Ensemble Poesia Amorosa vol. III『麗しの歌、麗しの時代〜バロックを彩った女たち』

- 日時:2025年7月23日(水)19時開演(18時半会場)
- 場所:日本福音ルーテル東京教会
- 出演:アンサンブル・ポエジア・アモローザ
上野訓子(コルネット)
高橋美千子(ソプラノ)
頼田麗(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
佐藤亜紀子(テオルボ)
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女性4名の古楽ユニット、アンサンブル・ポエジア・アモローザの第三回公演を聴きに行った。昨年の第2回公演のレビューは以下にある。
今回は16世紀末から17世紀中頃にかけてのイタリアの女性作曲家が中心のプログラムだったが、私が知っていたのはジューリオ・カッチーニの《愛しい私のアマリッリ》だけで、他は作曲者名も曲も知らなかった。正直なところ、イタリア初期バロックの声楽曲は自分から積極的に聞くことはないジャンルだ。複数の旋律が絡み合い、音のテクスチャをうねるように織りなすルネサンス期のポリフォニーに比べると、通奏低音の上に単旋律の歌声を展開させるバロックのモノディ様式は、言葉を音楽に乗せて伝えるものだけに、歌詞の意味が理解できないと退屈に感じられてしまう。初期バロックに限らず、17世紀以降の歌曲は歌詞の意味が理解できていないと、その面白さを味わい、楽しむことは難しいように思う。
アンサンブル・ポエジア・アモローザ(以降EPAと記す)の当日パンフレットには、歌曲の歌詞が原文と対訳で掲載されている。その訳はすべてEPAのメンバーによってこのコンサートのためになされたものだ(高橋美千子訳が8曲、EPA訳が2曲、佐藤亜紀子訳が1曲)。この翻訳のクオリティの高さは特筆に値する。私はイタリア語はできないので、ラテン語とフランス語の知識を頼りにイタリア語の歌詞の内容を検討することしかできないのだが。演奏中に歌詞の原文テクストとその意味を確認することができることで、楽曲とパフォーマンスをより深く楽しむことができる。

演奏メンバーのコルネット奏者、上野訓子によるA4の用紙三ページにわたる解説も充実した読み応えのある内容だった。一般的にはほぼ知られていないイタリア・バロックの女性作曲家たちとその歌曲の紹介文には、楽曲の解説と作曲者についてのエピソードの紹介とともに、コンサート企画者、そして演奏者として彼女たちの存在と作品にどのように向き合い、何を感じ取っていたのかが伸びやかな文体で率直に記されている。この解説で紹介されていた16-17世紀のフェッラーラ公の宮廷で活動していたコンチェルト・デッレ・ドンネ(Concerto delle donne)という女性アンサンブルについては、その情景が目に浮かぶような生き生きとした筆致で書かれていた。
会場は昨年と同じ新大久保にある日本福音ルーテル東京教会の礼拝堂だった。この礼拝堂は天井が高く、響きがいい。
最初に歌われたマッダレーナ・カズラーナ作曲の「おお夜よ、空よ、海よ、岸よ、山々よ」O notte, o ciel, o mar, o piaggie, o monti が歌い始められたとたん、高橋美千子の歌声の圧倒的なボリューム感にガツンと大きな衝撃を受ける。あの力強さ、表現の豊かさ。異なる時空へと聴衆を導くコンサートの幕開けの宣言のような堂々たる歌曲であった。切なく苦しい恋の嘆き、田園の軽やかで遊戯的な恋、そしてキリストとマリアに捧げられた賛歌など、定型的な主題と修辞が連なるこれらの歌曲に内在するドラマを、高橋美千子の歌唱は見事に引き出し、鮮やかに浮き彫りにする。官能的な愛と神への愛の表現の源は同一の精神性であるように思われる。バロックのイタリア歌曲では、エモーショナルであることとスピリチュアルであることが共存しているのだ。言わずもがなのことではあるが、高橋美千子のように、ことばと音楽と身体が有機的に結びついた複合的で豊かなパフォーマンスができる歌手はそうそういない。歌声の豊かさと歌唱テクニックだけでなく、表情や動き、安定感のあるポーズなど、ステージ上の饒舌なパフォーマンスは歌詞の内容が憑依したアレゴリーのようでもある。飲み込まれてしまいそうな怖ささえ感じるときがある。
EPAではコルネットが編成に加わっているのが大きな特徴である。演奏で使われているバロック期のコルネットは細長い棒状のオーボエのような形状だが、cornettoとは「小さなホルン(角笛)」なので奏者の唇で音を出す金管楽器の一種だ。ただし響きは柔らかくて、金管の重厚さと木管の軽やかさの両方を兼ね備えたような音色だ。重さはあるけれど、可愛らしいというか。このコルネットが、高橋のエモーショナルな歌声と絡みあうのが、実に心地良く、快感なのだ。

EPAの音楽はソプラノ、コルネット、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボという小編成ながら、そこから紡ぎ出される密度の高い音楽は、曲線を基調とする細々とした装飾で埋め尽くされた重厚かつ華麗なイタリア・バロック様式の建築を想起させた。
今回のプログラムは、まさに16-17世紀のイタリアで活躍していた女性作曲家・演奏家への共感と愛に満ちたオマージュであり、21世紀日本の四人の女性演奏家によって、現代ではほぼ忘れられたイタリア・バロックの輝かしい女性音楽家たちが召還されたようなコンサートだった。私を含め、観客の多くは、新大久保の教会礼拝堂で、バロック期のイタリアの宮廷ホールにいるような気分を味わうことができたのではないだろうか。
このユニットは年に一回、公演を行う。年に一回しか聴けないのであれば、毎年聴きに来るべきコンサートだと思う。