閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2022/12/11 平原演劇祭第22部 #分水界演劇 @大島新田関枠

上演作品:「逃(タオ)」「安戸ロゼッタ」(作:高野竜)

出演:栗栖のあ、北條

場所:

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先週に続き平原演劇祭である。先週は屋内公演だったが、今回は野外劇公演だった。

「逃(タオ)」は本来は2023年11月23日に上演されるはずの演目だったが、雨天のため、公演が順延され今日になった。この演目は2021年10月31日に岩槻市の遊水地で上演されたが、このときは私は見に行けなかった。今回は埼玉県東部の杉戸町と幸手(さって)市の境をなす倉松川にある大島新田関枠が公演会場となった。

平原演劇祭主宰の高野の体調がこのところとりわけ思わしくないようで、今回の第22部についてはいつも以上に事前告知が不十分だった。私は出演者の栗栖のあのtwitter告知で、公演前日の夜に集合時刻と場所を確認した。東武動物公園駅東口のバス停を11時半に出発するバスに乗らなくてはならないらしい。

11時20分ごろに東武動物公園駅に到着し、バス停のある東口に降りたが平原演劇祭関係者らしい人は誰もいない。11時25分ごろに高野竜がよろよろと現れた。昨週の#神曲 第二部読み合わせ以降、食事もろくにとれない状態で家に伏せっていたが、なんとか立ち上がって歩けるようになったと前日夜にツィートしていた。バス停に停車していたバスに高野と一緒に乗り込む。「今日は日曜だから10分ぐらいで着いてしまうかもしれない」と高野は言う。バスに乗り込んだ平原演劇祭の観客は私以外にもう一人いた。
櫛ヶ浜やぎ(@kusigahama)氏だ。twitterで私と相互フォローなので、おそらく平原演劇祭で私とつながったのだと思う。

高野からはどのバス停で降りるのか聞いていなかった。バスが出発してから5分ほどたった頃、水田の広がる平地のただなかで高野がゆらりと手を挙げた。Google mapを見ていたのだが、公演場所とされている「大島新田関枠」からはかなり離れた場所だ。こんなところで降りて大島新田関枠まで歩くのだったら、バスに乗らず最初から歩いて大島新田関枠まで行けばよかったではないかとちらっと思った。

 バス停の名前は「沼」だった。文字通り、江戸時代には沼だった場所で治水灌漑事業により新田となったらしい。このバス停で降りたのは竜さんと私と櫛ヶ浜やぎ氏の三名、つまり平原演劇祭関係者だけだ。いきなりバス停にあったベンチにうずくまり、竜さんが吐きはじめた。車酔いなのかと思ったが、そうではないらしい。だいたいバスに乗ったのはほんの5分ほど、しかも平坦な道だ。どんな車に弱い子どもでも車酔いしないだろう。竜さんは3、4回吐いたあと、しばらくぐったりとしていた。

「逆流性食道炎です」と竜さんは説明したが、そもそもここしばらく彼はほとんど食事をしていないとツィートしていたのに。いずれにせよ体調はものすごく悪いのだが、無理してやって来ているのだろう。息絶え絶えというかんじの竜さんから、「これ、今日の芝居」とできたての台本を渡された。漢字がやたらと多い。このあたりの地誌に取材した作品のようだ。今日の公演のために書かれた新作「安戸ロゼッタ」はしかし、結局、この日上演されることはなかった。

 竜さんは10分ほどベンチにへたりこんで、ちょっと元気を取り戻したらしい。立ち上がってかつてかなり大きな沼だったこのあたりの地誌について説明しはじめた。かつて沼だったこのあたりは役所が配布した増水時ハザードマップでは付近一帯が真っ赤になっている。どこに住んでも増水時はアウトという地域らしい。

「沼」を少し南下して、幸手市(さってし)から杉戸町に入り、かつては沼の中心部であったであろう大島新田調整池を左手にみながら、劇の上演会場であるらしい大島新田関枠にぶらぶらと歩いて向かった。真っ平らな田圃が周囲に広がっている。竜さんはやはり弱っているためか、歩いてる最中はあまり話さなかった。竜さんがバテているので、歩く速度がゆっくりになるのが私としてはありがたい。ガイドが夏水だったりすると、デブの親父の歩行速度に対する気づかいなく、「着いてこれる者だけ着いてきな」って感じでとっとことっとこ行軍していくので。

