- 原作:ヘンリク・イプセン『人形の家』Maison de poupée' de Henrik Ibsen
- 演出・出演:Jolente De Keersmaeker, Wine Dierickx, Tiago Rodrigues et Frank Vercruyssen
- 照明:Thomas Walgrave
- 衣装:An d’Huys
- 劇場:東池袋 あうるすぽっと
- 評価:☆☆☆☆★
- http://www.owlspot.jp/performance/131127.html
- http://www.kaaitheater.be/fr/e1086/nora/
-
====
開場になり、劇場内に入ると俳優たちは既に舞台にリラックスした佇まいで立っている。客席につく観客たちを舞台上から眺めている。ノーラ役を演じることとなる女優が舞台上にあるいくつかの小道具を手に取り、この小道具の値段がいくらだったなどと観客に話しかけている。彼女は舞台から客席に降りていき、フレンドリーな調子で観客に声をかける。英語のよくできる観客を通訳にして、観客と会話する。バーゲンなどを利用して小道具や衣装を格安で購入したことを強調していた。他の俳優は舞台上からその様子をにやにやしながら眺めている。
このノーラと客席の観客との対話の延長線上に、『人形の家』の物語が自然につながっていく。観客への語りから舞台上の登場人物の間でのコミュニケーションへと、継ぎ目なく滑らかに移行させる技術がすごい。開演前の観客との対話は、夫トルヴァルの転地療法の費用捻出のため、ノーラが夫に秘密で作った借金の返済のため、ノーラが夫に気づかれないように倹約をしていたという話に繋がっていく。舞台上の劇が始まっても、俳優たちは完全に役に没入していかない。観客を意識していることは、彼らの台詞の言い方、視線、動作、声の調子から伺うことができる。舞台上にはイスとテーブルしか置かれていない。ほぼ素舞台といっていい。舞台背景の足元付近にはクリスマスの飾りとなる電飾が水平方向に伸びている。演技場を区切る肌色のシートが中央に敷かれていて、舞台外側では場に登場しない役柄を演じる俳優が常に待機していて、舞台上の様子を見守っている。ランク医師とクログスタ、リンデ夫人と乳母の一人二役で演じられる。
このように舞台と客席の関係を常に意識させることで、ある種の劇中劇構造を作り出す、ブレヒト的な発想に基づくイプセン写実劇となっていた。シンプルな舞台と照明による視覚効果も実にいい。照明は白色とオレンジ色しか使われていないが、その組合せで印象的な視覚効果を作り出している。観客への「語り」の意識は上演中維持されているが、その強度は徐々に弱まっていった。次第に観客から切り離された自律した舞台世界の割合が増大していく。
途中まではイプゼンのドラマの作り方の巧みさが、この演出から浮かび上がってきた。しかし次第に劇作術よりも、この作品の主題のほうへと関心がシフトしていった。劇内世界、虚構部分の写実的演技も実に精妙だ。ノーラの人物造形が素晴らしい。ノーラはこの演出では、腹黒さはないけれど軽率な女性だ。英語で言うflippantという形容詞がぴったりはまる。しかしこの軽率さの強調が、結末の変化と決断をより鮮やかに対比させる。この転換のきっかけとなるのは、タランテラの踊りの場面である。か弱い存在で、状況に翻弄され、へらへらするしかなかったノーラの劇的な変化が、タランテラの激しい舞踊のなかではっきりと示されていた。
一見、独創的で非正統的な演出だけれど、原作の言葉は蔑ろにされていない。最後の夫婦二人の論争の緊張感へと展開は見事に集約されていく。われわれが『人形の家』という作品に伝統的に求めてきた見どころは、満足行くかたちで提示されている。
最後にもう一度、語りの外枠の世界に反転させるかと思えば、そうはせず劇中の世界で舞台は幕を閉じた。でもあのラストもいい。舞台が暗くなり、背景のクリスマスの電飾飾りがぱっと輝く美しい幕切れだった。