閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2024/05/26 平原演劇祭 #五月夢の国(後半) 国木田独歩「武蔵野/鹿狩り/郊外」

このところ主宰高野竜の衰弱もあって屋内公演が続いていた平原演劇祭だが、この5月には久々に野外遠足演劇の上演があった。 #五月夢の国(後半)の公演があった5/26は最高気温25度のほどよい暑さの晴天だった。雑草が生い茂る道なき道を進み、藪の中の木陰で夏水による「武蔵野」朗読を聞いた後、神社境内で高野竜の「鹿狩り」の朗読を聞く。それからまた雑草の生い茂る湿地帯を抜けて、新幹線と新交通システムの高架の横の道を移動しつつ、のあんじーによる「郊外」の上演を見た。

平原演劇祭はこの5月には3回公演があった。うち2回が野外劇である。5/12(日)に高野の自宅の最寄り駅である東武鉄道伊勢崎線和戸駅近辺で行わた #五月夢の国(前半)は、出張と重なって見に行くことができなかった。その翌週、5/19に石神井公園駅そばのイベントルームで行われた公演についてはレポートを以下に残している。

 

otium.hateblo.jp

5/12の野外朗読の後半となる#五月夢の国(後半) 国木田独歩「武蔵野/鹿狩り/郊外」の集合場所は埼玉の新交通システム、ニューシャトルの沼南駅、集合時間は正午だった。この新交通システムに乗るのははじめてだった。大宮駅から新幹線の線路に沿って伸びている高架式の鉄道だ。ゴムタイヤの車両だがよく揺れる。集合場所の沼南駅は大宮から15分ほどかかる。

炎天下の過酷な行軍演劇となることを覚悟して、虫除け、サングラス、タオル、フェイシャル・ペーパー、飴、ペットボトル飲料などを用意した。暑い日になることが予想されたが、悪路に備え、靴は昨年、厳冬のカナダ、ケベックで購入した防水で足底が厚い短ブーツを履いた。

集合場所で雑草をかきわけて進むという話を聞いて、現地の薬局で念のため、軍手も購入した。このところずっと体調が悪くて、長時間身体を動かすのがきついのだが、一応準備万端である。当日集まった観客は7名だった。新顔の人もいる。平原演劇祭は観客巻き込み型の演劇だが、この二年くらいは特にtwitter (X)での開催告知が常連観客の外側にあまり行き渡っていないようで、観客の固定化が進んでいる。今回はのあんじーが出演することもあり、静岡でのあんじーの公演を見てこの公演に興味を持ったという人や国木田独歩のファンという方も来ていたようだ。私はこれまで国木田独歩作品を読んだことがなかったのだが、行軍演劇前に予習しておこうとは思いつつ、その時間を取ることがでいなかった。

本日の「行軍」のルートは上の写真のとおり。ニューシャトルの沼南駅が出発点でその一駅先の丸山駅が終着点だ。沼南駅から丸山駅までは普通に線路沿いを歩けば1キロほどしかない。しかし平原演劇祭 #五月夢の国(後半)では、上の地図のルートが示すように、住宅地がある線路の西側ではなく、かつては湿地帯だったと思われる線路の東側に大きく迂回し、江戸時代にこの地域の領主だった伊奈氏の旧敷地一帯をぐるりとまわったあとに、新幹線・新交通システムの高架下をくぐって線路西側に移動し、そこから高架沿いの道を進んで丸山駅に向かうというものだった。大分遠回りをしているのだが、帰宅後、距離を測ってみると4キロ弱で、平原演劇祭の「行軍」演劇としてはたいした距離ではない。ただしその「道」がひどかった。行軍前半の線路東側のルートで、「道」として整備されていたのは半分くらいで、残りの半分は背の高さを超えて生い茂る雑草地帯をかきわける道なき道を進むものだった。ケベックで購入した防水短ブーツを履いていて大正解だった。平原遠足演劇では、靴は重要だ。軍手も役にたった。

桑の実がなっていた。摘まんで食べた。

こうした道なき道の多くは元湿地帯だったのか、地面もぬかるんでいた。「野外につき荒天中止」となっていたが、小雨でもこんな場所は歩きたくない。暑すぎない晴天で何よりだった。真夏の高温時期だったら、バテバテになっていただろう。出演者は何日か前にルートの下見をはしていたが、初夏の気候で数日のうちに雑草は伸び、彼らが歩いたはずの道はすでにわからなくなっていた。

  湿地帯の水門を越え、生い茂る雑草を踏み分けながら20分ほど歩いたところにある木陰に小さな広場があった。広場といっても木の下で日当たりがあまりよくないために、下草が長く伸びていないだけの場所なのだが。

横にのびた太い木の枝を椅子にして座った夏水が国木田独歩の「武蔵野」の朗読をはじめた。一部、語り口を現代風に翻案しているが、ほぼもとの作品をそのまま読んでいる。現在で武蔵野といえば、吉祥寺、三鷹あたり、東京西部の郊外を思い浮かべるが、国木田独歩の「武蔵野」は、当時、東京の郊外だった渋谷での見聞を主に書き記したものだ。しかし独歩の執筆当時にも武蔵野を東京と埼玉にまたがる、東京の中心地の周辺地域の広い地域をも指していたようだ。漠然と東京都心の住宅地の外側に拡がる雑木林の地帯が武蔵野だった。今回の平原演劇祭 #五月夢の国(後半)の上演場所となった大宮駅の北側にあるこの湿地帯は、いかにも「武蔵野」っぽい。