 衰弱した竜さんがガイドだと、行軍ではなく、ゆらゆらと徘徊という感じである。沼から大島新田関枠までは1.5キロほどだったようだが、ここを30分ぐらいかけてゆっくり歩いた。広々として気持ちはいいが、あまり詩的とはいえない散文的な田舎の風景だ。途中、中年女性が池を見ながら佇んでいた。やはり平原演劇関係者、竜さんの奥さんのMKさんだった。

 大島新田関枠に到着するころには雲が多くなり、薄暗くなった。気温もぐっと下がる。関枠とは「筧かけいの短いもので横が広く、開戸二枚あるもの。用水、分水などの所にかけて、水をはかり引き分けるのに用いる」(日国精選版)とのこと。ここでは倉松川と旧倉松落の分岐点なのだが、その流れ方が逆流しているのが非常に特異らしい、竜さんの説明によると。関枠のそばに大きな石碑があり、そこにいろいろ書かれているらしい。ちなみに分水界とは「地上に降った雨が二つ以上の水系に分かれる境界」(日国精選版)。

 私、竜さん、櫛ヶ浜やぎさん、MKさんが関枠に到着すると、この寒々とした風景の中で私たちを待っていた栗栖のあとほうじょうがおもむろに芝居をはじめた。この分水界を、太平洋岸のカナダとアメリカの国境で、アメリカの飛び地領土であるポイントロバーツに見立てている。高野竜さんは飛び地が好きだ。国境線上にある橋の上のカナダ側とアメリカ側に若い男と女がいる。この二人の会話劇だ。

 上演時間は20分ほどだったと思う。しかし内容がさっぱり頭に入って来ない。荒涼とした場所のインパクトと俳優の存在感はあったのだけれど。竜さんの芝居の上演はたいていそうで、同じ戯曲を3回ぐらいみてようやくどんな物語なのかわかる。ちなみに上演された「逃(タオ)」の脚本はここにアップロードされている。

 台本を読んでみたが、やはりよくわからない。現地で見てわからないのは仕方ないような気がした。公演場所に近づいて、橋の上で佇む栗栖のあが見えたとき、高野さんの奥さんのMKさんが「あ、中森明菜みたいな人がいる!」と言ったのが印象に残っている。確かに中森明菜っぽい。昭和の歌謡曲の歌詞が演劇化されたような上演だった。結末は男女が別れ、川岸を別々のほうに歩いてく。延々と見えなくなるまで歩いて入った。

 上演終了後、関枠のそばにあった石碑の内容について竜さんがレクチャーをはじめたが、寒くてこれもあまり頭に入らなかった。石碑が暖かいというので、みなが石碑の周りに集まって、石碑に触って暖を取った。確かに少し暖かいような気がする。

石碑に群がる人たち。櫛ヶ浜さんが撮った写真。

 ここで竜さんが「15分ほどトイレ休憩しましょう」と言う。新作「安戸ロゼッタ」がそういえばまだ上演されていなかった。歩いて10分ほどところに公園があり、そこに公衆トイレがあった。公園の一部はネコのコミューンになっていて、数匹の猫がいた。トイレをすませたあと、ネコとしばらく遊んで、芝居の再開を待つ。

 しかし竜さんがなかなか姿を見せない。20分ほどたったころだろうか、それまでどこにいたか分からなかった竜さんが現れ、「あの。今日は体調がダメなんで。これで公演は終わりにします」と言う。竜さんが自らこんなことを言うのを聞いたのは初めて聞いた。自分で相当危ない状態だと思ったのだろう。

 もうろうとした感じの竜さんはひとまずその場に残し、MKさんの車で私、櫛ヶ浜さん、のあ、ほうじょうは駅まで送って貰う。竜さんはそのあと、入院したことを、帰宅後、竜さんのツィートで知った。この日はバス停降りた時点で嘔吐していたときから、ずっと体調はひどく悪そうだったが、入院までいってしまうとは。さすがに心配になったが、幸い、竜さんの体調は数日で回復し、家に戻った。

 寂しくぼんやりとした平原演劇祭、トラブルで終わった平原演劇祭であったが、こういう平原演劇祭もまた味わい深いものだ。