http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/060310yubisaki/index2.html
障害者を主人公とする感動もののテレビドラマとなると普段はまず見る気はしないのだけれども,中村梅雀が出演するということで興味をそそられる.全盲全聾,すなわち目も見えなければ耳も聞こえない大学の助教授とその妻の物語である.二人のコミュニケーションは指点字と言う,両手指に指で信号を送る,点字を指先での刺激に変換した方法によってなされる.全盲全聾の人物に情報を伝えるために,通訳者は常に相手の両手を握っている必要がある.
全盲全聾の福島智は知的で精力的な人物であるゆえ,意思疎通の補助のため常に身体接触の状態にあり,長時間行動をともにする指点字通訳者が,恋愛関係に陥るのは不自然には思われない.しかし極めて活動的な福島智を,通訳者としての「仕事」としてではなく,配偶者としてそばでサポートし続けるのは過酷な「労働」に違いないことは容易に想像できる.互いによっぽどの信頼関係と思いやりがあったにしても,自分が福島の意思疎通,社会活動の「道具」でしかないのではないか,福島にとって都合のいい「奴隷」でしかないのではないかと,空虚な気分に陥る危険性が高いだろう.そしておそらく全盲全聾の福島にしても,彼がいかに高潔な人物であったとしても,そうした都合のよい考えは,結婚を申し込むにあたって皆無ではなかったはずだ.この夫婦は,少なくとも結婚当初は,互いにどこか後ろめたさとそれゆえの遠慮を抱えた夫婦であったように僕には思える.
ドラマでは妻の疲労と関係の破綻の危機の場面がしっかり描かれていた.きれい事に終始しない,こうしたリアリティへの配慮ゆえ,このドラマは普遍的なメッセージを持ち得たようにおもう.福島夫妻の事例は極めて極端な事例であるかもしれないけれど,健常者夫妻であっても夫婦関係は多かれ少なかれ相互依存的であり,その関係のバランスは案外崩れやすく,一方が一方に対して過剰に「サービス」を提供しているという不満は極めて生じ安いものであるように思えるからだ.ちょっとしたきっかけでバランスが崩れると,夫婦間においてはとりわけ露骨に「損得勘定」が頭をよぎりやすいように僕は思う.
願わくは,このドラマの夫婦のように,夫婦間の対立のあとに,互いの存在価値を認め,互いに尊重し合うような関係を補強できればよいのだけれども,現実にはなかなかそうはうまくいかない.どちらかというと,対立を繰り返すごとに,互いの不信感が増大していくことのほうが多いような気がする.
ドラマの話に戻る.ドラマの人物である福島智が,障害者でありつつ,知的で能力の高い人物という設定ではないと,まともに言えないような立派なことばを述べるのを聞くのが,気恥ずかしくもあり,感動的でもあった.泣かせどころの作りはオーソドックスであったが,夫婦間の葛藤の表現のリアリティという伏線が効いていたためか,素直に泣かされてしまう.