(財)可児市文化芸術振興団
http://www.kpac.or.jp/himawari/
- 作:柳美里
- 演出:金守珍
- 舞台美術:大塚聡+百八竜
- 照明:泉次雄+ライズ
- 音響:大貫誉
- 振付:大川妙子
- 殺陣:佐藤正行
- 小道具:広島光
- 衣装:渡会久美子
- 劇場:初台 新国立劇場小劇場
- 評価:☆☆☆☆★
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美しいことばによって彩られたモノローグの重なりが描き出す濃厚な叙情性に魅せられた。
いつもどおりの金守珍節満載で、説明過剰でべたな演出である。しかしときに観念的すぎるようにも感じられる柳美里のテクストを舞台化するにあたっては、金演出のようなベタさは案外相性がよいのかもしれない。舞台美術がとても美しい。とりわけ最後の場面の強烈な印象をもたらす。
柳美里の芝居は一度見てみたいと思っていた。
僕が演劇作家としての彼女に関心を持つようになったのは昨年の夏ごろのことだ。
柳美里はこのころブログで阿佐ヶ谷スパイダース主宰の長塚圭史演出の公演にヒステリックなほど強烈な拒否反応を表明する一方、昨年『文学界』10 月号の演劇特集では岡田利規、前田司郎、三浦大輔と談論し、彼らの作品への共感を示していた(皮肉なことに、この号の『文学界』には柳が嫌悪する長塚の戯曲が掲載されていた)。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai0710.htm
柳美里が東京キッドブラザーズのメンバーだったこと、そして岸田戯曲賞をとった劇作家であったことは知っていたが、彼女がどんな演劇作品を作っていたのかは知らなかった。上記の反長塚の舌鋒の激しさ、そして「ハイパーリアル」演劇の旗手ともいえる若手三人との談論の内容から、柳美里がいったいどんな芝居を作っていたのか、好奇心をそそられた。
岐阜県にある人口10万人ほどの都市、可児市の文化センターの企画で柳の作品が久しぶりに舞台にかかり、しかも演出が新宿梁山泊の金守珍だと知って、僕は発売早々にチケットを買った。戯曲をチケット購入後に読んだ。象徴的なイメージに富んだ断片的場面が並べられた作品はわかりやすいものではなかったけれど、非常にイメージ喚起力の強い、面白そうなテクストだと思った。
というわけでこの公演にはかなり期待していたのだ。
柳が『文学界』で対論した若手三人が作る演劇とは、ある意味、対極的な美学の舞台だ。役者は観客のほうに向かい朗々とモノローグを述べる。台詞にはしばしば紋切り型な音楽がかぶさり、情感を強引に盛り上げる。役者の表現も定型的でそんなに上手という感じはしない。しかし彼らが伝えることばの美しさと力強さに、こちらの心を揺さぶられずにはおられない。母を喪失し、ほとんど崩壊している家族のイメージにすがりつこうとする兄、妹、父の姿が、「韓国人」というもろいアイデンティティのすがりつつ精神の彷徨を強いられる在日韓国人の状況と重なる。自分の存在のよりどころがほとんど無化されているのを自覚しつつも、その虚像としてのよりどころにすがらずにはおられない人々の悲しみを、詩的なディアローグを重ねることで、象徴的に描いた美しく感動的な作品だった。こういった美しいことば(そのイメージは紋切り型に感じられることもあるけれど)の連なりに酔える舞台は滅多にない。
文学座の松山愛佳の美貌(なんて可愛らしい顔立ちなんだろう!)も堪能できたし。彼女が歌謡ショーさながらに歌う場面があったのだが、そこで披露した歌声も見事で聞き入ってしまった。
それにしても人口10万人弱の地方都市の文化センターでこうした質の高い芝居を作ることができたことは大きな意義があると思う。役者、スタッフは可児市に二ヶ月間滞在し、この舞台の製作・上演に携わったという。可児市の公演では1600人以上の観客を動員したそうだ。こうした質の高い演劇公演の実現によって文化発信できたという実績が、この都市の住民にとっての誇りと自信となればなあと思う。