閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

風回廊

宇宙堂
http://uchyudou.moo.jp/300/kazekairou/kazekairou_index.htm

近未来の廃墟となったタバコ工場とそこで働く人たちが住んでいた団地を舞台に、喪失した故郷の過去に回帰しようとする試みを叙情的に描く音楽劇。設定もそうだが、ディアローグの時に韜晦を感じる修辞、ギャグののりもそれがいかにもちょっと前の「小劇場」芝居風である。脚本で提示される物語は若干混沌としてリズムが悪い。類型的な見解の提示にとどまり、いささか陳腐な風刺ネタが劇中に挿入されるが、こうしたあまり面白くない風刺は、この作品の美点である叙情的で美しい舞台表現を損なっているように思った。
社会風刺ネタ、それも物語設定の核として「タバコ」が用いられている。舞台上の世界ではタバコはすでに存在しない社会である。かつて人びとでにぎわった団地が廃墟になってしまったのも、嫌煙運動によりタバコが社会から追放されたのが原因である。
おそらく喫煙者であろう渡辺えり子は「嫌煙ファシズム」について何か言わずにはおれなかったのであろう。しかしこの皮肉は空回りしてしまったように思えた。おそらく世田谷パブリックに芝居を見に来るような連中は「禁煙」派がマジョリティのはず。喫煙者にシンパシーを持っている者は少数のはずだ。禁煙問題風刺ネタの場面では見事に観客の雰囲気が「引いていた」ような気が僕にはした。叙情性、ノスタルジーを喚起する小道具としてタバコを用いるのは、今の日本ではいかにも場違いな印象をもたらしてしまう。

照明の変化を効果的に使った視覚に訴える詩的でイメージ豊かなシーンが豊富な舞台で、特に大駱駝艦の舞踏家たちがパントマイムで演じるいくつかのシーンは印象的だった。Cobaが担当した音楽は官能的かつ叙情的でかっこいいし、極めて変則的な組み合わせのアンサンブルも面白い効果を生み、美しいシーンに彩りを添える。
ただ物語は凡庸でダイアローグの切れが悪く、観劇中は若干の退屈を感じていた。
最後の幕切れのシーンが強烈に美しかった。失われた故郷、幼き日の自分への郷愁を、廃墟のイメージに重ね、駱駝艦の面々がパントマイムで再現する。もちろん生演奏の音楽が泣かせどころのフレーズたっぷりの旋律を奏でる中で。「芝居で泣かせるんじゃなくて、こんな『仕掛け』で泣かせるのはずるいなぁ」と思いつつ泣いてしまった。音楽、舞踏も芝居のうちとはいうものの、今回の演目では芝居・音楽・舞踏の三セクションの中で、本体たる芝居よりも、音楽・舞踏セクションがはるかに出来がよく、「芝居」の部分がその出来の悪さ故に浮いているように思ったので。冗長・退屈も感じた芝居だったが、終わりよければまあいいかという感じ。渡辺えり子は舞台の美術センスに長けている。他の劇作家の脚本の演出作品を観てみたい。

役者の中では少年時代のアコーディオン奏者を演じた加藤記生が印象に残る。ガキを演じていたのだが、少年ぽくてかつ達者。定型的な体の動きが様になっていた。