-
2023年11月17日(金)~12月3日(日)
-
劇場:下北沢「劇」小劇場
-
作:ニコラス・ビヨン
-
翻訳:吉原豊司
-
美術:杉山至
-
照明:桜井真澄
-
演出:小笠原響
-
出演:藤田宗久、鬼頭典子、加藤頼、荒木真有美、谷芙柚
-
評価:☆☆☆☆☆
-----------------
芝居がはじまって数分で、おもしろい作品であることが確信できた。
感嘆し、唸らざるを得ない見事な戯曲、そしてその戯曲をテンポよく明瞭に提示する俳優の演技も素晴らしい。アメリカの製薬会社のスキャンダル事件の現実から敷衍された美術館を舞台とする台詞劇だった。
舞台はとある美術館の事務室である。背景の壁に横長の抽象画がかかっている。白地のキャンバスに粗い霧吹きで原色をちりばめたようなこの抽象画は、舞台の重心のような存在感があり、独立した美術作品としてもかなりいいものだと思う。三方の壁は二重になったむき出しの鉄筋で、密室であるはずの美術館事務所は視覚的には素通しになっている。
開演前、および劇中の暗転の「間」には、抽象画がスクリーンとなり、戯曲の題材となったサックラー一家の製薬スキャンダル事件についての解説が映し出される。製薬会社の成功で巨額の富を築いたサックラー一族は、オピオイドという極めて中毒性の高い麻薬性鎮痛剤の製造・販売によって告発され、非難されるが、その一方で世界中の美術館や学術機関に多大な寄付を行ってきたフィランソロピスト、慈善家でもあった。フィランソロピーはアメリカ社会では、企業のさまざまな社会的貢献活動や慈善的寄付行為などを指す。
カナダの劇作家ニコラス・ビヨンが名取事務所のために書き下ろしたこの新作戯曲では、美術界をゆるがしたこの大スキャンダルで、当事者たちがどのようなやりとりを行ったのかを再現する。
記号的ではあるが、しっかりとその細部まで構築された人物像を演じる俳優たちのメリハリのある台詞のやりとりによって、登場人物の個性や舞台の状況は明瞭に提示され、テンポ良くリズミカルに劇は進行していく。有機的に台詞が反応し合う俳優たちの演技のアンサンブルは緊密だ。優れた新劇の芝居のあの快ちよさによって、劇の展開にすっと引き込まれる。緊迫感がある重要なポイントではハンドパンのBGMが流れる。そのBGMによってぐっとその場面の緊張度が高まり、クローズアップされたような効果があった。
開演前および幕間の暗転中に、背景の抽象画をスクリーンにして映し出されるサックラー一家の製剤スキャンダルとフィランソピーについての事実が、その前面で俳優たちによって演劇的虚構として敷衍される対比の仕掛けがおもしろい。美に対する純粋な芸術的動機と造形芸術を通した真摯な社会的アクションと超金持ちブルジョワたちの虚栄と金銭のやりとりの道具である世俗的欲望の両面を抱えざるをえない美術館、美術界の欺瞞についての問いかけが劇中で行われる。
美術館の館長、顧問弁護士、そして若いインターン、美術館の理念に従い、正しく振る舞おうとするのは女性たちだ。美術館の理事長そして自分の製薬会社のスキャンダルから一族を守ろうとするフィランスロピストは、世の悪徳に流されるしたたかな悪人である。しかし実は社会や人間はそんな善悪の二項対立でなりたつような単純なものではないことが示される。一人の同じ人間が美しいこともすれば、醜いこともする。あるとき、ある面は善人であるものが、別のとき、別の機会にはおぞましい振る舞いをすることは普通にあることなのだ。たいていの人は、状況によって、悪いこともすれば、いいこともするのだ。
登場人物のなかで一番若い、女性のインターンの正義感には清々しい気持ちになるのだけど、彼女とてこの世の善悪のあいまいさからは自由ではない。一人の人間が、矛盾無く、一貫して正しく生きることの困難が提示される。
最後の最後まで劇作的仕掛けが効いている。
戯曲の見事さという点では今年見た演劇の中では随一の作品だった。