高校時代にしばしば行っていた兵庫県立近代美術館の版画コレクションに浜田知明の銅版画があって、そのユーモラスで幻想的な作風に魅了された。1980年代後半だ。近代美術館の版画室はいつ行ってもガランとしていた。
1996年に新宿の小田急美術館(小田急百貨店のなかにあった)で浜田知明の大規模な展覧会があり、その会場に作者本人がいたので購入した画集にサインを貰った。画集は滅多に買わないのだけれど、今、家でこの画集をあらためて見て、購入しておいてよかったと思った。
1960年代以降の風刺的でとぼけたユーモアのある作品群も悪くはないけれど、やはり中国の戦地での兵隊としての体験に基づく1950年代の《初年兵哀歌》のシリーズが圧倒的に素晴らしい。
町田市立国際版画美術館の会場もガランとしていた。静かにゆっくりひとつひとつの作品と向き合うことができた。美術館の広くて暗い空間のなかで、額装された作品に対峙する体験は、画集で作品を見るのとはまた別の鑑賞体験だ。
美術館で作品を見るときにはいつも、「ここで展示されている作品のなかで一点持ち帰ることができるとすれば、どの作品を選ぶか」を考えながら見る。私が選ぶとすれば、初年兵哀歌(風景)1952だろう。他にも迷う候補はあるのだけれど。荒野の中に女性の死体が転がっている。死体は裸体でその性器には細長い棒が突き刺さっている。その背景、地平線の手前に遠ざかっていく兵隊の列が小さく描かれている。
企画展のポスターで使われている《月夜》(1977)もいい作品だ。三日月のした静かに抱き合う男女、その姿はとろけるような倦怠と安らぎに満ちている。この作品は展覧会を企画した学芸員が選んだ「この一枚」なのだろう。
大学の美術研究会に銅版画用のプレス機があって、一度だけエッチングを数枚作成したことがある。版画は手順がいろいろあってかなり面倒なので、美術研究会在籍中にやった銅版画はその一回だけ。タンギーっぽい幻想風景画を作って、今思うとけっこう面白い作品ができていたように思うのだけれど、刷った作品は手元にない。