閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

平成29年度渋谷学研究会「民俗芸能の舞台公演―その歴史・意義―」

www.kokugakuin.ac.jp
日時 | 平成30 年3 月15日(木) 13:30 ~ 17:30
会場 | 國學院大學渋谷キャンパス 5号館 5301教室

今、日本は空前の民俗芸能ブームとのことだ。東日本大震災が東北における民俗芸能の再興のきっかけとなったいう。被害の大きかった東北太平洋沿岸はもともと民俗芸能の豊かな地域だった。地域コミュニティの再構築、郷土意識の覚醒の核として、民俗芸能の機能が注目されるようになった。

これに伴い東京でも日本各地の民俗芸能の上演の機会が多くなった。このシンポジウムの問題提起は、本来の上演の時と場から切り離され、東京の劇場空間で上演される民俗芸能をどのように評価するかということだった。

共同体の祭から離れ、都会の劇場で演じられると、当然奏祭者(=伝統芸能の演者)と観客の関係は大きく変わる。東京の劇場で未知の観客の視線にさらされたり、他の芸能の奏祭者たちと交流を持ったりすることが、奏祭者の意識や芸のあり方に必然的に変化をもたらす。この変容をどうとらえ、評価するか。地域の閉鎖的な環境のなかで保存されてきた伝統が、舞台公演によって変化してしまうことを危惧する研究者は少なくない。しかしこうした新たな上演機会の獲得による衰退していた伝統芸能の活性化、表現の刷新といった肯定的な面もある。

 

今回のシンポジウムでは3人の報告者がいたが、それぞれの立ち位置は異なったものだった。一人目の小川直之氏は民俗学者で、研究者の立場から地方の伝統芸能を考察するだけでなく、宮崎の神楽を東京に招聘し、公演を行う活動にも関わっている。彼が参照するのは折口信夫が民俗芸能上演を國學院大學などでやったときの姿勢だ。二人目の報告者、舘野太朗氏は素人歌舞伎の実演者でもあり、演劇研究者でもある。彼は大正期の坪内逍遙のページェントの試みに注目し、ページェントという大規模素人地域演劇のコンセプトを引き継いだ坪内の弟子、小寺融吉の郷土舞踊の活動に現代における民俗芸能上演の可能性を探る。三人目のパネラー、小岩秀太郎氏はもともとは郷土芸能の担い手だったが、今は全日本郷土芸能協会という組織の一員であり、この協会のスタッフという立場から伝統の継承/新しい表現の創造、伝統の保存/活用という現在の地域芸能の葛藤の状況を述べた。

 

私は昨年から地域素人演劇研究のグループに入って調査をはじめているが、このグループに入ってから気づいたことは、日本各地で行われている地域素人演劇活動の数々は、私の研究フィールドである中世13世紀アラスの都市市民世俗劇上演を考える上で多くのヒントが含まれているということだ。

13世紀アラスの演劇、あるいは中世フランス演劇は、17世紀以降の古典主義以降の作家主義、芸術的演劇の歴史のなかにおさめて考えるよりも、地域のアマチュア演劇としてとらえ、その上演・創作活動が地域コミュニティに対して持っていた公共性を軸に作品を読み解くほうが実り多いように思うようになったのだ。
つまりこういうことだ。中世フランス演劇は極めてローカルで、とある地域の特殊な条件のもとに成立した文化現象である。しかしそのローカルな演劇のあり方が実は普遍的なものであるということが、現代日本の地域素人演劇研究から見えてくるだろうということだ。この仮説はおそらく正しい。論証するにはもっと勉強しなくてはならない。逍遙のページェント論は私としてもしっかりと検討しておきたい。そして論文の形で発表しなくてはならない。

今日の発表は私は門外漢といっていいのだけれど、中世フランス演劇のみならず、自分の演劇観を問い直すような示唆がいくつかあった。4時間半にわたるシンポジウムだったが、聞きに行ってよかった。