夏水は時折、立ったり、場所を移動したりしながら、新緑のなか、静かに淡々と「武蔵野」を読んだ。住宅地のすぐそばにありながら、それと切り離された雑草生い茂る原野でピクニック。そよぐ風が揺らす木の緑枝の音がBGMであり、そこで美しい夏水の朗読の声が伝える文章に耳を澄ます。

この状況そのものが、田園牧歌小説の世界だった。「武蔵野」の朗読は30分ぐらい続いたように思う。朗読が終わると、その湿地帯の裏側にある「村」まで移動した。そこはかつてこの地の領主であり、治水、灌漑事業を行ったことで知られる幕臣、伊奈氏の住居の跡などがある地域だった。今は十数軒の一戸建て家屋が並ぶ小さな集落で、伊奈氏に関係する史跡もあまり手入れされていないようだ。

伊奈氏の屋敷跡などをさらっと回ったあと、集落のはずれにある小さな神社に行った。頭殿権現社という神社だが、除草剤が数日前に撒かれたと張り紙があった境内にポツンと小さな社殿があるだけだ。ここで休憩となる。ここには若い男性が一人佇んでいて、彼は遅れて到着した観客だった。のあんじーにここで待っているように言われたらしい。気がつくとの昭南駅で私たちを迎えてくれていたあんじーの二人はいなくなっていた。この神社に着く少し前、電信柱がぽつんと一本立っている広場のような場所で、国木田独歩ファンということで今回の上演に興味を持ったという女性観客が離脱した。彼女が思っていた「朗読」とは相当違うものだったのだろう。

 この頭殿権現社の境内で高野竜が語りはじめた。最初のうちはあたかも自分自身の体験のようにとつとつと。しかしそれは実際には国木田独歩の掌編「鹿狩り」を翻案したものだった。こうした「だまし」を高野はちょくちょく平原演劇祭ではやるので油断ならない。「鹿狩り」は、叔父に猟に連れて言ってもらった少年時代の「私」が、叔父が酔っ払って寝ているあいだに、鉄砲で大鹿を撃つ話である。「鹿狩り」の語りは10分ほどったように思う。「鹿狩り」が終わると、のあんじーが待つ次の上演場所に向かって移動した。新幹線と新交通システムの線路の高架をくぐって、向こう側に出なくてはならなかったのだが、これが再び、背丈ほどに伸びたじゅくじゅくした湿地帯を歩く「行軍」だった。高野竜は下見はしているものの、雑草の成長のしかたがすさまじい勢いだったようで、彼が踏み歩いたはずの「道」はわからなくなっていた。

 

 ほんの数百メートルほどの距離だったのだが、途中、本気で遭難してしまうのではないかと思った数分間があった。地面はじゅくじゅくだったので、ここでもケベックで購入した靴が役にたった。草むらをぬけて、高架下の向こう側にでると、そこは住宅地になっていて、ちゃんと整備されたアスファルトの道があった。かなりのんびりしたペースだったので、のあんじーはかなり長い間この場所で待機していたはずだ。

のあんじーによる国木田独歩「郊外」は、新幹線・新交通システムの高架沿いに伸びる道を移動しながら上演された。最初、彼女二人が立っていた道の後ろ側に一台のタクシーが停まっていて、このタクシーものあんじーの上演上の仕掛けなのかと思っていたら、そうではなかった。得体の知れぬ観客集団が現れ、のあんじーのふたりが芝居を始めると、タクシーの運転手は怪訝そうな、また不機嫌そうな顔をして、車を進めて、私たち観客のあいだをかきわけるように立ち去った。計算外の演出効果だ。

 のあんじーはなぜか『銀河鉄道999』の場面、哲郎が「機械人間」の身体を得るために旅立ちたいとメーテルに訴える場面からはじまった。『999』はじきに国木田独歩の「郊外」に移行していくのだが、その後も移動しながら「郊外」の交互朗読をベースとしつつも、ときおり「999」の断片的シーンが挟み込まれていった。この『999』挟み込みの意図は私には読み解けなかった。のあんじーの個人的現実語りの挟み込みは今回はなかった。

 交互に「郊外」を演じる、二人はばらばらに移動し始め、観客は二人の動きと語りに振り回される。のあんじーを追いかけていると、アスファルトの路上に鳩の死体が転がっていた。これも想定外の「演出」。あとで聞くと、のあんじーは鳩が高架上の線路の電線にぶつかって、落ちるのを目にしたとのこと。地面に落ちた後、鳩はカラスに食べられてしまったらしい。

 高架下を横断して、向こう側にある道路を少し折り返したところで、「郊外」語りは終了。その近くにも伊奈氏の地所にかかわる史跡があった。

今回の平原演劇祭は、伊奈氏に関わる史跡をめぐるコースだったとも言える。

 

最終的な解散場所は、埼玉新交通システム、ニューシャトルの丸山駅。出発地点の昭南駅のひとつ先の駅である。歩いた距離は4キロほどだったが、その半分ほどは背の高い雑草が生い茂る道なき道だったので、疲労感はそれなりに大きかった。丸山駅構内で高野竜は観客一人一人にはがきを渡した。そしてそのはがきにこの日の遠足演劇の一場面の絵をその場で描いてくれと言う。全員が絵を描き終えると、今度はそこから自分以外の絵のはがきを一枚選んで、その裏に自分の住所を書いてくれと言われた。

はがきは駅構内にあったポストに投函され、数日後に自宅に配達された。

 確かに数日前、私は五月夢の国にいた。

 歩いた距離はそれほど長くはなかったが、それでも56歳の肥満、運動不足の身体にはけこうな負担があったようだ。この翌々日以降、一週間以上にわたって体調がよくなかった。