- 上映時間:162分
- 製作国:アメリカ/イタリア/メキシコ
- 初公開年月 2017/01/21
- 監督: マーティン・スコセッシ
- 原作: 遠藤周作 『沈黙』(新潮文庫刊)
- 脚本: ジェイ・コックス 、マーティン・スコセッシ
- 出演: アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライヴァー、浅野忠信、キアラン・ハインズ、窪塚洋介、笈田ヨシ、塚本晋也、イッセー尾形
- 映画館:シネマサンシャイン池袋
- 評価:☆☆☆★
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2時間40分を超える長尺の作品だったが。音楽をほとんど使わないストイックな演出が、作品の宗教的テーマを厳粛に浮かび上がらせる。日本の風俗描写には大きな違和感は感じなかった。ただポルトガル人司祭が英語を話すことに対する違和感はさいごまで私は消えることはなかった。とりわけ冒頭の中国で司祭二人がキチジローに会う場面で、中国人も含め、全員が英語で会話していることでひっかかる。複数の言語が劇中で使われているため、ベースを英語にしても整合性を取るのが難しい場面が出てくる。
リアリズム史劇なので、英語使用のご都合主義が機能していない場面が出てくると私は興ざめしてしまう。劇中の英語は「ポルトガル語」にあたると理解し、脳内言語変換して見られるようになったのは、だいぶたってからだった。この英語をポルトガル語をみなすという映画内ルールがうまくいかない箇所で記憶に残っているのは、切支丹農民が「paraisoに行けるんですよね?」と英語で司祭に尋ねると、司祭が「paraiso? おおparadiseか!」と返事したやりとりです。ポルトガル人なんだから「パライソ」でわかって欲しい。英語に直してようやく理解するとは。英語はこの映画ではポルトガル語なんだと考えても、映画のなかの江戸時代の農民、武士たちは、いくらなんでも外国語コミュニケショーン能力が高すぎるように思える。
映画のなかでは司祭はほとんど日本語を話さないのだが、実際の布教ではむしろ司祭や修道士たちが日本語を積極的に学び、日本人のほうはポルトガル語、スペイン語ができる人はそんなにいなかったのではないだろうか? そうでないとあれほど信者を獲得できなかったはずだ。
言葉のことが気になってしまったが、遠藤原作を忠実になぞった司祭の葛藤、キチジローの裏切りを軸とするドラマはやはり面白い。キリスト教側の論理だけではなく、日本の支配体制側の論理も、説得力あるものとして示しているところがこの映画のいいところだ。だからこそ司祭たちの迷いも深刻になっていく。
もう一つ、この映画を見て気づいたことは、踏み絵を拒否するというのは神に対する崇敬の表明だけでなく、権力の圧倒的な暴力に対する人間の尊厳を賭けた憤りの表現、決死の抵抗だったということだ。命を賭けての行為なので、踏み絵にはものすごく大きな勇気と決意が必要となる。それほどまでに当時の信者たちは追い詰められていたのだ。