閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2025/05/11 平原演劇祭─ヤギのいる古民家でビルマの出てくる演劇@宮代町古民家奈味

「バララゲ大学士の野宿」「はなうたのエレクトラ」

    • 日時2025/5/11(日)13:00-15:00 @宮代町古民家奈味 (東武伊勢崎線姫宮駅改札12:30集合)
    • 1000円+投銭
    • 出演:青木祥子、夏水、栗栖のあ、三島渓、一ノ瀬太郎

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2025年になってから初めての平原演劇祭観劇のような気がする。4月に平原演劇祭一泊二日の企画があったのだが、4月初めはこちらの予定が立て込んでいて私は参加できなかった。今回は平原演劇祭の本拠地である埼玉県宮代町での上演である。平原演劇祭の宮代町公演のメイン会場は、これまでは宮代郷土館敷地内に移築された築200年の古民家であったが、この古民家が「老朽化」のため使用できなくなったという。もとより古い木造家屋であるが、維持管理上の問題が生じたということであろう。

今回の上演会場も宮代町にある「古民家」だが、つい数年前まで実際に人が住んでいた新しい古民家である。居住者が亡くなったあと、リノベーションして昨年秋から民泊や時間貸しするようになったとのことである。

公演開始は13時だが、最寄り駅である東武伊勢崎線姫宮駅改札に12時半集合とあった。駅には高野竜さんが迎えに来ていた。ここしばらく鬱だったとtwitterの投稿にあったが、久々に会う高野さんは元気そうであった。集合時間に姫宮駅改札にいたのは私ともう一人の計二人だけであった。もう一人の方は60代ぐらいの男性で、平原演劇祭を見に来るのは今回が初めてのようである。出演者の一人である栗栖のあの知り合いで、教会の礼拝堂で聖書劇一人芝居の上演をされているとのことである。こういう演劇はぜひ見てみたい。公演告知と記録はインスタグラムでやっておられるとのことで、アカウントを教えてもらった。

公演会場まで車で行くのかと思えば歩きであった。駅前の低層住宅地を抜けて、田圃の畦道を歩いて10分ぐらいのところに、公演会場があった。

公演会場までの道すがら、高野竜さんに「高野さんって『芸能』の特質ってなんだと思っておられますか。自分が平原演劇祭でやっていることは『芸能』だと思っておられますか。あるいは『演劇祭』と名乗っている以上、芸能とは一線を画した演劇だと考えておられますか」という質問を投げてみた。今、平原演劇祭についての「新しい芸能」という観点から考察しようとする論文を書こうとしているところなのである。こういう創作に関わる質問には高野さんははぐらかさずにちゃんと答えようとする。「そういう質問は道すがらではなく、別に時間を取って聞いてもらったほうが」と言っていた。それはそうである。高野さんの健康状態が不安定で頭が冴えているときとぼーっとしているときの落差が激しいので、元気そうなこのときについ聞いてしまったのだが、質問の内容が重すぎる。すぐに気軽に答えられるようなものではない。

公演会場の古民家は、古民家と言っても宮代郷土館敷地にある旧加藤家住宅のような文化財的な趣はなく、ごく普通の「古びた」民家というたたずまいの家屋であった。実際、ごく最近までこの家で生活している人がいた。

r.goope.jp

現在の管理者は、この家屋の住人の遺族だという。昨年秋から時間貸しだけでなく、宿泊もできるようになっている。内装はリニューアルされているが、生活感は残っている。日本の田舎のいたるところにありそうなごく普通の農家である。十年ほど前に取り壊した、兵庫県山中の村にあった私の父の生家もこんな感じの家であった。敷地内には家畜小屋・農具小屋があり、そこには立派な角を生やした大きなヤギがいた。

おとなしいけれど、人懐こい山羊で、柵のそばに行くとこちらに近づいてきて、頭をかいてくれという。可愛い。山羊のいる家っていいなあと思う。家屋に入る前に、山羊にしばらく相手をしてもらった。

 

民家に到着したときには、こんな何もない郊外の田舎の田圃のなかにある民家にわざわざ泊まりに来る人はいるのだろうかと思ったのだが、今回の公演が終わる頃にはこの民家を私はすっかり気に入ってしまった。私の父の生家の雰囲気と似ていて、空間としてくつろげるし、内装はリニューアルされていて、トイレなどもきれいだし、冷暖房もある。そしてヤギもいる。田圃に囲まれた周囲のひなびた景観もいい。東京の都心からもそんなに遠くないので、外国人観光客なども関心を持つのではないかと思った。フランス語圏から友人がやってきたときには、都心の宿よりもここを紹介したいなと思った。

