Ensemble Poesia Amorosa "Piangete occhi 流れよ わが涙〜17世紀イタリアの宗教的な歌"@日本福音ルーテル東京教会
- 高橋美千子(ソプラノ)、上野訓子(コルネット)、頼田麗(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、佐藤亜紀子(テオルボ)
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パリを拠点にフランスと日本で活動するソプラノ歌手、高橋美千子さんが出演するコンサートを久々に聞きに行くことができた。会場は新大久保のコリアンタウンの雑踏のなかにある日本福音ルーテル教会。観客は250人ぐらいいただろうか。天井が高く、ちょうどいい感じで反響がある会場で、今回の古楽器と歌手の編成のコンサート会場として適した場所だと思った。
コルネット、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボにソプラノというちょっと変わった編成のアンサブル・ポエジア・アモローザのコンサートは今回が2回目とのこと。2023年に行われた1回目のコンサートは私は聞きに行けていない。16-17世紀のイタリア音楽をレパートリーとするグループだ。
今回は「17世紀イタリアの宗教的な歌」がテーマで、聖母マリアについての歌曲がプログラムの軸となっていた。A4、2ページのコンサート・プログラムの解説の内容は、プログラムの意図と楽曲の特徴が的確に記述されていて、コンサート全体の枠組みを明瞭に示していた。バランスの取れた記述内容で、内容の精度も長さもこれぐらいが適切だろう。ラテン語、イタリア語の歌詞の対訳があるのもよかった。とりわけ今回のプログラムが、歌だけでなく、テクストのメッセージも味わうものだっただけに。高橋美千子による翻訳の訳文も、原文の内容を正確に伝えるだけでなく、わかりやすくかつ優雅で魅力的なテクストになっていた。
コンサートの2曲目のサンチェスの《聖母の嘆き、スターバト・マーテル》、休憩のあとの2曲目、モンテヴェルディの《聖母の嘆き アリアンナの嘆きによる》、そしてコンサートの末尾に歌われたメールラ《子守歌による宗教的カンツォネッタ》の三曲がプログラムの軸であり、この周辺に器楽曲や小規模な宗教的楽曲が配置される。
導入となった器楽曲のあと、サンチェスの《聖母の嘆き「悲しみ母は立ちつくす」》で高橋美千子が歌い出した途端、そのエモーショナルで力強い歌唱とダイナミックで演劇的な表現力に、体中に電流が走ったような、しびれるような感動がわき上がった。歌詞は、ラテン語のStabat Materである。中世やルネサンスの聖歌は荘厳な美しさが魅力であるが、その音楽は人間的な情感はとぼしく「非人間的」なよそよそしさがある。歌詞がラテン語であることも、その音楽表現の硬質さをさらに強めているが、それとひきかけえに天上の神の世界の崇高さも感じさせてくれる。
サンチェスの《聖母の嘆き「悲しみ母は立ちつくす」》は歌詞こそラテン語のStabat Materではあるが、その音楽はことばの意味と情感と結びついた、この時代のイタリアで誕生した新しい様式、バロック様式である。高橋美千子の歌唱と演劇的ともいえるパフォーマンスは、そうしたテクストの内容と一体化したイタリア・バロック様式特有音音楽表現のありかたを鮮やかに具現したものだった。彼女の歌によって、確かに息子であるイエスの死を慟哭するマリアの悲痛な姿が浮かびあがってくるのだ。聖書の崇高な世界の住人ではなく、我々と同じ感情を持つ人間的な人物としてのマリアが現れる。
休憩後に歌われたモンテヴェルディの《聖母の嘆き》も私には衝撃的だった。この曲は、モンテヴェルディのオペラのなかの楽曲《アリアンナの嘆き》の旋律を利用した《替え歌》である。《アリアンナの嘆き》は、アテナイの英雄、テーセウスに捨てられたクレタ島の姫、アリアンナの失恋の慟哭が歌われているのだが、それがイエスの死を嘆くマリアの慟哭に置き換えられている。古代ギリシアの神話的世界の世俗的なエピソードが、その悲劇性を引き継ぎながらピエタの情景に移し替えられているのである。サンチェスでは歌詞はラテン語のStabat Materであったが、モンテヴェルディではイタリア語のオリジナルの歌詞になっていた。宗教的主題は、世俗語によるドラマティックな形式で、より人間的で身近なものへとなっている。当然、高橋美千子が行ったような演劇的でエモーショナルなスタイルでパフォーマンスが行われてこそ、この歌のドラマは効果的に引き出されるだろう。
コンサートの掉尾を飾るメールラの《子守歌による宗教的カンツォネッタ》では、聖母マリアは赤子をあやす母として表象される。Fa la ninna nana na「寝んねしな」というルフランで終わる歌詞が、次第にイエスの死を悼むピエタへと変わっていく。その展開にマリナの悲しみの情景が浮かびあがる。高橋の歌唱はその移り変わりを丁寧に伝えるもので、キリスト者ではない私にさえ大きな感動を覚えた。
イタリア初期バロック歌曲によるStabat Mater dolorosa、「悲しみの聖母は立ちつくす」という主題のバリエーションの豊かさを堪能できた知的な仕掛けのある興味深いプログラムだった。解説や歌詞対訳で、コンサート・プログラムの外枠を、聴衆も演奏者と共有できた。さらにこれらの歌曲を、歌詞の内容を咀嚼した上で、演劇的に提示した高橋美千子のパフォーマンスには圧倒的な力強さと美しさがあった。詩と音楽に内在する演劇性が見事に引き出された表現であり、プログラムになっていた。
久々に心から素晴らしいと思えるような音楽体験を得ることができた。