閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2025/02/02 平原演劇祭「風のからだ」@新宿眼科画廊

https://x.com/heigenfes/status/1883226741847810407

「#風のからだ」

美術×演劇共存企画「からだからはなれない」
参加上演。長篇3幕を3日かけて高野、独り語りでやり切ります!

1幕「那覇」1/31 17時
2幕「上野」2/1 18時
3幕「対馬」2/2 13時

@新宿眼科画廊地下
幕見1000円+投銭
全通2500円(ともに展示込み) 

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新宿眼科画廊での美術の展覧会との共催企画として上演された高野竜さんの一人芝居、「風のからだ」を見に行った。ギャラリーの照明は落とされ、作品だけに照明があたっていた暗い空間だったので、演劇の上演空間としてもいい雰囲気になっていった。
クルド人のことが言及されていたりしたので新作なのかなと思っていたのだが、終演後に高野竜さんに聞くと23年前に書いた作品だが、今回が初演だと言う。なんせ三幕を通しで上演すると、4時間以上かかる見通しとのこと。一人語り芝居を三時間聞き続けるのは観客には耐えられないだろうし、演じる方もきつすぎるということで上演する機会がこれまでなかったとのこと。今回はその三幕が三日間に分けて上演された。
私は三日目、三幕「対馬」だけを聞いた。上演時間は100分ほどだった。観客は最初3名いて、途中から外国人が1名加わったが、4名のうち2名は途中退場した。

ラジオのスイッチを入れて、周波数を合わそうとしていたようだが、雑音しか聞こえない。上半身裸になった高野竜は、ゆっくりと譜面台の前に移動していった。高野竜作品にはモノローグ劇が多いが、この作品は100分の超長尺モノローグだった。BGMはない。ラジオから聞こえる雑音がBGM代わりか。途中、高野さんが鐘や太鼓を鳴らし、アクセントをつける。

語り手は最初、アパートの一室にいる。何らかの感染症に罹り、高熱があるようで、彼は譫妄状態にある。自分が見た幻覚の話から、過去の回想へと話は飛ぶ。この飛躍は唐突で、最初のうちは彼がどこで何について語っているのかよくわからなかった。語り手の「今」は日本のとあるアパートで、そこで一人暮らしをしている彼は熱病に冒されている。熱にうなされながら見る幻覚と過去の回想、そして回想から発展する妄想、この三つの世界が行ったり来たりしている。つい最近読み終えたばかりの筒井康隆の長編小説『敵』と同じような状況だ。

気がつくと男はインドの漁村にいる。彼はバックパッカーとして世界中を放浪していたようだ。その海辺の村で彼はフランス人の美しい娘キムと出会うが、彼女は水死体となって浜辺に打ち上げられた。LSDの幻覚が原因らしい。キムの連れのフランス人男ふたりはこの事態にオタオタとしている。
気がつくと場所は日暮里のアパートに移っていて、彼のかつての恋人だったらしいともこという女性との少々奇妙な性関係が語られる。ともこは自分が寝言を言ったらそれに返事するように彼に頼む。
「風のからだ」で語られているのは高野竜の実体験に基づくエピソードだと、終演後に聞いた。第三幕のタイトルとなった対馬は最後になってようやく出てくる。最後に彼は自分が対馬にたどり着いたことを認識するのだ。
私たちには、自分が生きる現実とその現実と地続きになっている妄想と現実を素材としながらそこから解き放された夢の世界という三つの世界が必要なのではないだろうか。そんなことを思った。ギャラリーの暗い照明はこの作品の世界の現出にふさわしいものとなった。

最初から最後までこの公演に立ち会ったのは私と、ジャミラ俳優の小林敬の二人だけだった。小林もいたくこの作品が気に入った様子だった。
死期を意識するようになった高野が書いた新作だと思って私あh聞いていた。実際には23年前、高野が30代の半ばに書いた作品だ。放浪の日々の果て、どこかのアパートで一人、高熱にうなされている男の回想録、あるいは妄想。高野竜の自伝的テクストであり、私小説の味わいがある語りものだった。
昨年出版され、群像新人文学賞を受賞し、話題になった豊永浩平『月ぬ走いや、馬ぬ走い』もこういう語りのパフォーマンスで見てみたいなと思った。だれか舞台化しないだろうか。