閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

パリの安ホテル

3/8から3/19までパリにいた。四年ぶりのパリだ。昨年度は研究費が運良く採択されて、フランス国立図書館での資料調査という名目でパリに行くことができた。そうでもなければ今の低収入の状況で海外に行くのは難しい。次はいつ行けるのだろうか。

研究費が支給されるといってもそんなに大きな金額ではないのでできるだけ安いホテルに滞在したかった。ところがパリでは安くて過ごしやすいホテルを探すのがかなり大変だ。東京だと7000円ぐらい出せば、狭いかもしれないがそれなりに便利な場所にあり、清潔なビジネスホテルを探すのはそれほど難しくないと思う。しかしパリのホテルで7000円の料金で、東京と同程度の快適な宿を探すのはかなり大変だと思う。
第一希望はCISPという青少年向き研修施設だった。ここは安くて清潔だ。場所も悪くない。しかし団体客の利用が多くてなかなか予約を取ることができない。3ヶ月前に問い合わせたのだけれど、満員で予約を取ることができなかった。研究者であれば大学都市の短期滞在者用の部屋を予約することも可能なようだが、チェックインの時間帯の制限があったりや予約の問い合わせが面倒そうで私は利用したことがない。
第二希望は留学中に住んでいたステュディオの近く、19区の二つ星ホテルだ。いかにも安ホテルといった感じの素っ気ない内装の部屋だが清潔だし、周りに土地勘もあるので食事の場所などで無駄に動き回る必要がない。値段は一泊60ユーロ(約8000円)程度。しかし場所がパリの北東の端で図書館に通うにはちょっと面倒なのだ。それに以前そのへんに住んでいただけに新鮮味がない。

インターネットで検索してみたところ、最近はネット予約サイトを介して以前よりはるかに多くの安ホテルを予約できることを知った。宿泊者による採点やコメントも参考にすることができる。それでヴェネレ http://www.venere.com/というサイトを使って図書館に近いホテルを探してみた。いくつかのホテルを比較検討した結果、数多くの宿泊者から高い評価を得ている二つ星ホテルを上記ヴェネレを通じて予約した。ホテルに直接予約するより、venereを通したほうが値段が若干安かった。venereは料金現地払いで、到着の48時間前までに連絡すればキャンセル料もかからない。宿泊料は朝食付きで一泊75ユーロ(約10000円)だった。普段自分が宿泊するホテルを考えると高い感じがしたが、その分パリのホテルでありがちな面倒なトラブルなどが回避できそうな感じもしてここに決めた。とにかくサイトでの宿泊者の評価がおおむね高かった。しかし甘かったのだ。

ホテルは13区のイタリア広場(Place d'Italie)のほど近くにあった。メトロとバス路線が豊富で図書館に行くにも、中心部に行くにもとても便利な場所だ。13区の中華街にもほど近い。一泊一万円の値段となると日本の感覚だと相応の設備のホテルを期待してしまうが、パリ中心部では同じ程度のホテルを期待できない。その二つ星は思っていたよりこじんまりとした安ホテルの雰囲気で、部屋も狭く、内装もきわめて簡素。風呂はなくシャワー、トイレのみである。ただし清潔で、ベッドの中央が微妙に凹んでいたり、部屋に嫌なかび臭い匂いが漂うということはなかった。受付のスタッフもにこやかで感じがいい。またホテル全館で無料で無線LANが使えるのもありがたい。

スーツケースから衣類を出して整理したあと、夕食を取るために外に出た。一日目の夕食は近所のケバブ屋でケバブを食べた。ケバビストなのでまずケバブ。夕食をとって、付近を散策した後、ホテルに戻った。部屋に入り、トイレに行った。事を済ませ水を流そうとしたのだが流れない。幸い小だったが。ねじをひねったりいろいろやってみたのだけれどやはり水は流れない。水回りのトラブルなんていかにもパリっぽい。結局、洗面所で空のゴミ箱に水を入れて、それで流した。しかし一泊一万円を払って、トイレがまともに使えない部屋で過ごすのは嫌だ。枕元の電球も切れていた。フロントに行って状態を伝える。
枕元の電球については取り替えて貰った。しかしトイレについてはフロントのスタッフもいろいろやってみたけれど直らない。

