桃園会第44回公演 20周年記念『blue film』『よぶには、とおい』 二作同時上演
- 作・演出:深津篤史
- 舞台美術:池田ともゆき
- 照明効果:西岡奈美
- 音響効果:大西博樹
- 舞台監督:谷本誠(CQ)
- 演出助手:森本洋史
- 衣裳:はたもとようこ
- イラスト:山田賢一
- チラシ写真:清水俊洋
- 写真:白澤英司
- 出演:はたもとようこ 亀岡寿行 森川万里 長谷川一馬 橋本健司 寺本多得 原綾華 福良千尋 阪田愛子 小野亮子 木全晶子 (兵庫県立ピッコロ劇団) 辻京太 神藤恭平 大江雅子 速水佳苗
- 劇場:下北沢 ザ・スズナリ
- 評価:『blue film』☆☆☆☆★ 『よぶには、とおい』☆☆☆★
震災に関わる作品を見たり、読んだりするのを意識的にこれまで避けてきた。『blue film』は昨年の桃園会東京公演でも上演された作品だ。桃園会の東京公演を見にいくのがここ数年習慣になっていたのだけれど、昨年の公演は震災が主題という作品ということなので結局見に行かなかった。すると今年の東京公演でも『blue film』をかけるという。もう仕方ない。見るしかないような気がした。
2011年3月11日の東北大震災の後、芸術作品創作でも否応なしに震災を意識せざるを得ない状況になり、そうした作品の上演が相次いだ。震災直後だったこともあり、作り手の側もそれを受け取る私を含む観客の側も、この災害への反応が型にはまったものであり、不自由さを感じた。表現の枠組みもその受容の仕方も、無意識の制限が加えられているように感じたのだ。見ていてどうも居心地が悪い。ああいった大規模な自然災害は同時代人に強烈なインパクトをもたらす。私も震災後はテレビなどの映像に釘付けとなった。しかしああいう大災害での死を公共的、特権的なものとして扱うこと、あの死を私のことに結びつけて語ることにはずっと違和感を感じていた。私には正直、ちょっと勘弁してくれという感じがあった。震災主題の作品に出会うと、自分が抱えているやましさと向き合うはめになるからだ。
私は兵庫県神戸市の出身で、大学に入学するまで神戸に住んでいた。1995年、私は大学院修士課程の学生で、東京で一人暮らしをしていた。阪神淡路大震災が起こった1月17日の朝、兵庫県伊丹出身の彼女からの電話に私はたたき起こされた。
「テレビつけて!神戸、すごいことになってるよ!」
私の両親は神戸の西の端にある垂水区に住んでいた。両親宅に電話をかけると、両親の住んでいる地域では激しく揺れはしたけれど建物の倒壊も火災もないとのこと。その後の水道、ガス、電気などのライフラインの復旧も早かった。しかし震災の被害がとりわけひどかった神戸市長田区の中学校に当時勤務していた父は、春までの数ヶ月間、避難場所となった中学校で怒濤の日々を送ることになる。NTTに勤務していた弟も電話回線などの復旧のため、被災地に入った。
さて私は。大学院生で、春休みの時期という比較的暇な時期にもかかわらず、ずっと東京にいて被災地となった神戸の様子をテレビで見ていているだけだったのだ。テレビでは被災地で展開する「ドラマ」が伝えられる。神戸と関係のない多くの学生たちがボランティアとして被災地救援に向かって行った。でも私は自分が無為であることのやましさを抱えたまま、ずっと東京にいた。阪神大震災にあたって自分があの怒濤と混乱の時期に神戸に行かなかったのは、震災に関わるドラマに自分が関与することに嘘を感じたから、というのは自分の怠惰さに対する言い訳に過ぎないかもしれない。私はこの後ろめたさをずっと感じ続けている。
『blue film』の公演時間は105分間だった。105分の上演時間のうち、最初の80分は何が何やらわからなくて、劇中の主人公と一緒に戸惑い、途方にくれていた。見終わって時間がたった今もなおわからない。
公演後、私は客席でしばらく呆然とした。桃園会の芝居を見たあとはたいていこうなる。これを「感動」と呼ぶのには抵抗を感じる。不可解で得体の知れないものに出会って動揺しているというほうが近いかもしれない。柔らかいソファにずーっと身体がずぶずぶと沈み込んでしまうような感覚、これを味わいたくて桃園会の芝居に私は足を運んでいる。柔らかくて、詩的な関西弁の響きが、ねっとりとまとわりつくような優しい幻想を形作る。
