普段は研究や授業準備などで必要になった本を読むのに追われていて、新刊書を手に取って読む余裕がない。2024年に読んだ新刊書は10冊に満たないが、そのなかで特に言及しておきたい本が三冊ある。
一冊目は、韓国人の映画研究者、崔盛旭の『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』、二冊目は高柳聡子『埃だらけのすももを売ればよい』、三冊目は佐野キリコ『ドリームタイム』である。三冊とも著者は私とほぼ同年代(1970年前後生まれ)だ。この三人とはそれぞれ私は面識があるので、以降は「さん」という敬称をつけることにする。
崔盛旭(チェ・ソンウク)さんとは2023年秋に、私の出講先の一つである武蔵大学の講師交流会ではじめて会った。崔さんは武蔵には昨年度が初めての出講で、特に知り合いもいなかったようで立食パーティの会場で手持ち無沙汰な様子で佇んでいた。私も立食パーティでの談笑というのは得意ではない。たまたま近くにいた崔さんの名札に「朝鮮語」とあったのを見て、韓国映画・ドラマのファンの私はそろそろと話かけてみた。すると崔さんは映画研究者だといい、朝鮮語だけでなく、韓国映画と韓国近現代史をからめた授業も担当していると言う。このパーティでは私はずっと崔さんと韓国映画、韓国ドラマについて話をしていた。
新しい年度になった。偶然私と崔さんの武蔵大学への出講曜日が重なった。木曜日の午前中に私は2コマ授業があり、前期のあいだは午後はフリーだった。崔さんは木曜日の午後の3限に「日朝交流史」という科目を担当していた。シラバスには以下のようにあった。
日本の植民地支配によって帝国/植民地の関係から始まった日本と朝鮮は、日本の敗戦/朝鮮の解放後も、根強い反発を抱えながら、逃れられない影響関係の下に隣国としての交流を続けてきました。春学期では、年代順に日韓関係を追いながら、主に「政治」や「社会」の面での相互関係を辿っていきます。その際に、それぞれの時代やテーマに合った映画作品を教材として積極的に使用し、授業内では様々な映像を紹介します。
シラバスを読んで、私は崔さんの授業に出たくてたまらなくなった。初回の授業の前に私は思い切って、講師控え室にいた崔さんに自由聴講を申し出た。崔さんはちょっと「え!?」と驚いた感じだったが、了承してくれた。第一回の授業は、互いに少し緊張していたように思う。崔さんにとっては、一度パーティで話しただけの得体の知れない中年男性から聴講を希望され、多少警戒したかもしれない。一方、私も自ら希望したとはいえ、授業が期待外れだったらどうしようという不安を抱えていた。
しかし、その第一回の授業は、まさに私が求めていた内容だった。以降、私はこの授業に毎回出席した。昼食後の眠くなりがちな時間帯でありながら、崔さんの授業は一度も眠くなることなく、何度も「膝を打つ」ような気づきや発見に満ちていた。
崔さんは、近代以降の日朝関係の重要なエピソードを、関連する映画作品とともに解説するスタイルをとっていた。映画を通じて、各事件の背後にある民衆の感情や願望、誤解などの精神史が浮かび上がる。映画という大衆的な娯楽芸術が、同時に優れた民衆の精神史の資料にもなり得ることを実感した。
私はこれまで、韓国史や韓国文化には関心が強いほうだと自負していた。しかし、韓国・朝鮮の視点から見た日朝近代史は、これまでの私の認識にはなかった別の側面を教えてくれた。13回にわたる崔さんの「映画による」日朝交流史を受講できたことは、本当に貴重で得難い経験となった。
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書肆侃侃房から『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』が刊行されたのは4月末だった。ウェブ上での告知が出るとすぐに予約した。原稿の多くはウェブメディアの連載記事であるにもかかわらず、その記述の精度と密度の高さには驚かされた。私は夢中で読み進めたが、それでも読了にはかなりの時間を要した。
