閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2022/09/10, 24 劇団サム『楽屋』『スモーキーな放課後』@練馬区生涯学習センター

劇団サム第7回公演復活公演

『スモーキーな放課後』

  • 作:北村美玖
  • 出演:尾又光俊、小澤翔太

 『楽屋─流れ去るものはやがてなつかしき─』

  • 作:清水邦夫
  • 出演:今泉古乃美、石附優香、岩崎かのん、清水舞花
  • 演出・主宰:田代卓
  • 会場:練馬区生涯学習センター
  • 日時:2022年9月10日(土)/24日(土)

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 石神井東中学校演劇部OB・OGたちによる劇団、劇団サムの第7回の「復活公演」である。清水邦夫『楽屋』をメイン演目とする第7回公演は7月29・30日に行われるはずだった。現役の石神井東中学校演劇部の公演と合わせて、7月29・30日に公演は行われたのだったが、『楽屋』の出演者に新型コロナ感染者が出てしまったため、メイン演目の『楽屋』だけがこの両日の公演では上演されなかったのだ。なお7月29日の公演についてはこのブログにレポートを残している。

otium.hateblo.jp

 この7月8月の新型コロナ第7波ではこれまで以上に感染者が多かったため、多くの公演が中止に追い込まれた。プロにせよ、アマチュアにせよ、公演のためには多大な時間と労力(そしてお金も)を投入しているはずなので、公演中止のダメージの大きさは想像するに余りある。新型コロナ禍のなかで公演のモチベーションを維持することができなくて、活動休止状態に追い込まれた団体も多いはずだ。

 劇団サムもまたこの二年間、新型コロナに翻弄された。2021年1月に行われる予定だった第6回公演は上演日直前に緊急事態宣言が発令され上演中止となり、映像配信だけになった。21年4月にはその代替公演として少人数キャストの特別公演が行われた。

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 先月末の公演は久々の本公演のはずだったのだけれど、メイン演目の『楽屋』のキャストに新型コロナ感染者が出たため、この演目だけ上演されなかった。一ヶ月ちょっとで幻となった公演が復活できたのは何よりだった。あまり長い期間が空くと、公演準備に必要なモチベーションの回復が難しかったかもしれない。復活公演は9/10(土)と9/24(土)の二日間行われた。公演日の間隔があいてしまったのは、会場が確保出来なかったからのようだ。9/10(土)だけを見るつもりだったが、客席にめがねを置き忘れてしまい、そのめがねの受け取りも兼ねて、9/24(土)の公演も見ることにした。私の体調の問題もあったかもしれないが、二回目の公演のほうが両演目とも出来がよかったように思う。二回見てよかった。

 最初に上演されたのは北村美玖作『スモーキーな放課後』だった。7/29に劇団サムが上演したコント『ひがいしゃのかい』と同じ作者の作品だ。上演時間は30分ほど。登場人物は高校生の男の子が二人。めがねをかけたクールな雰囲気の男の子はは喫煙がばれてしまったため、放課後居残りを命じられ、反省文を書かされている。もう一人の男の子は、甘えん坊の話し方でおどおどした感じだ。彼がなぜ放課後居残りしているのかはよくわからない。二人は最初は互いの名前も知らず、面識がなかったようなのだが、なぜか片方の男の子がもう片方の男の子にいきなり愛の告白をする場面からはじまる。唐突なはじまりかたとかみ合わない二人の会話から、最初のうちは別役実風の不条理コントかなと思った。しかしおどおどした男の子は高校生活になじめない不登校学生だったことが明らかになる。退学・転校を考え、放課後の学校にやってきたときに、偶然、喫煙で放課後居残りを命じられためがねの男の子と同じ教室で待機することになったのだ。そしてこの不登校の男の子は、以前からひそかにめがねの男の子のことが好きだったらしい。放課後居残りの時間のぎごちない会話を経て、二人は仲良くなっていく。切なく、繊細な男の子同士の恋を描いた好編だった。展開は不自然なところがあるが、めがね高校生のクールな態度と不登校高校生のおどおどした人のよさげな雰囲気の対比がうまく表現できていた。10日の上演では台詞が飛んだところがあり芝居のリズムが乱れたが、24日の公演はきっちり修正され、台詞のタイミングとリズムがよくなっていた。

 清水邦夫の『楽屋』は、日本のバックステージものの傑作であり、上演される機会が非常に多い作品だが、中学演劇部を母胎とするアマチュア演劇の劇団であり、俳優の年齢層も20代半ばまでに固まっている劇団サムが『楽屋』をとりあげるというのはかなり思い切った挑戦に私には思えた。『楽屋』はいわゆる学校劇的な作品ではない。『楽屋』が上演演目として選ばれたのには、登場人物が4名だからというのもあったらしい。新型コロナ流行のせいで、大人数が集まる芝居では感染のリスクが大きいため、7月の上演演目も含め、今回は少人数キャストの作品が選択されている。

