関川夏央(NHK出版、2003年)
評価:☆☆☆
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1990年頃から1993年まで書かれたアジア、特に中国と朝鮮半島に関する論考をまとめたもの。東アジアの国々を見つめることが、日本の戦後の歴史を相対化する視線の獲得につながることが示唆されているように思った。著者特有の皮肉で気障ったらしい言い回しはこの論考集ではかなり鼻につく。こうしたスタイルは関川氏の文章の「味わい」の一つでもあるし、このスタイルが、関川氏に、常に対象との距離感を意識したバランスのとれた位置から語ることを可能にしているのだろうけれど。この関川氏の東アジア観察記を読んだ僕の感想は、「日本社会ってのはかなり多くの矛盾や欠陥があるとはいえ、中国や朝鮮に比べるとかなりまともなところなんだぁ」という素朴な感慨である。社会的不条理の中で先行きのみえない将来におびえつつ、もがきつづける日常。大多数にとって世の中というのはそういうものかもしれないけれど、隣国の人びとの巻き込まれている不条理は、日本の私のそれとくらべて、いかにスケールが大きく、絶望的なものか。
大学教員についての言及あり。この人の大学教員観にはいつもながらひっかかる。
大学で時間講師をやること自体が恥ずかしい。頼まれれば一度はやってみてもいいかと思う。しかしいざその場にたてばさして話すことなどない。誰だって似たようなものだろう。
そのうえおそろしく安い賃金をあてがわれる。最初から知らされていたのだから文句をいう筋合いはないが、やはり虚脱する。専任教員のことを考えるからである。なかには飛び抜けて優秀な人はいるにしても、それはほんのひと握り、さらに教師としての適性がいちおうありそうな者を除いたら、七割は大学外社会ではとても生きていけそうもない。そういった専任教員の待遇を維持する、そのためのつけが時間講師にまわされているかと思えば、むしろ情けない。「運命決定論」は救いか?p. 43
書いてある内容には異論はない。ただ関川さん、あんたが言うなよ、って感じ。関川夏央はこの文章を書いた前後に早稲田大学文学部の客員教授となった。奥付の経歴にも記載あり。客員教授とは3,4年の任期付きながら、大学管理業務を一切免除された上で、かなりの額の報酬を「客員」として享受できる身分である。金と大学教授という肩書きがもたらす「名誉」ゆえに客員教授をひきうけ、それが自分の文筆活動の営業にどれほど貢献したのか、就任期間中にどんなしごとを大学でしてそれに対してどれくらいの報酬を手にしたのか、関川氏が露悪的に書いた文章を読んでみたいものだ。
こんななめた文章を書いた人を「客員」待遇で教授として迎えるのだから、早稲田文学部の教員たちの「お人好し」ぶりもたいしたもんだ。
虚脱するような薄給をもとめて大学社会の最底辺をはいずり回る己の姿、確かに情けないし切ない。
しかし俗物的色気たっぷりに大学教員をひきうけて、そういった自己の浅ましさへの言及は一切せぬまま、大学教員は馬鹿だアホだとあざけるような作家には、こんなことは言って聞かせてもらいたくはないもんだなぁ。