閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

シアターノーチラス『ラジエーター』

シアターノーチラス #13 『ラジエーター』

  • 作・演出:今村幸市
  • 出演:冨永裕司(シアターノーチラス)、関口純子、越路隆之、錦織佑(DropTownComunitty)、鈴木朝代、戸塚るり、御子神陽子(FPアドバンス)、ワタナベミノリ、相良康代(劇団milquetoast+)、誉田靖敬、栗山佑、沢本美絵、木村香織(演劇集団ふれる〜じゅ)
  • 劇場:下北沢 シアター711
  • 評価:☆☆☆

 いつまでたってもやって来ない高速バスを待つ人々の群像劇。ベケット『ゴドー』の一変種である。場所はとある高速バスのターミナル。深夜バスの到着を十数名の客が待っているけれど、バスは遅れていていつまでたってもやって来ない。バス会社の社員もその遅れの原因がわからない。運転手と連絡が取れないのだという。 

 

バスターミナルで展開する一幕一場の劇。十人以上の人物の個性をしっかりと書き分けた脚本はよくできている。各人物に見せ場がうまく振り分けられている。登場人物たちがすべてどこかいびつで歪んだ人間であるという設定がいい。しかしこの歪み、異常さはもっと極端でもよかったかもしれない。 

主題的にリアリズム劇としてではなく、象徴的・記号的な幻想劇として提示したほうが、うまくいったような気がした。エピソード、演出とも中途半端なリアリズムで、あまりにも明瞭にはっきりとエピソード、人物の輪郭を説明しているため、のっぺりした平板な印象の演劇になってしまった。曖昧さがないので、ニュアンスに乏しい。 

 

一緒の回を見ていた友人は、登場人物の出入りの処理がわざとらしいと指摘していて、なるほどその通りだと思った。始終十数人の人物を舞台に出していては話が進まないので、入れ替わりの仕掛けを劇作のなかに作らなければならない。その舞台を去らせるための仕掛けが、コーヒーハウスで時間をつぶす、という一点のみなので、不自然だ。 

 

一幕劇で暗転がない芝居というと平田オリザの芝居が思い浮かぶが、今日の芝居と比べてみるとやはり平田オリザは、人物の出入りの仕掛けの作り方が巧みであることがわかる。どうやって人物を出入りさせるかは劇作術の要のひとつだが、かなり高度な技術が必要とされるようだ。昨年、池袋コミュニティカレッジで『パズルがとけない』という喫茶店を舞台とした群像劇に出演したが、この台本を構成・執筆した田野さんが出入りの処理があまりうまく書けていないことをずいぶん気にしていたことを思い出した。

 

こうしたスタイルの一幕劇は平田オリザのみならず、昔から存在する。フランス十七世紀の古典劇は、三単一(場所と時間と筋をそれぞれ複数置かない)の規則に則って作られていて、人物の出入りが場の転換を示している。シェイクスピアの芝居は三単一の規則とは無縁だが、やはり人物の入れかえの処理が場の転換の基本となっていたはずだ。古代ローマ喜劇もそうだ。やはり劇作術の根本中の根本だ。古典劇を分析すればあらゆるパターンを取り出すことができるだろう。平田オリザはおそらく相当、こうした古典劇の構造などを研究しているように思う。