「どうしようもないね。今日はもう夜だし」
「それじゃあ私はトイレなしの部屋で一晩過ごすのか?」
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」
「部屋を替えてくれよ」
「無理。今日はあいにく満室なんだ」
「排泄物を他人にさらしたくないのだが。どうにかしてくれ」
露骨に面倒臭そうな顔をしながら1分ほど彼は考えた。そして
「三階上の廊下に共用のトイレがある。このホテルは全室トイレ完備だから、その共用のトイレは誰も使っていない。そのトイレを使ってくれ。私はフロントにいなきゃいけないので。それじゃ」
と言って下に降りて行こうとした。
「今晩はそれで我慢するけれど、私は十泊するんだ。十泊もこの状態は容認しがたい」
と背中に向かって訴えると、こちらを振り向きもせず「わかった、わかった」という具合に彼は手を振って下に降りていった。

そして翌日。朝食付きだとはいえ、トイレなしの部屋で一泊75ユーロ払うのはしゃくだった。朝、ホテルを出るときに、フロントにいたお兄さんに「トイレが使えなかった。外出中に何とかして欲しい。それから昨夜一泊分は値引きして欲しい」と伝えた。するとお兄さんは、
「今朝の朝食をサービスするよ」
とにこやかに答えた。
「いや、朝食代は料金に入っているよ。だからそれはサービスじゃない」
というと変な顔をしている。
「とにかく値引きを検討してください。今はすぐ出かけなければならないので、夕方またこの件について話をします」
と言うと「OK」とにこやかに答えた。

夕方ホテルに戻ってくると、フロントのカウンターにはこのホテルのボスっぽい雰囲気のお姉さんがいた。にこやかに私を迎えてくれる。かなりの美人だ。
「昨夜はトイレが大変でしたね。ちゃんと直しておきましたから」
「それで昨夜の宿泊代を割り引いて欲しいのだけれど」
「それは今朝の朝食代をサービスしましたので」
「いや、朝食代は料金に含まれているはずです」
「いいえ。予約サイトからの予約票ではあなたの予約には朝食は含まれていません。これは間違いありません」
「え、そんなはずは。。。」
「ほら、これが予約票です。朝食込みにはなってないでしょ」
お姉さんが自信たっぷりに言うので、私の勘違いかもしれないと思い、若干釈然としない気分を引きずりながら部屋に戻った。
部屋でパソコンをインターネットにつなぎ、念のために予約サイトを確認してみる。するとやはり朝食込みの値段になっているではないか。パソコンをフロントに持って降りて、その画面をお姉さんに見せた。
「ほら、これを見てください。やはり朝食込みになってますよ」
お姉さんはちらりと画面を見た。しかし、
「でも私が受け取った予約票では朝食は含まれていないことになっているのです。ほら。あなたは一般販売条件をちゃんと読んでなかったんじゃないの? 75ユーロで朝食込みというのはデポジットを貰っていない限りあり得ないの」
という返事だ。お姉さんの表情がちょっと厳しいものになっていた。
「うーん、それでも私はこのとおり、朝食込みの値段で申し込んだのだし。。。」
「だからデポジットを払っていないでよ。予約票も朝食込みになっていない。あなたの勘違いよ」
とお姉さんがまくしたてる。それでも納得できない顔をしていると
「疑っているのね? それじゃあ、私が自分のパソコンで今すぐ予約をシミュレートするから。それであなたは納得できるでしょ?」
といってパソコンをチャカチャカやり出した。しかし
「きゃー、サイトのデザインが前と変わっている。このホテルが見つからないわ、見つからないわ。いったいどうすればいいのよっ! ああ、もう忙しいのに! 何よ」
と金切り声をあげてヒステリーを起こし始めたのだった。
こりゃだめだと思い、
「あの、多分、私が勘違いしていたんでしょう。私が予約サイト、venereに問い合わせて確認しますから、いいです」
と言うと、
「でもあなた疑っているんでしょう? 朝食込みにはなってませんから。問い合わせはどうぞ。どうせ同じことだと思いますよ」
と怖い声で返事があった。

