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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

髪結いの亭主(1990)

髪結いの亭主(1990)LE MARI DE LA COIFFEUSE

 

髪結いの亭主 デジタル・リマスター版 [DVD]

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  • 上映時間:80分
  • 製作国:フランス
  • 初公開年月:1991/12/21

  この映画をはじめて見たのは1990年、パリにいたときだった。町中でポスターをみかけ、「ああ、フランス語でも『髪結いの亭主』って言うんだ」と思い、興味を持って見に行ったのだ。女性の理容師に髪を切って貰うときに、密かに欲情した経験というのは、この映画の主人公、アントワーヌだけでなく、多くの男性にあるのではないだろうか。とりわけ思春期の時代の記憶として。『髪結いの亭主』はそうした男性の妄想を、くすんだ黄色のフィルタごしに撮影されたようなノスタルジックな色彩の映像とナイマンの滑らかで美しい音楽とともに、抒情的に描き出した作品だ。

 大学の授業のなかでこの映画を取り上げるのは三度目だ。最初に取り上げたのは4年前で、そのとき私はほぼ20年ぶりぐらいでこの作品を見て、そこで描き出される抒情の表現の深みにすっかり魅了されてしまった。この作品を見た20年前の、若い頃の私の思いも蘇ってきた。作品の前半はアントワーヌのナレーションが多用されていて、彼の少年時代の回想とマチルドとの10年間の愛欲の生活の二つが両方とも、ナレーションの枠内で展開する構造が強調されている。これは語りの時点では失われ、取り戻すことのできない追憶の物語なのである。作品に漂うノスタルジーは、私自身の20年前の思い出と重なり、さらに味わい深いものとなった。

 この映画では徹底して官能的な愛しか描かれていない。マチルドはとにかくその存在そのものがエロティックな芳香を放つ官能のアレゴリーである。愛の喜びは、死と孤独との対比によって、よりいっそう際だったものになっている。「愛と死」は伝統的で定型的な組合せなテーマだ。『髪結いの亭主』ではこの主題をごくシンプルに、しかし徹底して表現されている。孤独もまた、彼らの非現実的な愛の成立の条件づけとなる。マチルドにもアントワーヌにも友人はいない。あの散髪屋の小さな空間が彼らの世界であり、その世界の住人は彼ら二人だけだ。あのミニマルな世界こそ彼らにとっては全てであり、完全なものだったのだ。愛のさなかにあると、人は盲目になり、二人だけの世界で自足してしまう。彼らの床屋はそうした愛の最も濃厚な瞬間にかたちをあたえたアレゴリーとなっている。官能の喜びは生を肯定的な意味でもっとも強く感じさせてくれる。

 孤独であることは作品のなかで繰り返し強調される。彼らの店を訪れる客たちもそれぞれ孤独を抱えている。人は孤独ゆえに他者を愛するのだ。最後の場面で自分の分身ともいえる存在を失ったアントワーヌの孤独の深さが見事に表現される。あの場面は見る度にたまらない気分になる。しかし濃厚な愛の記憶を反芻しながら残りの人生を送るアントワーヌは孤独であるけれども、その記憶ゆえに充足し、幸せであるように私には思えた。

 愛についての陳腐なステレオタイプをシンプルに表現した作品であるが、愛の場景のディテイルの丁寧で執拗な描写によって、五感に訴える極上の官能的陶酔を観客にもたらすことに成功している。