最初の演目は宮沢賢治原作の「バララゲ大学士の野宿」だが、上演前に包装されたまま板チョコを栗栖のあが、ハンマーで割って、それをみんなで分けて食べるというセレモニーがあった。このときはなんでわざわざ板チョコをハンマーで砕かなければならないのかと思ったのだが、これは「バララゲ大学士の野宿」上演への伏線になっていたことを終演後、帰宅してからの高野さんのXでのtweetで知った。作品中に大学士が鉱石採集する場面があり、採集にはハンマーで石を砕く必要がある。それにつなげる意図で板チョコハンマー割りを入れたとのことである。上演の現場でこれに気づいていた人はよっぽどカンのいい人であろう。高野竜さんの芝居にはこういう裏演出というのがかなり多くて、上演日、キャスト、場所だけでなく、何気なく行われている上演中の行為には何らかの意図があると思っていたほうがいい。虚実の境目と移行が精妙なのである。これまで何度も騙されてきて、あとで「あ、そういうことか」と気づくことがよくあった。もっとも気づかないままの仕掛けのほうが多いだろう。高野竜さんは、観客ないし演者も、自分の演出上の仕掛けは気づかなくても構わないと考えているはずである。ただこうした気づかれない遊びの数々が、高野竜の演劇の深さというか得体の知れない面白さにつながっている。

「バララゲ大学士の野宿」の宮沢賢治の原作のタイトルは『楢ノ木大学士の野宿』で、大学士の名前はバララゲではなく、「ならのき」だ。『楢ノ木大学士の野宿』は青空文庫でも読むことはできる。Xを検索してみると、高野竜が宮沢賢治の原作に基づきこの戯曲を執筆したのは、彼が崖から滑落して頭部に重傷を負い、入院した2022年の年末だということがわかった。作品構想はその数年前からあったらしい。

あの滑落事故以降、かなり長期にわたって高野竜はヘロヘロの状態であったが、まだ3年前のことであった。この一年ぐらいは彼の健康状態はその頃に比べると劇的に回復しているように見えるが、それでもまだ後遺症はあるようである。「バララゲ」は、『楢の木』のなかに、「バララゲの紅宝玉坑」というのが出てきて、この「バララゲ」は何だということが高野がこの戯曲を執筆するきっかけとなったからしい。結局このバララゲというのはよくわからないのだが、現・花巻農高第三応援歌は戯曲「種山ヶ原の夜」の挿入歌にも、オノマトペ的にこの語は出てくる。今回の上演の最後にこの歌を歌ったのはそういう意味であったのかと、今、ようやく知った。


『楢の木大学士の野宿』はこういう話だ。生成AIのClaudeに三行で要約してもらった。

宝石学者の楢ノ木大学士が「貝の火兄弟商会」から高級な蛋白石を探すよう依頼され、三晩の野宿をしながら探索の旅に出る。野宿の夜には岩頸の兄弟たちの会話、鉱物たちの病気の話、そして恐竜の夢など幻想的な体験をする。最終的に持ち帰った蛋白石は下等品だったため依頼人に叱られるが、大学士は意に介さない様子を見せる。

基本的に夏水が物語の登場人物を演じ、青木祥子が時折、演じられた内容につっこみを入れて、注釈するというかたちで進んで行く。鉱石の名前やら、バララゲ大学士こと楢ノ木大学士が放浪する地名やら、注釈が入らないと何がなにやらよくわからないものが台詞のなかに出てくる。平原演劇祭では、宮沢賢治の作品が度々取りあげられ、宮沢賢治が高野竜にとって重要な作家のひとりであることは明らかであるが、正直なところ、私には宮沢賢治の物語の面白さがわからない。平原演劇祭での宮沢賢治のみならず、とにかく宮沢賢治全般が私にとってはよくわからないのである。今回もやはりよくわからなかった。面白さだけでなく、いったい芝居のなかでどんな状況が語られているのかも。鉱石探索の学士の野宿のルートが、夏水の芝居と語りで話されるのだが、どのあたりを学士が歩いているのかイメージできなかった。まったく空想的な旅程で、実際には学士は野宿なんかしていなかったのであろうか。

夏水と青木の二人で、夏水の芝居がぼけ、青木の注釈がメタからのつっこみという感じで芝居は進行していく。このやりとりの雰囲気や二人の呼吸がなにかを連想させるなあと思いながら見ていたのだが、シェイクスピアの『夏の夜の夢』の最後の幕、職人たちの素人芝居とその芝居の進行を中断する貴族たちの批評、茶々入れのリズムを連想させるものであることに気づく。途中で栗栖のあが参入して、わちゃわちゃとかき回して、芝居はさらに混沌としたものになっていった。のあは、やけくそっぽいエネルギーに満ちていて、ハチャメチャな破壊者の芝居だが、芝居スタイルがこれ一本という感じがして、ちょっと単調に感じられた。

