閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

転校生

http://festival-tokyo.jp/program/transfer/

中ホールのがらんと広い空間が効果的に使われていた舞台だった。プロの役者ではない、「本物の」静岡の女子高生が出演する舞台。
教室に見立てられたひな壇状の舞台で、とある女子高の朝から放課後までが表現される。転校生がやってくる。ところが転校生は老齢の婦人なのだ。彼女自身、なぜこの学校に転校生としてやってきたのかわからない。とにかくこの日の朝、突然、彼女はこの学校の転校生となった。
16、7の人間が持ちうるゆらぎ、不安定感、幸福感、希望、そして絶望、あせり、こうした感情の数々が豊かな響きのポリフォニーを奏でる。舞台上の女子高生は、生々しいリアルな存在であるよりもむしろ寓話的・象徴的な女子高生像を具現したものであるように思えた。彼女たちのかしましい台詞のやりとりが、音楽のように共鳴しあって、象徴的な深みを生み出していたように思えた。

自我に目覚め、ことばでものを真摯に考え始めたあのころの問いかけは、実はその後もずっと自分の中で折りに触れ繰返し問い続けた問いであることに気づかされる。「わたしにとって世界とは何だろう」「わたしは何のために生きているのだろう」という素朴ではあるが、根源的な問いかけである。自分という存在を意識化するようになったあの年代、乏しい経験と知識のなかで自分について考えることで自分がかえってもろく、不安定なものになってしまう。どうすればいいのかわからなくなってしまう。このどうしようもなさと折り合いをつけるにはまだまだ年月が必要になる。

もっとも多くの小説を読み、もっとも熱心に映画を見た年代が高校時代だったという人は多いのではないだろうか。素朴で根源的であるがゆえに簡単にその解答を見つけることのできない問いかけの答えをそうやって一所懸命に探していたような気がする。