閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

あゆみ

toi presents 3rd
http://toizuqnz.exblog.jp/

  • 作・演出:柴幸男
  • 出演:黒川深雪,宇田川千珠子 [青年団],内山ちひろ [インパラプレパラート],小澤恵 [劇がく杜の会],斎藤淳子,桜井美弥乃 [プロダクション・タンク],高橋ゆうこ,立蔵葉子 [青年団],端田新菜 [青年団],廣野未樹 [Unit woi]
  • 舞台監督=金安凌平
  • 音響=星野大輔
  • 照明=森友樹
  • うごきあどばいす=野上絹代 [快快]
  • 宣伝美術=セキコウ
  • 上演時間:1時間40分
  • 劇場:こまばアゴラ劇場
  • 評価:☆☆☆☆☆
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そのシンプルで反復的な手法の斬新さに驚く,そしてこの手法で再現されるあまりに素朴で平凡な物語の美しさと切なさに心を揺さぶられた.
芝幸男演出は4月に現代口語ミュージカル版「御前会議」を見たのが初めてだった.現代口語演劇とミュージカルというほとんど相反するといってもいい演劇美学をスマートなやり方で共存させたその着想の面白さは破格に感じられ,芝幸男オリジナル作品である今作ではどんな仕掛けを見せてくれるのか期待はとても大きかった.その期待を全く裏切らないすばらしい舞台だった.演劇作品として成立させるのはほとんど不可能ではないかと思えるような素材が,卓越した着想力によって融合され,舞台芸術ならではの味わいに富んだ充実した作品として結晶していくさまは,魔法を見ているかのようだ.
「あゆみ」と題されるこの作品は,ちらしの可愛らしいイラストで見事に要約されている.まっすぐと続く足跡,その足跡の上を一人の女性が前へ前へと進んでいる.彼女は胸をはって前進しながら,呼びかけられたような気がして,ふと上を見上げている.

「人生を歩む」なんて言い方は表現として熟し切っていて,もはや比喩的表現にさえ感じられない.この作品はこのありきたりの手あかにまみれた表現を文字通り舞台化している.
(以下ネタバレあり)


舞台美術は背景の白い幕のみ.この白幕に何か映像が映し出されるわけではない.この幕の前を黒い服を着た裸足の10人の女優が,左から右へと,右から左へと一時間40分の間,ひたすら横切っていく.彼女たちによって描き出されるのは,一人の女性の生涯だ.誕生し,一年ほどたつとヒトは自らの意志で直立し,最初の一歩を歩き出す.最初の一歩から,年老いて動けなくなるまでの間に,ヒトは何億歩もの歩みを刻むのだろうか.この女性の生涯のいくつかの時期のエピソードが舞台上で提示される.一人の人物(あるいは犬)を10人の女優が代わる代わる演じる.ほぼ同じ服装をした複数の女性で演じられる女性は,ある普遍的で匿名的な女性の姿を象徴している.各人物を判別する手がかりは,丁寧にかき分けられたディアローグだけだ.彼女は立ち止まらない.ずっと移動している.

幼少期,小学生時代,高校時代,大学卒業後,恋愛,結婚,ライフステージの各段階で,エピソードが提示されるのだが,それらのエピソードはきわめて平凡で日常的なものばかりである.劇的な特殊な事件など何もない,陳腐ささえ感じる物語の数々.中年期以降になると女性に子供が生まれる.子供の成長過程を見ていると,自身の歴史を反復しているように感じられることがある.彼女はこのころから前に進みつつ,彼女がこれまで生きてきた歴史を回想するようになる.今の彼女と過去の彼女の姿が舞台上で重なり合う.そして老年期がやってくる.

ここまで舞台上の人物が歌う鼻歌をのぞき音楽は一切ない.最後の場面で華やかで陽気な群舞が用意されている.一人の女性を代わる代わる演じてきた10人の女優が舞台で躍動することで,これまでの「歩み」を総括する場面は,生への強烈な肯定感を感じさせ,喜びに満ちている.それまでの表現がストイックであっただけに,このダンスの場面はさまざまな感情が一気に爆発し,ぐっと心が締め付けられるような強さがあった.
本当のフィナーレはこの華やかさのあとにある.すっと照明が落ち,冒頭に提示されたのとほぼ同じ場面が再現される.一人の女優にスポットがあたる.
「さいごの一歩」.この言葉とともに溶暗.深い余韻を残して芝居は幕を閉じた.

この作品は,歩みという行為によって生涯を徹底して描くことによって,われわれが人生をまさに歩んでいる途上にあり,これまで歩んできたこと,そしてこれからの歩みについて想起させる.そして平凡な生涯の中にある宝石のようなエピソードを思い出させることで,歩むことの意味について気づかせてくれる作品である.