劇団サム 第10回公演
作:成井豊+隅部雅則(初演:2006年 演劇集団キャラメルボックス)
演出:田代卓
練馬区立石神井東中学校演劇部
『謎の大捜査線〜ハーメルンの笛が聞こえる』(作:藤原正文、演出:田代卓)
『才能屋』
会場:練馬区立生涯学習センター
----------------------------
2016年夏に旗揚げ公演を行った練馬区立石神井東中学演劇部のOB・OGたちによる劇団、劇団サムの第10回公演を見に行った。会場はいつもの練馬区立生涯学習センター。今回は7/28(日)に一回、8/3(土)に二回公演を行う。私が見に行ったのは7/28(日)の公演で、この日は劇団サムの『少年ラヂオ』の前に、石神井東中学演劇部による30分ほどの短編劇、2篇の公演もあった。
まず最初に上演された石神井東中学演劇部の『謎の大捜査線〜ハーメルンの笛が聞こえる』から。
私は娘が石神井東中学校演劇部に入部したことがきっかけで、中学演劇の世界を知った。娘が中学に入学したのは2013年なので、今から11年前のことだ。その当時の演劇部顧問が、劇団サム主宰の田代卓先生だった。技術的に未熟な子供たちがやっている中学校の部活の演劇なんて、出演者の親や友達以外が見に行って面白いのか?と思う人は少なくないだろう。私も娘が中学の演劇部に入るまでは、中学演劇をわざわざ見に行こうとは思わなかったし、娘が小学校時代に隔年でやっていた学芸会で上演された演劇は慣習としてなんとなくやっているようないかにもおざなりなもので、全く心に響くものはなかった。
しかし石神井東中学校演劇部の演劇は違った。演じているのはごく普通の中学生なので、テレビの子役俳優のような達者な演技ができる子はいない。しかし優れた指導者が週に何日か、放課後、指導を続けていくと、思春期の子供たちは驚くほどいろいろなことを吸収し、成長していく。石神井東中学校演劇部は当時から学内の文化祭だけでなく、学校外の地域の人たちに開かれた公演を度々やっていたのだが、外部の人たちが見ても十分に楽しめるクオリティだった。何よりも子供たちが演劇を楽しんでいる様子が伝わってくるのがいい。他者を演じて、それを人に見て貰うことは大変な作業だが、それは演じている子供たちにとってとても楽しいことでもあるのだ。石東演劇部では、普段の活動のなかでも子供たちが演劇を楽しみつつ、自分のものとして取り入れていくために、さまざまな工夫された活動のメニューがあった。娘が入った時期は、田代卓氏の指導のもと、中学演劇の関東大会や全国大会にも出場するようになったこともあり、演劇部の部員数は50名ぐらいになっていたと思う。
赤門塾演劇祭で現役塾生が出演者の小学生の部、中学生の部を見るのは、本格的な芝居の上演が行われるOB・OGの部を見るに劣らないほど私は楽しんでいるのだが、劇団サムの公演においても、石神井東中学校演劇部の現役生の舞台も見ていて案外面白い。演劇公演には、演じられる作品がどのようなものであれ、大きな教育性が内在していると私は思う。他者を引き受けることで、それを人に見せることで、子供たちはそれまでの自分を意識的に乗り越えなくてはならなくなる。子供の演劇は、人がまさに成長する瞬間に立ち会うような感動がある。子供の演劇を見ると、演じることの楽しさや演劇をやったり、見に行ったりするというのいったいどういう意味があるのだろう、という問いがいつも突きつけられるように思う。
-
話を今日見た芝居に戻すことにしよう。『謎の大捜査線〜ハーメルンの笛が聞こえる』は、往年の刑事物テレビドラマのパロディのような作品だ。結婚願望が強い三人の女性銀行員が働いている銀行に、銀行強盗が押し入った。ところがこの銀行強盗がまったくへなちょこな野郎で、三人の女性に簡単に押さえ込まれてしまう。三人の女性はこの事件がテレビ報道されれば、人質となった彼女たちに世間の注目と同情が集まるのではないかと考え、銀行強盗に監禁され、脅されている風を装うのだが、テレビのニュースはこの銀行強盗事件をさらっと扱うだけで、すぐにテレビショッピングなどに移ってしまう。最後の落ちとして、この銀行強盗自体が実はやらせで、他の大きな社会的問題や不正から世間の目をそらすためのカモフラージュであることが明らかになる。
