閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

火の顔

http://festival-tokyo.jp/program/fireface/index.html

  • 演出:松井 周(サンプル)
  • 作:マリウス・フォン・マイエンブル
  • 翻訳:新野守広
  • 美術:杉山至+鴉屋
  • 照明:西本彩
  • 衣裳:小松陽佳留(une chrysantheme)
  • 演出助手・ドラマトゥルク:野村政之
  • 舞台監督:鈴木康郎+鴉屋、寅川英司+鴉屋
  • 出演:猪股俊明 大崎由利子 野津あおい 菅原直樹 岩井秀人(ハイバイ)
  • 劇場:池袋 東京芸術劇場 小ホール
  • 上演時間:90分
  • 評価:☆☆☆☆
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作者のマイエンブルグは松井と同年の1972生の若い作家。『火の顔』は数年前にベルリンのシャウビューネ劇場が日本で上演したが僕は見逃している。

ここ数作の松井周演出作品のなかでは一番好きな舞台となった。他者の戯曲という距離感によってよい具合に作品が対象化され、松井周独特の悪趣味がバランスよく収まった感じがした。

まず美術がすばらしい。松井周の舞台は毎回美術に特色があってインスタレーション芸術的な面白さがあるのだけれど、今回もテクストの世界を隠喩的に表象した印象的な美術だった。幅5-6メートルの白い板が「床」として右下から左上にゆるやかに傾斜して置かれている。その「床」の中央部をくりぬくような形でテーブル上の板が舞台を横断する形で水平に伸びている。舞台中央左寄りには鉄パイプの柱が上に向って伸びている。中央の水平にのびる細長いテーブル上の板は、家族が食事をとるテーブルとなったり、書斎の机となったり、寝室のベッドとなったり、屋内の廊下とみなされたりする。左手には粗大ごみのようにソファなどが乱雑に置かれている。背景は倉庫を思わせるがらんとした暗い空間で、中央奥ではロウソクが一本灯っている。

姉弟が思春期を迎えることによって、それまで欺瞞のなかで辛うじて均衡を保っていた人間関係のバランスが崩れていく、というのは珍しくない設定だが、松井演出では家族内でタブーとされる性的な主題に強調することで家族関係の歪みをさらにグロテスクに、黒いユーモアとともに増幅させる。
登場人物は父、母、姉、弟、姉の恋人の五名。自己中心的で家族内関係に何の実行力も持っていない偽善的な父親、子供の性的成長に無頓着な母。夫婦は互いに関心を失っているようだ。弟は姉と性的関係を持つが、姉は恋人ができると弟との関係を絶つ。弟は内向し、火炎瓶、爆弾作りに熱中していく。姉の恋人は次第にこの家族の退廃の空気のなかにとりこまれていく。弟は嫉妬から姉との関係を姉の恋人に暴露する。逆上した恋人は姉を口汚く罵る。恋人から投げ掛けられた侮蔑がきっかけとなり、姉は弟ともに内向し、弟とともに火炎瓶での放火を行う。中産階級家庭の倦怠のよどみが発する毒気によって、一家は破滅へと確実に歩んでいく。

キャスティングがとてもよい。それぞれのキャラクターの雰囲気にぴったりとはまった感じがした。姉役の野津あおいはなんともいえぬエロい雰囲気を発していた。あんな姉さんがいたらたまらないないだろう。松井演出と彼女の演技力のせいで、「ああいう女とやってみたいな」という下品なフレーズが思い浮かぶ。普段のぼくならまず思い浮かばないような文句なのだけれど。

松井演出で不満を感じるのは、性的なオブセッションについては実に表現がなまなましくて素晴らしいのだけれど、性的行為そのものの表現は記号的、定型的であることだ。京都人が局面局面で自動的に心にもない台詞を口にするように、オナニーはこういう具合に、フェラチオはこんな具合に、セックスはこんな具合にという風に、ある種のお約束めいたやり方で場面が表現される。その妄想的部分のリアリティーとバランスが悪いように僕は思う。芝居なので舞台上で裸になって本当に実演するわけにはいかないのだが(それが最良のやり方だとも思わないが)、もう少し工夫が欲しい。