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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場『NORA』

演劇

http://www.norway.or.jp/norwayandjapan/culture/literature/ibsenfestival2013/#.UsBb7WRdUsY

  • 構成:アナマリア・エネスク Anamaria Enescu、ラドゥ・アレクサンドル・ニカ Radu-alexandru Nica
  • 原作:ヘンリック・イプセン
  • 美術:Carmencita Brojboiu
  • 衣装:Ioana Popescu
  • 振付:Florin Fieroiu, Hugo Wolf
  • 会場:東池袋 あうるすぽっと
  • 評価:☆☆☆

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場の公演はこの二月にヴェデキントの『ルル』を東京芸術劇場で見たばかりだ。『ルル』は17-18世紀のヨーロッパ各地の大学になった解剖学実習室(当時は解剖を見世物として公開していたのだ)を模した客席-舞台美術が非常に印象的だったが、芝居自体はよくできた「新劇」という感じで美術ほどには感心しなかった。俳優の技術は極めて高い。しかし美術以外の部分の演出はオーソドックス。

 

今回、イプセン現代演劇祭で上演された『NORA』は、2月とは演出家が異なる。『ルル』でタイトル・ロールを演じていたポピィが、『NORA』では脇役のリンデ夫人を演じていた。 舞台美術がいい。現代美術館の展示室を連想させる真っ白な空間で、奥行きが強調されている。上演中は原則的にずっとBGMが流れている。特に優雅でシンプルなワルツが作品の通奏低音のように繰り返し流される。このワルツに合わせ進行する劇行為は、流麗な動きの舞踊を思わせる。舞台奥には三つの扉がある。中央は赤色、その両脇に黒色の扉。細長い形のこの扉のデザインがかっこいい。奥にあるこの三つのドアから登場人物は出入りする。人物の動きは様式的で、ファッションショーを見ているかのようだ。台詞はおおむね観客に向かって話される。登場人物同士が横向きで対話するのは例外的だ。ふてぶてしい風貌の子役も含め、俳優たちの演技技術は高い。 

 

しかし物語の踏み込みが浅い。『人形の家』の見どころは、夫に依存し、人形玩具同然だったノーラが、ある瞬間に劇的に変化し、夫を逆に追い詰めていく逆転の場面だ。この劇的変化は、ノーラのダンス、そして夫との議論のなかで鮮やかに提示されるのが定番の演出だろう。ラドゥ・スタンカの今回の上演では、この最後のクライマックスも様式的に、お洒落に処理して、さらっと流す。拍子抜けの感じ。ノーラの人格に劇的な変化は生じない。 性的記号としての女性のあり方は演出では強調されていたのだが、その割には女優がおっぱいを見せないというのが、お約束ごとを感じさせて白けてしまう。ドイツの劇団だったら確実に脱いでいるはずだ。脱がなければあの演出では説得力を持たない。 

 

ずっとワルツの音楽が流れ、それに合わせて登場人物が装飾的、象徴的な動きをするという演出に既視感があるなと思っていたら、これとほぼ同様のコンセプトの演劇作品を2006年に見ていた。ドイツ座、タールハイマー演出のレッシング作『エミーリア・ガロッティ』である。様式性はタールハイマーのほうがはるかに高く、視覚的なインパクトも『ガロッティ』のほうが強烈だった。『エミーリア・ガロッティ』の初演は2001年。ラドゥ・スタンカのニカ演出の『NORA』の初演は2004年である。劇場を出るときに、ドイツ演劇の研究者の新野守弘先生がぽろっと言っていたのだけれど、この類似は偶然とは思えない。おそらくニカはタールハイマーの演出アイディアを模倣、いや剽窃している。 これがわかったとたん、『NORA』の舞台に感じていた美点はたちまち色あせてしまった。