とってつけたようなオチには、意外性がないわけではないが、私はちょっと興ざめした。ただ溌剌として、かしましい三人の女性銀行員のやりとり、上手手前に座る無表情なテレビキャスター、それから黒子の同情などの演出上の仕掛けが効いていて、私は何度も大笑いした。台詞は明瞭でとても聞き取りやすい。ドラマの設定や展開は1970年代の筒井康隆のドタバタ短編小説を連想させるところがあった。
石神井東中学校演劇部による二本目の演目『才能屋』には、作・演出のクレジットがチラシにはなかった。生徒による創作劇かもしれない。こちらは星新一のショートショート風のコントだ。
女主人とその侍従が、天上から地上に落とされる。地上でその女主人が持っている能力を使って、なにかいいことをすると天上に戻れる設定らしい。その女主人の持っている能力というのが、奇妙な呪文と踊りによって人間が持っている潜在的な才能を引き出すというものだ。彼らは「才能屋」という看板をたてて、商売を始める。この才能屋の看板に書かれているロゴ、絵文字が洒落ている。女主人と侍従のあいだの漫才のようなリズミカルなやりとりが楽しい。発声が明瞭で、動きにも安定感とキレがある。「才能屋」にやってきた顧客がピストルで撃たれ倒れるたびに、奇妙な呪文と踊りが始まり、舞台袖から大量の人物が現れるミュージカルシーンに変わるのだが、「はっ」というかけ声がはいるたびに、倒れて地面に伏せっている顧客の身体が跳ね上がる演出や、才能の開花を頭に造花を付けることで表現する遊び心が効果的だった。後半は若干息切れして、間延びした感じもあったが、全体としてシンプルなばかばかしさに満ちた楽しい作品になっていた。
石神井東中学校演劇部の2本の公演のあと、30分の休憩時間。劇団サムの『少年ラヂオ』だけを目当てに来場する観客も多く、夏の暑い日だったのにも関わらず300席ほどある会場は満席になった。今回は第10回という大きな区切りのある公演ということもあり、チラシや宣伝はいつも以上に力が入っているような気がした。第9回公演が行われた昨年夏は、フランスへの出張が入ってしまっていたので私は見ることができなかったのだが、今回は第9回公演に続いて演劇集団キャラメルボックスの成井豊の戯曲の公演となった。キャストは16名、上演時間は休憩なしで2時間以上のフルサイズの上演である。
成井作品は、反道徳的な要素を含まない健全性もあって、中学高校演劇では好んで取りあげられる。成井の戯曲はさまざまな演劇的趣向も取り込まれていて、見ていても楽面白いし、そして演じる立場としても楽しい作品だと思う。劇団サムでの成井作品の上演はこれが5度目になる。悪人やグロテスクなどぎつさを排除しているがゆえに、健全過ぎるともいえる成井豊の作品を、劇団サムほどきっちりとした楷書体で上演できる団体はそうそうないかもしれない。
これまでサムが上演してきた作品の多くはは、現代ものや近未来ものだったが、今回の舞台は大正15年を舞台にしている。本格的な「時代もの」は、劇団サムにとってこれが初めてではないだろうか。赤・茶系統の色でまとめたチラシやプログラムのデザインもレトロな《大正浪漫》調で、舞台美術や小道具にも気合が入っている。舞台美術亜h、チラシ同様、赤・茶系統の色調でまとめられ、シックでレトロな劇空間を作り出していた。俳優たちの衣装も大正レトロ風味でお洒落。コスプレ感がある和装も素敵だったが、ヒロインの美汐(中村かのん)のすらっとしたドレス姿は、竹久夢二の絵から飛び出してきたかのように優雅で美しく、特に印象的だった。舞台装置も工夫されており、下手には浅草のカフェ店内、上手にはブルジョワ家庭の居室が配置され、登場人物たちが動くことで視覚的に大正浪漫のファンタジーを楽しませる作りになっていた。
