- 作曲:マルカントワーヌ・シャルパンティエ
- 台本:モリエール
- 指揮:寺神戸亮
- ステージング:宮城聰(SPAC)
- 潤色:モリエール
- 装置デザイン:深沢襟(SPAC)
- 衣装:駒井友美子(SPAC)
- 演奏:レ・ボレアード
- 出演:阿部一徳、泉陽二、大高浩一、本多麻紀、牧山祐大/マチルド・エチエンヌ、鈴木美紀子、波多野睦美、安冨泰一郎、エミリアーノ・ゴンザレス=トロ、フルヴィオ・ベッティーニ
- 劇場:王子 北とぴあ さくらホール
- 評価:☆☆☆☆★
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
バロック・バイオリン奏者である寺神戸亮が指揮するオリジナル楽器の演奏団体レ・ボレアードとSPACの役者・スタッフによるモリエールのコメディ=バレ、《病は気から》の上演を観に行った。こうした役者と音楽家が共同して本格的な音楽劇を上演する試みで、これほど大規模なものは珍しいと思う。チケット代金が6000円のセミ=ステージ形式ということで、演劇的スペクタクルとしてはあまり期待はしていなかったのだけれど、独創的な演劇的趣向がふんだんに盛り込まれたとても面白い舞台だった。
今回の音楽劇版テキストの潤色は、芝居版の《病は気から》を潤色・演出したノゾエ征爾だが、舞台演出は宮城聰が担当したようだ。ノゾエ征爾のテクストの読み替えは非常によくできている。十七世紀の宮廷風文化の産物であるコメディ=バレを、現代の日本で、日本の役者を使ってそのままやっても安っぽいまがいものにしかならない。ノゾエ征爾はオリジナルの劇構造の骨格は尊重しつつ、劇の背景となる世界を曲芸的な発想で転換し、ディテイルにさまざまなギミックを組み込むことで、十七世紀の文化的コードの知識がなくても楽しむことのできる現代のモリエールの舞台を作り出した。
今回のコメディ=バレ版でも、ノゾエ演出がどれくらい奔放にモリエールをかき回しているのか楽しみにしていた。《病は気から》はモリエールの最後の作品であり、そもそもはコメディ=バレという形式のスペクタクルだった。コメディ=バレは、喜劇作家モリエールと宮廷音楽家のリュリ、そして舞踊家のボシャンの三者の共同作業で、ルイ十四世のために作られた音楽と喜劇と舞踊が一体となった総合舞台芸術である。モリエールとリュリのコンビで十作のコメディ=バレが作られたが、この二人による最後のコメディ=バレ《町人貴族》の公演のあと、リュリの策謀によりモリエールは宮廷を追われてしまった。そこでモリエールはシャルパンティエと組んで作ったのが《病は気から》である。
コメディ=バレは楽と喜劇と舞踊が一体となった総合舞台芸術といっても、この三者は必ずしも有機的に結びついているわけではない。喜劇の始まる前、あるいは幕間にバレと音楽が入るのが約束事になっているが、このバレは多くの場合、喜劇の本筋とはほとんど関係のないものである。だから現代におけるモリエールのコメディ=バレ上演では、バレと音楽の部分を省き、普通の台詞劇として上演されることが大半で、実際、それでもまったく問題はない。リュリとモリエールの最後の共同制作作品である《町人貴族》では、第四幕に置かれた「トルコ人の儀式」の場面を核に、この三種の芸術の融合が見られるが、これは例外的である。
《病は気から》についても音楽部分がコンサート形式で、喜劇部分は劇場で独立して芝居として上演されることが常だった。舞踊については復元できないため、現代の舞台では再現不可能になっている。
今回の北とぴあ上演では、オリジナル楽器演奏団体による演奏が中心となるはずである。観客の多くは演劇ファンというよりは、古楽ファンだと思う。この音楽部分は芝居の本筋とは関わりがほとんどない。音楽家たちのパフォーマンスに、SPACの役者たちをどうからめていくのだろうということが、上演前に気になったところだ。役者たちのパートは、舞台に息抜きをもたらす余興として扱われるのではないかと、ちょっと危惧していたのだ。しかしこれは杞憂だった。ノゾエの発想と宮城の演出は、音楽中心のパートを含め、ひとつの演劇作品としての《病は気から》を作り出していた。
序幕のパストラルの部分から意表をつかれる。役者も歌手も男は学ラン、女は制服で、ルイ王を執拗に讃える。役者はもちろん、歌手や奏者、指揮者も、遊び心に満ちた馬鹿馬鹿しい表現の仕掛け人となる。
芝居は音楽の添え物になっていない。音楽は突飛で楽しい仕掛け満載の芝居によって新たなコンテクストを与えられ、新鮮な魅力を獲得した。再演に値する舞台だし、またこの座組でコメディ=バレとしての『町人貴族』も見てみたい。いやパリのコメディ・フランセーズで上演し、フランス人の観客をびっくりさせて欲しいとさえ思った。
古楽オペラの舞台としては画期的な試みだと思う。おそらくこれまでのコメディ=バレの上演のなかでも、今回のノゾエ/宮城版は異色のもののはずだ。
祝祭劇というオリジナルの性格をしっかり踏まえつつ、これを現代の日本の上演でも十分説得力のある表現に変換していた。役者陣では牧山祐大の女装の女中役が最高だ。歌手たちものって演技を楽しんでいる感じが伝わってきた。
レ・ボレアードの演奏もいい。楽器の音量のバランスがとてもいい。リコーダーの音がよく響いていたのが、かつての笛吹きとしては嬉しかった。