閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2025/08/02 のあんじー×まぼろし🐼ぽいぽい 『サイケ 人形の家』@ART SPACE BAR BUENA

のあんじー×まぼろし🐼ぽいぽい『 サイケ人形の家  』

  • 原作: ヘンリック・イプセン
  • 時 :2025/8/2(土) 19:30-21:00
  • 於 :ART SPACE BAR BUENA
  • 1000円+1D+投げ銭

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野外劇女性デュオ・ユニット、のあんじーは今回はパンダの着ぐるみのパフォーマー、まぼろし🐼ぽいぽいとの共演だった。明示された演目はイプセンの『人形の家』だが、これと平行して、演目として明示されないサブテクストとして岸田國士の『命を弄ぶ男ふたり』も上演に組み込まれていた。複数のテクストを合成して上演するのは、のあんじーがよくつかうスタイルだ。

会場は今回は野外ではなく大久保駅近くにある30平米ほどの広さのバーだった。上演はバーカウンターのなかを含む、バーの空間全体で行われる。最後は野外に出て終演だった。観客は15名ぐらいだったように思う。

 

「サイケ」とはあったが、今回はのあんじーとしては案外ふつうに戯曲が上演されたように思う。一幕と二幕の部分は上演されず、バーのカウンターのなかにいるのあが両手に手袋型の人形をつけて、この二体の手袋人形を対話させるかたちで説明する。この説明はかなり雑で、あんじーがときおり突っ込みをいれていた。この二体の手袋人形の名前は「修養」と「解放」らしい。何かほのめかしがあるのかもしれないが、よくわからない。そもそも会場には着ぐるみパンダだけでなく、大小様々な大きさの大量のぬいぐるみが置いてあって、上演中に《タランチュラ》が流れたら、観客は自分の好みの人形を取って、人形を踊らせるようにという指示があった。実際には上演中に3回ほど《タランチュラ》舞踊の場面があった。

そもそもなんでこんなにぬいぐるみがあるのかと思っていたのだが、さきほどxでのあんじーおよび平原演劇祭の常連観客のひとり、三上昭芸さんのtweetで上演作品が『人形の家』なのでそれに合わせてということだというのがわかった。

バー店内での上演中は、のあんじーの二人は店内を移動しながら、『人形の家』三幕の場面の抜粋と観客たちには題名を知らされないままの『命を弄ぶ男ふたり』を語るのだけど、パンダは特に劇にはからまない。パンダはパンダで店内を移動し、なぜか店内に置かれているミシンを操作したりしている。ミシンもわざわざ持ってきたのだから、劇の内容とはなんらかの関係はあるのだろうが、その関係はよくわかない。まぼろし🐼ぽいぽい が共演している理由もよくわからない。まぼろし🐼ぽいぽい は、かなり巨大で、圧迫感がある。薄汚れていて、なぜ洗わないのだろう?と思っていたのだが、薄汚れ、うち捨てられた感じも含めて、まぼろし🐼ぽいぽい みたいだ。このパンダは空風ナギの誕生祭にもそういえばいあように思う。
『人形の家』ではないテクストも演じられているなあと思って聞いていたのだが、それが『命を弄ぶ男ふたり』とわかったのは、これまで読んだり、舞台で何回か見ていた作品だからだ。ただもしかするとこれ以外のテクストも混じっていたかもしれない。『人形の家』の三幕と『命を弄ぶ男ふたり』はシームレスに接合されていた。『人形の家』の語りは、ノラとヘルメルの二人の会話に集約されていて、クロクスタやリンデ夫人は登場しない。

なぜこの2作品が合成されることになったのかについてはわからない。上演会場が大久保駅の近くで、総武線の線路沿いだったから『命を弄ぶ男ふたり』もということになったのだろうが、これが『人形の家』三幕の内容とどう結びつくのか。のあんじーなりのロジックはある可能性もあるが、『命を弄ぶ男ふたり』については観客には告知されていないので、要は『人形の家』を別のテクストで分断して、観客を戸惑わせ、混乱させたかっただけという気もする。戸惑わせたほうが面白いだろ、みたいな。40分ほど上演があったところで休憩が入る。
「休憩は間が持たない。苦手だ」とのとあんじーが言っていたが、休憩中も演者が観客と一緒にいたら、そりゃ落ち着かないだろう。手持ち無沙汰の15分ほどの休憩が入る。

休憩後は、のあがヘルメルを見限り、自立を決意する場面だ。このクライマックスがこんなに長い台詞があったとは。のあんじーの二人は稽古時間も限られていただろうに、よく台詞がはいるものだと思う。こののあんじー版『サイケ 人形の家』が思いのほかオーソドックスな上演であることは、下の映像を見るとわかるだろう。

youtu.be

このあと、上演の場は店外になる。総武線沿いの線路に沿い、大久保駅の改札までぞろぞろと移動する。ここで演じられていたのは、もっぱら『命を弄ぶ男ふたり』だったように思う。

パンダの着ぐるみは大久保駅の改札付近に待機していた。町中にでるとこのまぼろし🐼ぽいぽい の存在感はかなり強烈だ。ゴミ袋のようなものに入れられたぬいぐるみを路上で撒き散らす。そのまわりでのあんじーの二人のパフォーマンス。改札から出てきた通りがかりの人は、不審げな目でその様子を横目で見つつ、さささっと足早に去って行く。駅前のネパール料理屋の店員たちは面白そうに眺めていた。

https://youtube.com/shorts/zQFZo4dmas4?si=G1-50COhDtUT0uBl

今回の公演の「サイケ」の部分は、このまぼろし🐼ぽいぽい の存在によってもたらされたといってもいいかもしれない。とにかく底知れぬ不気味さ、不可解さがある。歪んだポップさと可愛さで、そこはかとなく不気味でグロテスクだった。これはのあんじーのあらゆるスペクタクルもそうではあるが。さらにこのパフォーマンスに集まってくる観客たちも、かなりどうかしているわけで、異様なオーラが発せられていた。

終演後はバーに戻り、のあんじーとまぼろし🐼ぽいぽい の今後の公演の告知などがだらだらとあった。どういう意図かよくわからないが、のあの提唱でバーでの上演中、パンダが縫っていたシーツらしき布を観客全員が被るというなぞの儀式も行われた。

今回ののあんじーの公演、悪くはないけど、いまひとつ切れ味のよさを感じない。上演のスタイルがパターン化してきていて、展開が予定調和っぽくなっているのが気になる。この方向でマンネリなるとしんどいかも、とちょっと思う。ただ若い二人なので、今後、何らかの突破口を見つけて、驚かせてくれることを規定している。