上演時間は1時間弱ぐらいであったように思う。最後は、「バララゲ」というオノマトペが出てくる、宮沢賢治作詞作曲の応援歌(「種山ヶ原の夜」の歌)で終わった。

終演後、大学士が採集してきた大した価値のない石のかけらを観客たちが分け合った。「下等な玻璃蛋白石」なのであろうか。

「バララゲ大学士の野宿」の上演が終わったあとは、軽食タイムとなった。今回供された食事は、ビルマの漬け茶葉のお茶漬けであった。この漬け茶葉は「ラペッソー」と言うらしい。

今回、なぜビルマ料理が選ばれたのか、実のところ、私にはまだわかっていない。「バララゲ大学士の野宿」には、大学士がビルマに鉱石を採集するエピソードが出てきた。そして軽食タイムのあとに上演された「はなうたのエレクトラ」では、エウリピデスの「エレクトラ」がベースではあるが、舞台は太平洋戦争終了後(おそらく)、ビルマが英国と戦った独立戦争に移されていた。高野竜さんが、ビルマでの茶葉の栽培は、イギリスによる植民地支配でもたらされたものだと言っていたような気がするが、それにしても今、なぜ、ここで、このメンバーで「ビルマ」という選択になったのかは、私にはわからない。茶葉のサラダは高田馬場のミャンマー料理屋で食べたことがあったが、今回のお茶漬けで使った漬け茶葉は唐辛子などのスパイスが効いていてかなり辛かった。高野竜さんもちょっとむせていた。細長い米を茶葉といっしょに炒めたものに、この漬け茶葉と白菜の角切りを載せて、さらにナッツ類を振りかけたものに、お茶をかけて食べる。平原演劇祭で出てくる食事はいつも美味しいが、このビルマ茶漬けも美味しくて、私はお代わりをした。他の観客の方々もたくさん食べていた。この茶漬け時間でお腹が膨れ、まったりとしてしまい、30分ほどが過ぎる

茶漬けのあとは、屋外に出て、古民家から歩いて5分ほどのところにある姫宮神社境内に移動した。姫宮神社境内は、東武伊勢崎線の線路のすぐわきにある。境内に入ると、すでにエレクトラを演じる三島渓は境内で寝転んでいた。

ビルマなのか古代ギリシアなのかよくわからない状況で、芝居が展開した。「はなうたのエレクトラ」の「はなうたの」もそういえばよくわからない。なぜ「はなうた」なのか。私は平原演劇祭の観客としては古株で、もっとも多くの上演に立ち会ってきた観客だと思うが、高野竜の芝居の意図や意味はいまだわからないことだらけである。「はなうたのエレクトラ」の上演時間は1時間を超えていたように思う。このうち最初の40分ほどは神社境内でのエレクトラ(三島渓)の一人語りである。三島は神社の境内を移動しながら長大で密度の高い台詞をしっかりとコントロールし、この境内の空間を一人で支配していた。姫宮神社境内のすぐそばを走る東武伊勢崎線は5分ごとに列車の通過がある。その通過音や踏切の音が劇伴環境音となっていた。三島エレクトラの台詞の内容は、ほぼエウリピデスのテクストに沿ったものであるように思えた。40分ほど、神社境内での三島の一人芝居のあと、再び上演の場は、古民家に戻る。

古民家では一ノ瀬太郎が演じる「オレステス」が姉のエレクトラを待っていたが、この「はなうたのエレクトラ」では、エレクトラは最後までオレステスが誰かわかっていないような感じであった。オレステスは戦場の様子をエレクトラに伝える伝令兵士であるが、自分の正体は明らかにしない。あるいは彼はオレステスではなかったのか。民家内での二人の芝居も30分以上続いたように思う。途中、集中力が途切れ、会話の内容が追えなくなり、ビルマと古代ギリシアの状況は私のなかで混沌としたまま終演となった。

平原演劇祭を見に行き、その上演の場に観客として立ち会うのは、私にとっては旅に行くのとほぼ同じようなことだ。平原演劇祭を見に行く度にそう思う。ずっと遠くにある彼の地で過ごしたような気持になる。

終演は午後三時半すぎ。午後4時までに会場を撤退しなければならないということで、バタバタと慌ただしい終演挨拶となった。そのあと、田圃の畦道を歩いて姫宮駅に向かった。