http://festival-tokyo.jp/program/clouds/index.html
- 作:エルフリーデ・イェリネク Elfriede Jelinek
- 翻訳:林立騎
- 構成・演出:高山明
- 出演:暁子猫
- 映像:宇賀神雅裕
- 舞台監督:清水義幸
- 照明:江連亜花里
- 技術監督:井上達夫
- 制作・ドラマトゥルク:林立騎
- 上演時間:80分
- 劇場:にしすがも創造舎
- 評価:☆☆☆
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高山明の個人プロジェクトであるPort Bの公演を見るのはこれが三回目だ。最初は昨年三月の町歩きRPG風イベントの『サンシャイン62』、次は六月の廃虚となった図書館での演劇的インスタレーション『荒地』。
いずれも「物語」を観客に提示する一般的な意味での演劇ではなく、ゆるやかな物語的枠組みと演劇的な場は設定されているもののの、そのなかで比較的自由に観客が動きまることができる、演劇とインスタレーション美術の混合した形態の公演である。丁寧な取材を経て選定された場の設定に工夫があって、その意外性ゆえに観客参加型のパフォーマンスとしてはとても楽しめるものだった。ただこれまで僕が観客として「参加」した二作品においても、そこで提示される「物語」の枠組みには紋切り型を感じ、その提示の仕方には押しつけがましさを感じた。
『雲。家。』はオーストリアの女性作家、イェリネクのテクストに基づく作品だ。実質的にはかっこいい、洗練された美術の中で、一時間二十分、淡々と読み上げられる詩の朗読を聞くというものだった。これまで見た二作品と異なり、観客参加の要素がない。単調に感じられ、僕は退屈した。「われわれは…」という主語が何百回も繰り返される詩のテクストが読経のように暗い空間のなかで響く。アジアの国の留学生がことばについて雑談する映像や『サンシャイン62』以来、高山がこだわってきたサンシャインの風景の映像がときおり背面に映し出され、それらはもちろん詩のメッセージと重なり合うものなのだろうけれど、その重なり合いは説明不足でひとりよがりのものにみえた。
正直なところ、絵としての洗練と美しさはあるけれど、表現としてどこかそらぞらしい。1969年に生れ、ドイツ語圏で演劇活動を続けてきた高山明がこの表現を選び取り、このメッセージを発することを望む口実が僕にはみえない。美しく厳しい詩のことばが劇場のなかを虚しく木霊する。