【告知その2】#なまずツアー
— 平原演劇祭 公式 (@heigenfes) 2024年9月16日
「岩にせかるる浅川の」
10/20(日)12:00@吉川駅南口集合
1000円+投げ銭(食事代別)
出演:
空風ナギ
三島渓
一ノ瀬太郎
なまずにまつわるこの町を、モニュメントから芝居から水族館から料亭での実食までフルコースで散歩演劇するいちにち!#平原演劇祭 pic.twitter.com/lWkLwuTrB1
なまずの里として売り出している埼玉県吉川市での《なまず演劇》の企画は、そもそもは私のtwitter上でのつぶやきを平原演劇祭主宰の高野竜さんが見たことから始まったらしい。
youtubeで群馬県の雷電神社のそばにあるなまず料理屋の映像をたまたま見て、大学院生の頃、指導教授に連れて行ってもらった新大久保のなまず料理屋のことを思い出し、その流れでネットを検索したところ、埼玉県吉川市のなまず情報に行き着いた。
発端となったyoutubeの映像はこれである。
そしてネット検索して出てきたのがこのサイト。
指導教授に大学院生の頃、何回か連れて行ってもらった新大久保の「なまず家」は2008年に閉店してしまった。大宮にある寺の住職であり、破格の酒乱だった指導教授は、こういった類いの店によく連れて行ってくれたのだが、なまず料理はその珍しさとおいしさゆえに特に記憶に残っている。
5/25に下のポストをtwitterにするとすぐに高野竜さんから反応があり、5月のうちに取材をすませ、7月には上演台本を書き上げたようだ。
埼玉県吉川市になまず料理を食べに行こう!
— 片山 幹生 (@camin) 2024年5月25日
というツアーをやりたいわ。
料理プラスなにかが欲しい。お祭り、芸能、芝居がなんかあれば。 https://t.co/OxGzg3oxId
7月終わりに高野さんから「10月中になまず芝居をやりたのだが日程は大丈夫だろうか?俳優は確保しています」という連絡があった。台本にはなんと私の台詞も一言だけだがある。この時点で私は自分が上記のツィートをしていたことを忘れていた。まさか私のツィート一言で高野さんが上演を企画し、台本を書くとは思っていなかった。ただなまずは食べたい。私の台詞もあるとなれば、この公演はなんとしても行かなければならないと思い、10/20になまず芝居をやってくれるようお願いした。
そして10/20(日)の平原演劇祭 #なまずツアーでは、5/25に私がtwitterで投稿した内容が実現されていたのであった! 願えばそれを劇作家が叶えてくれる! 自分がルイ14世になった気分だ。そして高野さんはモリエールだ。高野竜さん、ありがとうございました。
集合場所の吉川駅はJR武蔵野線で、埼玉県東部、千葉県との県境の近くある。私ははじめて降りる駅だ。吉川市という市の名前も知らなかった。駅前のロータリーには金色に輝くなまずのモニュメントがあった。吉川はなまずで売り出している町なのだ。吉川は、古くから市内を流れる中川を利用した水運の町として栄え、昔からなまず料理を始めとする川魚料理が盛んだったと、このモニュメントを由来を記したプレートにはあった。ちなみにこのモニュメントの制作は人間国宝の漆芸家、室瀬和美である。表面の金箔の下には何層も漆が塗られているらしい。
水運で栄えた吉川市で川魚料理が盛んだったのはわかるとして、なぜなまずがこれほどまでにフィーチャーされるようになったかについてはよくわからない。吉川市のイメージ・キャラクターもなまずを図案化した《なまりん》だ。
観客は、私を含め3人だけだった。いずれも平原演劇祭の常連観客である。そのうちの1人、みかみさんはなまず料理に惹かれて参加を決めたらしい。高野竜さんに連れられて、まず駅から歩いて五分ほどのところにある中川の土手に向かった。土手のすぐ横には団地などが立つ住宅地だったが、晴天の下、川の美しい景色を眺めながら、土手の遊歩道を散策するのはとても気持ちよかった。
10分ほど土手の遊歩道を歩いていると、右手にある雑草が生い茂る広場に、金属製の環のモニュメントがあり、そこに派手な色彩の等身大の人形がからみついている。遠目では人形かと思ったが、近づいてみると人形ではなく、私たちの到着を待って待機していた三人の俳優たちだった。
観客三名が三つの環の中央付近に移動すると、芝居の本編「岩にせかるる浅川の」がはじまった。この芝居の上演時間は30分ほどった。俳優たちは珍妙な衣装とメイクで待機していたのに、観客が三人だけなのはちょっと申し訳ない感じがした。この緑地は「月の公園」という名前で、金属製のモニュメントは「月」を表しているらしい。三人の登場人物は、月の精みたいなもののようだ。ネット検索してみると、吉川市にはこの規模の市としては、モニュメント類が多い町だ。
https://www.city.yoshikawa.saitama.jp/index.cfm/27.32363,37742,c,html/37742/20130327-121400.pdf
芝居の内容はこの奇矯な扮装の三名が、三つの金属製の環のモニュメントをぐるぐると走り回りながら、吉川でなぜなまずがこれほどまでにフィーチャーされているのか、その由来を語るというものだった。役者たちの頬に「ほ」と書かれているが、これはこのあたりの地名である。埼玉県吉川市保(大字)、「保」(ほ)という一音節の地名なのだ。この地名の由来については、先ほど検索すると吉川市の「吉川の地名・町名のおこり」のウェブページで以下のように説明されていた。
保(ホ)