韓国映画には自国の近現代史を題材にした作品が多い。映画化された歴史的事実や人物には、当然何らかの虚構が付加される。その虚構がもたらす現実のゆがみには、韓国人観客の願望が投影されている。韓国の映画人は、ときに意識的に、ときに無意識的にそうしたゆがみを映画の中に取り入れる。そして観客もまた、承知のうえでそのゆがみを含む歴史を受容している。
崔盛旭さんのこの著作では、44本の韓国映画の歴史的背景を丁寧に拾い、映画表現とのずれを検証し、そのずれが持つ意味を説き明かしている。私はこの本で紹介されている映画の約半数を観ていたが、本書を読んだことで、それらをさらに深く楽しめるようになった。
崔さんには、韓国映画や日本映画、韓日史、韓国社会についてさらにお話をうかがいたい思いがある。映画の上映会や講演会を企画できればとも考えるが、今の私にはその余裕や力がない。またお話しできる機会が訪れることを願っている
高柳聡子さんとは、10年ほどまえに、一年間だけだったが非常勤講師として、同じ学校で同じ曜日・時間帯に授業を担当していた。彼女はロシア語、私はフランス語を教えていた。狭い講師室で二人だったので最初のころはかなり気まずかったのだが、次第に少しずつ打ち解けて雑談をするようになった。彼女からはロシア・ソ連映画についていろいろ教えて貰った。その後は、別の出講先で会ったときに会釈するぐらいだが、twitterなどでの彼女のツィートを見て、文学者、フェミニストとしての彼女の活動は追っていた。
『埃だらけのすもももを売ればよい』は、書肆侃侃房のウェブサイトのブログでの連載を書籍化したものだ。ウェブでの連載は全回ではないが、気がついたときにはアクセスして読んでいた。19世紀末から20世紀はじめ、帝政末期から革命という激動の時代は文学に限らず、舞台芸術、絵画、音楽などあらゆる芸術分野でロシアが輝きを放っていた時代だが、高柳さんが取りあげるのはこの輝かしい時代に活動しつつも、その存在や作品が現代には忘れられてしまった女性詩人たちだ。取りあげられた女性詩人のなかには、ロシア文学史という枠組みでは有名な詩人もいるようだが、私は一人も名前を知らなかった。ウェブ連載のときに読んだときに、詩の訳文の美しさと高柳さんによる詩の解説、忘れられた詩人たちをなんとか伝えようとする共感に満ちた丁寧な紹介文に引き込まれていたのだが、そのときからこの連載が本になるといいのになと思っていた。
Webでの連載が一冊の書籍になり、さらに文学性が凝縮されたような感じがした。19世紀末から20世紀初頭、激動の時代に生きたロシアの女性詩人の言葉に寄り添い、それを誠実に「私たち」に伝えようとする高柳さんの文章がたまらない。
本のタイトルとなった「埃だらけのすもも」という表現は、この書籍で最初に紹介されているアデーナ・アダーリスの詩の冒頭から取られている。
埃だらけのすももが あちこちの広場で
二束三文で売られていたとしても
賢き者も幸せなる者も 地上に囚われ
ごくささやかなこの恵みを受けとる言葉も知らぬ
芸術家とはそれまで誰もが見過ごしてきた「埃だらけのすもも」を見いだし、その美しさを伝えられる能力を持った人たちだろう。ペテルブルクの古書店で偶然手に取った本に記された百年前の女性詩人たちの言葉に目を留め、眩しすぎるロシア芸術の光の影で忘れられてしまった彼女たちの存在を、現代の日本の読者に伝える高柳さんも芸術家だ。文学者としてこのような仕事を世に出すことができた高柳聡子さんを私は心からうらやましく思った。文学に携わる者なら誰もがこういう本を書きたいと思うのではないだろうか。
野外劇団 楽市楽座は、2010年以来、移動式の野外円形舞台装置とともに、日本全国各地で公演を一家で行っている。2022年以降は、娘が結婚して離れてしまったため、長山現と佐野キリコの二人で巡演を行っている。2024年5月に東京であった公演を見に行ったときに、佐野キリコの二冊目のエッセイ集が会場で手売りされていたので購入した。長山との出会い、劇団の立ち上げ、娘の誕生と娘と一緒の旅興行の様子、そして娘の結婚と親離れなどのエピソードが、率直に、赤裸々に語り書かれていて、その筆致の健やかさが心地良い。楽市楽座と関西の演劇人やアーティストたちとのつながりも興味深かった。芝居の魔力に飲み込まれ、芝居に狂い、芝居とともに人生を歩んできた人間の面白さが凝縮されたエッセイだった。