中学生の演劇には中学生ならではの面白さがあるが、石東中演劇部による上演を2本続けて見た直後に、演劇部のOBOGで構成される劇団サムの芝居を見ると、舞台の空気が一気に引き締まる感じがする。劇団サムには継続的に石神井東中学演劇部の卒業生が入団しているようだが、立ち上げ当時から所属している最年長の俳優は20代後半になっている。俳優の何人かは、私は10年前の中学演劇部にいた頃から私は見ている。10代後半から20代にかけては、環境や心身に著しい変化がある時期である。中学卒業後のそれぞれの進路は異なるため、メンバーは中学の部活のように定期的に集まって稽古することはできない。団員の中には演劇関係の仕事に就いている者もいるようだが、多くの団員にとって、年に1度か2度の劇団サムの公演だけが演劇活動の機会だろう。この年に1度か2度の公演は、仲間内のなれ合いではなく、真剣に取り組んでいることが伝わってくる。
私は昨年夏の公演を見逃したため、2年ぶりに劇団サムの俳優たちを見ることになった。この2年の間に劇団が大人っぽくなっているのを感じた。明智役の藤巻裕哉をはじめ、身長が180センチを超える大型俳優が数名、舞台上で活躍していたせいもあるが、男性の俳優たちは以前よりも頼もしく感じられた。女子たちは男子たちに比べて早熟な感じで、前からパキパキっとしている子が多かったが、男子は前は身体は大きいけれど、どこかぼんやりした雰囲気の子が多かったような気がするのだ。
今回の上演では、個々の俳優の成長もあり、どの俳優もしっくりと役柄に馴染んでいた。中学生や高校生が背伸びして無理矢理「大人」役を演じる面白さもあるが、今回の劇団サム版の『少年ラヂオ』は、役柄と俳優のギャップが縮まり、自然で説得力のある表現になっていた。スリの集団の女親分、いねを演じた石附優香の台詞回しや雰囲気は、やさぐれた感じが実にさまになっていて、色っぽさもあった。何回かあった殺陣のアクション場面も見応えがあった。全体のアンサンブルや会話のリズムには若干、しっくりしないところもあり、全体的にもう少し軽やかさと笑いが欲しいように思ったが、2時間を超える舞台を退屈せず楽しむことができた。
劇団のメンバーの年齢層が上がり、ある種の円熟味や落ち着きが舞台から感じられるようになった一方で、中学演劇部を母体とする劇団サムには、依然として中学演劇ならではの素朴さや「生徒」らしさが残っていて、それがこの劇団独自の雰囲気を作り出している。サムの上演の直前に現役中学生の演劇を見たこともあり、大人になった彼らの芝居を見ながら、私は彼らがもっと子供っぽかった頃の演劇を思い浮かべ、感慨深い気持ちになった。今回は2年ぶりの劇団サムの公演観劇だったため、なおさら彼らが急に大人になったように感じられた。大正時代を舞台にした今回の作品を見て、これまではどちらかというと等身大の設定の作品を上演してきた彼らだが、劇団サムが長谷川伸の人情時代劇などを上演するのも見てみたいとぼんやり思った。
終演後、主宰の田代卓さんが、「この劇団の公演を初めてやったとき、『10年続くといいですね』と言ってくれた人がいて、その人が今日も見に来ています」と言った。「あれ?なんか、私が田代さんにそんなことを言ったような記憶があるけど、私のことかな?」と思っていたら、やはり私のことだった。中学演劇部が母体になった劇団が10年続くとなにか面白いものが生まれるのではないか、と私はその当時思って、田代さんにそう言ったのだが、その時、田代さんは、「いやあ〜、10年は、さすがに無理ですよ」と笑って答えていたように記憶している。しかし、劇団サムは今回第10回公演を行い、今後も公演は続くだろう。劇団サムが今後どのように変わっていき、どんな演劇を見せてくれるのか、非常に楽しみである。