保は平安期の小荘園による称とみられる。保とはもともと隣保の義で、大宝令の五保の制度から受け来たるもので、家数に制限がなく、便宜の市街または郷村の一保内の人々が互いに相連絡して団体として自治を行ったもので、後世、この保が一地方を称する地名となって荘園郷保と並び称されるようになった。
しかしこの芝居での説明は上記とは異なっていた。ぐるぐると三つの月の環を走り回りながら、早口で話すのでよく聞き取れないところもあったが、吉川でなまずがシンボルとなったのは、雨を降らせたり、降らせなかったりする力をもったなまず神が吉川の水量を調整してくれたからだと言う。ところがこのなまず神は、月見が重要な娯楽だったこの地域に、満月の月夜によく雨を降らせるあまのじゃくなところがあった。それで村の人たちはなまずを頼りにしつつも、あんまり愛してなかった。ある日、菅原道真がどういう理由かわからないがこのあたりを通って、このなまず神に矢を放ち、三つにたたき切って、なまず神の意地悪を封じ込めた。その状態が保たれるように、この地は「保」という名前になった、という話だった。
上演中、小さい子供を連れた家族連れがそばを通ったが、この芝居の様子を眺めなつつも、立ち止まることなく、通り過ぎていった。
奇妙な由来話だが、平原演劇祭の高野竜ならではの、土地の伝承を取材した地誌演劇なのかと私は思っていた。史料から引用したような文句の引用もあって、いかにもそれっぽい。実はこれがすべて高野竜の創作であることをあとで知る。「岩にせかるる浅川の」 については、吉川の歴史に依拠せずに書きあげたという。また高野竜に騙されてしまった。実のところ、吉川でなぜなまずがこれほどまでに重視されているのかは、高野が調べた限りではよくわからなかったということだった。
この芝居の最後は以下の通り。
―― 情報量が多くてついて行けません。―― 大丈夫、これから天満宮へ行って水族館行って、そのあとナマズ刺し食べに行きますから理解できます。―― 芝居じゃない部分の方が多いじゃんか!―― そりゃあ、現代は一瞬、過去は数千年あるわけですから。じゃあ片山さん、案内よろしくお願いします。片山さん 了解。じゃあ出発再開です!
この月の公園から10分ほど歩いた芳川神社に天満宮があり、劇中で言及されていた菅原道真が祀られていて、さらにその先には吉川の地元河川に生息する魚がいる私設美術館がある。さらになまずの刺身がメニューにある老舗料亭も。
この後、実際にこのコースを辿ることになった。芝居では私がみなを先導することになっているが、私はもちろんこれらの場所に行ったことはない。俳優たちはこのままの扮装で町歩きして、料亭で飯を食べるわけにはいかない、ということで、しばらくこの公園に残って着替えることに。観客3名と高野さんの奥さんとで、とりあえず第一の目的地の芳川神社内の天満宮に向かった。
芳川神社の広くも狭くもない、町中にあるごく普通の神社という規模。主祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、『古事記』に登場し、大国主命の息子らしい。天満宮は芳川神社の境内に小さな祭殿があっただけ。他にもいくつもの神社の祭殿があった。芳川神社のおみくじも「なまず」キャラクターを採用していた。引いてみると大吉だった。
この神社から歩いて5分ほどのところに、中川をはじめとする吉川市内の河川に生息する生物が飼育されている私設水族館、《街のミニ水族館しおや》がある。普通の住宅の敷地内に、プレハブの水族館があった。
住民のしおやさんが自分で採集してきた吉川市の川の生き物たちを見ることができる。一般にも公開されていて、Googleマップにも掲載されていた。
https://maps.app.goo.gl/kspU7xRYgAaoxETz9
なまずももちろんいた。なまずは夜行性なので、白いプラスチックの筒のなかで眠っていたが、しおやさんが私たちのためにたたき起こして見せてくれた。青いザリガニも水槽にいた。しらすを餌として与えていると青くったと言う。しおやさんの説明を聞きながら、水族館を見学していると、着替えを終えた俳優たちもここで合流した。
《街のミニ水族館しおや》のあとは、いよいよなまず料理である。なまずの刺身をだす老舗料亭、糀家という店に行ったのだが、これが予想外の高級料亭だった。まさか平原演劇祭でこんな店に入ることになるとは。
創業400年の料亭のたたずまいにびびったのだが、高野さん曰く「これは片山さんが行きたいと行っていた店なんですよ」と言う。確かにツィートを遡ると、私がそんなことをつぶやいている。店内には国内外の有名な芸術家の芸術品がならぶ。
ただシックなたたずまいのわりには値段はそれほど高くはなかった。なまず天ぷら御膳が、2200円だ。私はせっかくの機会だからということで、なまず天ぷら御膳に加え、鯉の洗いとなまずの刺身を追加した。
料亭でなまず御膳を食べ終わって、#なまずツアーのプログラムは一応すべて終了。しかしこのあと、デザートとして中川の河原、武蔵野線の高架下で三本の短編芝居が上演された。この上演については高野竜さんは俳優たちには事前に知らせていなかった。その場で台本を渡して、演じさせるという無茶振りの上演だった。
こんな無茶振りに応えてしまう三人の若い俳優たち。とりわけ三島渓さんに渡された「台本」は、日本からの独立後に韓国の演劇人が提唱し、作成した日本語の舞台用語の韓国語への言い換えのリストというものだったので、渡されたときは非常に困惑していた様子だったが、なんとか無理矢理「演じきった」。
この高架下は、ときおり列車の通過の騒音で俳優の声がまったく聞こえなくはなるけれど、上演の場としては面白い場所だった。
午後5時前にすべてのプログラムが終了。中川の夕暮れの美しい風景をあとに、吉川駅へ。