野竜の一人語りだ。正午に公演がはじまった。姫宮神社を起点に田圃のあぜ道を歩きながら、「落人」の朗読を行う。

 「落人」の朗読を聞くのは私はこれが二回目となる。ときは幕末、佐幕派の藩、黒菅藩の滅亡を描くシリーズの一つなのだが、薩長軍への降伏に強硬に反対し、黒菅藩を滅亡させた主犯といっていい山崎剛太郎の逃亡を描く話しだ。高野は40分ぐらいで読み終えることができる長さの作品だが、行軍しながら読んでいないので、もしかするともう少し時間がかかるかもしれないと言っていた。

 天候は最初は薄曇りだったが、歩いているうちに段々日差しがきつくなってきた。気音があがってきて、日陰がほとんどない、しかもじめじめと蒸し暑いあぜ道を歩くのはかなり大変だった。高野の歩みがゆっくりなので助かった。読み手が夏水だったら早足で歩いて、体力のないおっさん観客は振り落とされそうになったことだろう。田圃のあぜ道は、「落人」で描かれる山崎剛太郎の逃亡生活の厳しさを肉体的に連想させるところはあるけれど、「落人」の季節は極寒の冬なのに対して、こちらの季節は真夏だ。どっちもきついことには変わりはないが。姫宮神社から第三部の会場の宮代町郷土資料館旧加藤家住宅までは普通に歩くと800メートルほどであることを先ほどGoogleマップで知ったが、田圃のあぜ道で遠回りしたため、約一時間かけて到着。高野も私も暑さでかなりバテバテになっていた。

 第三部開演予告時間は13時だったが、行軍演劇が予定以上に時間を取ってしまったので、10分押しで始まった。第三部は田宮虎彦の現代物で、田宮の代表作とされる「足摺岬」の朗読だ。朗読するのは平原演劇祭に久々の登場となる中沢寒天だ。

 

 築200年以上という旧家当家住宅の縁側にちょこんと座る寒天は小学生の男の子のようで実に可愛らしい。観客は縁側の前に設置されたパイプ椅子に座る。日よけ付きなのがありがたい。年の若い中沢にとって「足摺岬」はかなりとっつきにくいテキストだと思うが、明瞭で安定した読みっぷりだった。ただ私は寝不足とその前の行軍演劇でバテていて、けっこうもうろうとした状態で聞いていた。朗読時間は一時間弱だったように思う。「足摺岬」の最後のほうで、旅先で病に倒れた主人公の世話をした遍路が黒菅藩の生き残りであったことが明らかになったところで、はっと目が覚める。高野がこの数年取り組んできた田宮虎彦の偽歴史小説である黒菅藩ものと暗い青春時代を描く自伝的貧学生シリーズが「足摺岬」で結びつくのだ。かつては人気作家だった田宮虎彦の読者や研究者は少なくないだろうが、高野竜のようなスタイルで、すなわち朗読公演を通じ身体的・空間的に田宮虎彦の文学世界に向き合ってきた人間はいないだろう。私には田宮虎彦の面白さは実はまだよくわかっていない。高野竜が田宮虎彦作品の通読を通して何を読み取り、何を目指していたのかについても。