 これまで劇団サムで上演される作品は、中学・高校演劇で上演されてきた作品がが多く、そうした「学校演劇」を学校劇活動でないところで敢えて上演し続けているところに劇団サムの特長がある。主宰の田代卓がもともと石神井東中学校演劇部の顧問だったこともあり、劇団サムは延長・拡大された「中学」演劇の雰囲気があったのだ。もちろん卒業後も演劇を続けていきたいというOBOGが集っているわけだし、公演が重ねられるにつれ、メンバーの成長とともに、芝居の精度は上がり、演技は洗練されたものにはなってきていたが。これまで上演してきた「学校劇」的作品とはテイストが異なる『楽屋』の上演ということで、劇団サムの女優4名がどのようにこの作品に挑戦していくのか楽しみにしていた。

 まず本編の芝居が始まるまえに幕前の前説で二人の俳優が、劇中で何回も言及され、部分的に上演されるチェーホフ『かもめ』の内容の説明を行った。俳優たちのみならず、劇団サムの観客もこうした種の芝居に慣れていないので、親しみやすく、明るい雰囲気でこうした前説を導入に入れる工夫は効果的だったはずだ。いきなり『楽屋』が始まってしまうと、多くの観客は芝居に入っていくのに戸惑いがあったかもしれない。幕が開くと、下手に化粧机が一台、その横に大鏡(ただし鏡の本体は入っていなくて、木製の外枠のみ)、上手側に化粧机二台が、舞台前方に横一列に並んでいた。舞台奥は下手側の一段高くなったところに衣装掛け、中央部にはソファと小机があり、小机の上には可愛らしいかもめのぬいぐるみが置いてあった。

 舞台上手の二台の化粧台では、上手側から和装で額に大きなあざがある女優と血の付いた包帯を首に巻いている女優がずっとメイクをしている。実際の舞台では主要な役を演じることがなかったこの二人の女優は、死後は亡霊となってこの楽屋にあらわれ、メイクをしながら、この楽屋で出演に備える『かもめ』のニーナを演じる女優を毒づき、呪っている。

 どちらかというと『楽屋』は演技力に覚えのある新劇女優が演じるというイメージがある。劇団サムの俳優4名の芝居には、丁寧に戯曲を読み込み、それぞれが自分の役柄のキャラクターをどう表現するのか考え抜かれた様子をうかがうことができた。

 まずニーナの役柄を舞台で演じることになった女優Cを演じた岩崎かのんの芝居に冒頭から引き込まれる。思わず「おおっ、やるじゃん」と心のなかで声が出た。岩崎はふわっとした手の動きと柔軟な身体の表現が優雅で美しい。台詞の発声も明瞭でよく通った。主要な役柄を演じる女優の高慢な性格の悪さの表現の巧みさにも感心した。

 亡霊女優の今泉古乃美と石附優花も、実際には二人ともまだ若いのにもかかわらず、ベテラン女優っぽい風格が感じられた。生前には端役かプロンプターだった二人の女優の屈折ぶりや演技力が問われる劇中劇での『かもめ』、『三人姉妹』『マクベス』、『斬られの仙太』など有名な劇の引用場面の見せ場もきっちり作られていた。

 入院先の精神病院から枕を抱いて登場し、ニーナ役の交代を迫る女優Dを演じた清水舞花は、女優本人が持っている雰囲気と役柄がマッチしていた。可愛らしい天然系だけど、しっかり病んでいる。

 すべての登場人物が女優という職に魅了されつつ、その業の深さゆえに歪んでしまっている。戯曲が伝える内容を丁寧に読み取り、忠実に再現しようとしていた舞台だった。女優たちの怨念がこもる楽屋が、ある種の地獄であることが、最後の場面で示されていた。

 『楽屋』も9/10(土)、24(土)の二回を見たが、二回目のほうが出来がよかったように思った。この完成度まで芝居を作るのは大変だっただろうし、上演中は緊張もしていただろうが、演じることの喜びと充実も彼女たちから感じ取ることができたように思った。『楽屋』は暗い話なのでもしかすると劇団サムの観客にはしんどい人もいたかもしれないが。次の公演は2月とのこと。新型コロナの状況次第ではあるが、今度は大人数キャストの芝居を久々にやりたいと聞いた。

 今回『楽屋』に出演した4人の俳優はみな見覚えがある。劇団サムの公演には7年前の第1回公演から私は通っているので、何人かの印象深い俳優たちは頭に残っているのだ。私の娘は劇団サムには参加していないが、石神井東中学校演劇部部員だったので、その頃から見ている劇団員も何人かいるはずだ。私は石神井東中学校演劇部の公演で中学演劇の魅力を知ったのだけれど、あの子供たちが激動の思春期後期を経て、七年後に『楽屋』を堂々と演じる「大人」になっていること、その変化・成長を舞台で確認できたことに感動(とはちょっと違うかもしれないけれど)を覚えた。「おおおおぉ」と心の中でうなってしまうような衝動というか。劇団サムを継続的に見るということは、こうした喜びも味合わせてくれる体験でもあるのである。