私自身もvenereに問い合わせたところであんまり期待できないだろうなと思っていた。しかし不愉快。ホテルの変更を検討したけれど、これからホテル探しをしてその新しいホテルが良いホテルとは限らない。キャンセル料を請求されてまたうっとうしい交渉を強いられる可能性もある。このホテルのあのお姉さんの対応は不愉快ではあったけれど、ホテル自体は清潔だし、交通の便がとてもよい。結局面倒に感じられてホテル変更はやめにした。
ホテルの予約はvenere.comのサイトから行ったのだが、日本語のページと問い合わせ先があることを発見する。日本語でクレーム・メールを出したのだが二日間返事がなかった。よく見ると問い合わせメールは英語、仏語、イタリア語でしか受け付けないとある。二日後、フランス語でクレームのメールを出した。フロントとのトラブルの翌日、翌々日の朝はホテルで朝食を取らなかった。朝食をとって一食当たり七ユーロ請求されるのを受け入れがたかったからだ。
フランス語でクレームメールを出すと、ほどなくvenere.comから返事があった。サイトの記述が間違っていたとのこと。ホテル側がするべき確認を怠っていた、と書いてあった。サイト記述はvenreとホテル側のミスであり、私は七五ユーロで朝食付きのプランだという記述に従って予約したのだから、朝食代は支払う必要はないという返事だった。ごく当然の対応だと思う。こんなことなら朝食を昨日、一昨日も食べておけばよかったのだ。
このメールを確認したあと、外出のためフロントに鍵を返しに行く。あのお姉さんがいた。鍵をカウンターに置いて「おねがいします」と言ったけれど、向こうはこちらも見ないし、何も答えない。
「あのヴェネレから連絡がありましたか」と聞いてみる。
「ああ、あったわ」
「それじゃあ、朝食の件は?」
「はいはい、朝食ね。大丈夫」
「料金に含まれていますよね? それでいいですね」
「もちろん。心配しないで」
お姉さんはこのやりとりのあいだ、こちらに目も合わせない。
思わずふうっとため息が漏れる。この応対ぶりに、いやあ、パリに来たことを実感する。


さてトイレが使えなかった初日の宿泊の割引交渉である。しかし情けないことにこの時点で私はあのお姉さんと割引をめぐって交渉する気力を失っていたのだ。「いや、もういいや七ユーロくらい」。一食七ユーロの朝食は翌朝から毎日部屋で取った。部屋に持ってくるように注文するときの電話にあのお姉さんが出ると、心なしか声がとげとげしいように感じられた。
チェックアウト時、ホテルの請求額は私が予約したときの値段にだった。もちろんこちらが請求していない一泊目の割引などされているはずがない。明細を見ると一泊目は朝食代七ユーロが一旦請求されている。そしてその下に「service」として「-7ユーロ」の記述が。こうやって帳尻を合わせたのだ。フロントのお姉さんの意地を感じる。交渉しようかどうか一瞬迷った。しかしチェックアウトした後、夕方までスーツケースをホテルに預かってもらわなくてはならない。
「いろいろありがとう。快適でした」と言ってクレジット・カードを渡した。これくらいの嫌みぐらいは言っておきたい。
「あらそう。それはどうも」
お姉さんは素っ気なかった。あのフロントでの一見以来、私に目を合わせてくれない。

実に不愉快な経験ではあった。トラブルさえなければ悪いホテルではないのだろう。だがもう二度とあのホテルに泊まることはない。
不愉快な一方でいかにもパリの安ホテルらしい経験ができたなあという妙な満足感(?)もある。滞在中に一度くらいこういう思いをしなければパリに来た気がしない。パリに来る度に毎回私はこうした不愉快な目に遭うのだけれど、それもまたパリ旅行の醍醐味(とは言えないか)と言えるかもしれない。こんな目にあっても、それでもやはりまたパリに行きたくなるのだ。わざわざいじめられに行くみたいだが。

いつになるかわからないが、次回パリに滞在する機会があれば、もっと安いホテルに泊まることにしよう。何らかのトラブルが起こることを覚悟の上で。安ホテルなら、もくろみどおり(?)トラブルが起これば「やった!」とその事態を喜び、楽しむことができるかもしれない。何もなければないで嬉しいだろうし。