小谷野敦,「悲望」,『文学界』,第60巻第8号(2006年8月号),p.16-74.
評価:☆☆☆☆
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「もてない男」小谷野敦による私小説.カナダに留学してまで片思いの女性を追い続ける主人公の男性は明らかに著者の分身.彼の一方的な恋愛の犠牲となった女性のモデルもおそらく実在するのだろう.恋愛経験のなさと決して「昇華」させることができない性衝動に苦しみもあだえる「もてない男」が独りよがりの恋愛妄想を膨らませていき,相手を徹底的に苦しめるさまが生々しく描かれている.その恋愛とは,自己のきわめていびつな恋愛幻想をある女性に一方的に投影するだけの相互コミュニケーションを欠いた利己的な欲望の実現にすぎない.それは相手を恐怖させ苦しめるだけであり,その結果,相手からの決定的な拒絶によって己のプライドも最終的にはずだずだにされる自虐的な行為となる.こうした悲惨な結果は十分に予知していながら,それでもなお一度「恋愛衝動」のスイッチが入るとこの無残な自己破壊行為をとめることができない.ある種の狂気であるし,この狂気にとりつかれてしまうほどそれまでの主人公の絶望が深かったことを想像させる.
恋愛感情の錯覚と不器用な告白の場面のリアリズムはあまりに痛々しくて読んでいるこちらの胸が締め付けられる.そう,この身勝手な恋愛妄想に身もだえする主人公の滑稽さと醜さに,僕は感情移入せずにはいられないのだ.恋愛,それも実らない恋愛の残酷さ,滑稽さ,おぞましさ,醜悪さを誠実に描いた佳編.