閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

チカパン ソロ・ライブ@MIMEMODE

Pantomime Week 4 MIMEMODE プログラムG あさぬまちずこ チカパン
http://pantomimeweek.com/WELCOME.html

  • 出演:あさぬまちずこ;チカパン
  • 劇場:銀座 MAKOTOシアター銀座
  • 上演時間:45分;50分
  • 評価:☆☆☆★(あさぬまちずこ);☆☆☆☆★(チカパン)
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パントマイムのソロライブの二本立て。

前半は一年の1/3をラオスで過ごすというあさぬまちずこのパフォーマンス。
http://homepage3.nifty.com/seroric/
五編からなるステージ。ラオスの自然からインスピレーションを受けたと思われるエキゾチックで神秘的なところのあるパフォーマンスだった。流木をくりぬいて作ったという仮面を使い、白布で体全体を覆うことで森の獣を表現したオープニングのパフォーマンスが一番興味深かった。仮面や編み籠といった道具を使ったパフォーマンスは土俗的で独特の雰囲気はあったけれど、各シークエンスを構成する「ことば」が乏しくて、表現としてひとりよがりに感じられるところもあった。音楽の選曲も僕の趣味からはずれる。とくに最後の「森で見た夢」で使われた戸川純の曲は、その魅力的すぎる歌詞ゆえにかえって表現を不自由な枠にはめているように感じられた。ひとりよがりという感想と矛盾するけれど、もっと徹底して抽象的、象徴的な表現を選択することで、土俗性が香り立つような神話的イメージを浮かび上がらせることができるような感じがした。

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後半はチカパンのソロ・パフォーマンス。
http://chicapan.cocot.jp/
この二月にシアター・トライアングルという人形劇、ピアノ奏者との三人組のユニットの公演を見て以来、彼女のファンになって、その後、彼女の大道芸を見に行ったりや子供向きワークショップに娘と一緒に参加したりしたが、マイムの本領ともいえるソロ・パフォーマンスを見るのは今回が初めてだった。
パントマイムは基本的に無言の身振り劇なので、それを味わうには演劇作品を見る以上に、観客の側に想像力が要求されるような気がする。マイムが身振りなどで提示するイメージに乗っかって、こちらの想像力をうまく広げていくことができるかどうかがポイントであるように思った。

これまで見た彼女のパフォーマンスは、シアター・トライアングルの公演は別として、断片的なものだった。シアター・トライアングルの公演は一つの総合的な世界を提示していたけれども、パントマイムのソロ・パフォーマンスとはまた別種のものだとも言える。これまでの彼女のパフォーマンスに含まれていたパントマイム的要素の断片から、僕は漠然としたものではあるけれども彼女のパントマイムの世界についての幻想を既に作り上げていた。実際のパフォーマンスが、この僕の頭のなかで想像された世界とは全く異なるものであり、そのために大きな失望を味わうことになることを実は恐れていた。ちょっとドキドキしながら公演を見に行ったのだ。

期待を裏切らない素晴らしい観劇体験だった。今もなお暖かくてやさしい、そして何ともいえぬ寂寥感、胸騒ぎのような不安感を伴う感動にひたっている。
6つのパーツからなる50分ほどのパフォーマンスだった。各パーツはそれぞれ独立した内容ながら、周到な計算のもと構成され、全体で一つの総合的世界をつくり出していた。

パンフレットにはパフォーマーがかつて見たという老役者のソロライブのことが綴られている。このごく短い文章自体が今回の公演全体の仕掛けとなっている。疲労困憊の状態にありながらも、観客の喝采に応えようとする老役者がいる。観客はそれを知って知らずかどん欲に、サディスティックに、役者を喝采によってしゃぶり尽くしていく。寓意的なこのエピソードは、今日のパフォーマンスの優れたイントロダクションになっていることに、終演間近になって観客は気づくことになるのだ。

オープニングの「まもなく開演」は開演前の役者の緊張がコミカルに演じられる。二番目の「今夜のおかず」は観客参加型の演目。観客もパントマイムを演じることで、パフォーマーとの想像力の擦り合わせが容易になる。一緒に演じることで、演者の出すさまざまなキューに観客の想像力がより深いレベルで反応し、彼女の提示する世界に同調していく。三番目の「びんづめ」はビートルズの《オブラディ、オブラダ》をバックに、なかなか空けることのできない瓶詰めをめぐる滑稽なパフォーマンス。「いろはにこんぺいとう」は演者は三人の子供を表情と動きによって巧みに演じ分け、子供時代のノスタルジーへと観客を誘う。
「ドラムロール」と題された最後から2番目に演じられたパーツでは、日々どん欲になっていく観客の無慈悲な喝采に応えるべく、演技をエスカレートさせ疲弊していく道化の姿が演じられる。そう、このパーツはパンフレットに書かれたいたエピソードを変形させて、舞台化したものになっているのだ。最後には道化は腹を切り裂いて腸を体内から引きずり出す。さらには頭部をくりぬいて脳漿を観客に示すことまでして、観客のどん欲さに応えようとするのだ。「さあ、見てくれ、これで満足か」。その不気味さ、おぞましさに戦慄を覚えつつも、その極端さに笑わざるを得ない。黒い固まりを胃袋に感じながら、僕は爆笑したのだ。このグロテスクな表現の向こう側に、芸を演ること、芸を見ることの双方が心の奥底に持つやましさ、業の深さを、感じずにはおられない。しかし陰惨で後味の悪い思いを観客にさせたまま、幕は閉じられない。詰めの「きっと、願いは叶うでしょう」はごく短いパーツだ。ウクレレの伴奏で《星に願いよ》の一節が歌われる。思わず涙がこぼれそうになるような切なく、暖かい余韻のなか暗転。

提示されるイメージはありきたりなものであるかもしれない。そして表現方法もパントマイムの技術としてそれほど斬新な技法を使っているようには見えない。しかしチカパンのパフォーマンスは構成力に秀でている。そしてたちの悪い催眠術のような危なさと毒も彼女の技芸には含まれていることが今日の公演では示された。イメージの連鎖が観客に饒舌に語りかけ、美しくグロテスクなコラージュを提示する。優れたパントマイム表現は、観客の想像力を押し広げる触媒の役割を果たすことを、彼女のパフォーマンスは示しているように思った。観客の想像力はパントマイムが提示する豊穣な寓意を味わうことによって、遥か遠くまで旅することができるのだ。