深津篤史の作品はかなり怖い。深津篤史はわかりやすく間口を広げて観客を呼び込むということはしない。彼の演劇は、観客を当惑の闇のなかにまず引き込んでしまう。冒頭の場面はほとんど常に絡まった糸の塊をごろんと投げ出されたような感じだ。観客はその絡まった糸玉を、登場人物といっしょに、作品の進行に合わせてゆっくりゆっくりほぐしていく。
『blue film』は阪神大震災から7年たった2002年を軸とする物語ではあるが、時系列は解体され、人物も場所も夢のなかで連鎖していく記憶の断片のように自由に飛躍していく。阪神大震災を扱った作品でありながら、阪神大震災そのものについては直接的な言及は意識的に避けられている。
登場人物の一人であるかがりという名前の女性とともに、観客は混沌としたメルヘンのなかをてさぐりでおそるおそる進んで行くしかない。かがりがかざす光は、彼女のごく小さな周辺しか照らし出さない。劇の冒頭でいきなり彼女は阪神の海辺にいる。劇の進行の過程でそれはかつて彼女が暮らしていた地域の近くにあることがわかる。ところがその海辺には、ダルメシアン犬を思わせる扮装をした白塗りの奇妙な駅員がいて、その駅員は「ここは駅です。遅れている暁21号を待っているのですね?」とわけのわからないことを言うのである。問われたかがりも観客のわれわれと同様に戸惑っている。逆さの状態で設置されている白いベンチには若い男が一人いて、この男もかがりに話しかける。彼は彼女の小学校時代の同級生だと言うのだが、かがりは彼の存在も名前も覚えていない。
名前を思い出せない小学校時代の友人たちとの探偵団ごっこ、喪服姿の兄弟と来ない列車を駅で待つ、白塗りの奇妙な風体の駅長と屑拾いのおじさんとのやりとり、人がよさそうだがしゃべり方がうわずっていてどこか変な学校の先生との会話、かがりが只一人名前を覚えている小学校時代の友達の美少女、夕焼けか朝焼けかわからない空、ブルーシート、青い空。これらのエピソードが細分化された断片となって、脈絡なく何度も繰り返される。
作品の最後の15分にようやく、これまで提示されてきた断片の集積は何らかの意味、かがりの心象風景のようなものを形作り始めたことを感じる。じわじわと、形容し難い思いが心を侵食する。感動とはそれを呼ぶのには抵抗を感じる。こちらのこころを揺さぶる、強烈な作用を持っていることは確かなのだが。我々があの災害を傍観者としてながめていたときに感じていた整理できない思い、混乱を、リアルに、舞台から感じ取ることができるような気がする。
そう、「舞台は2002年の阪神の海岸であり、数年ぶりにそこにやってきた女性が、その海岸で感じ取った思いが再現されているのだ」、と了解しそうになったとき、かがりは突然力強く叫ぶ。
「違う!私がいるのは2013年3月29日午後8時45分、東京都世田谷区下北沢の劇場、ザ・スズナリだ!」
観客は最後の最後にこれまで寄り添い、劇世界を一緒に歩いてきたかがりに、突き放されてしまう。解決できな思いを抱え、呆然とした気分で、劇場を出た。大震災というショッキングな社会的事件を、深津は物語の枠に押し込もうとはせず、そのとまどいをむしろそのまま演劇化していた。
ところで桃園会主宰の深津篤史は私と同じ67年生まれの45歳だが、2009年に肺がんにかかっていることが発見され、今もその治療を続けている。昨年、今年と新作上演がないのは、病気の治療のためだとのこと。彼の病状についてはブログでも記されていたのだが、二ヶ月ほど前に産経新聞に掲載されたインタビュー記事でも詳しく語られていた。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130201/wlf13020114400017-n1.htm
こういった重病を明らかにするのはかなりしんどいことだと思うのだが、劇団主宰者として観客動員や宣伝に繋がるのなら、こうしたことも晒していこうという心意気なのだと思う。
作・演出家が45歳の若さで肺がん治療中となると、見る方としてもこれを意識せずに作品を見ないわけにはいかない。いやむしろこうした明らかにされているこうした文脈も取り込んだ上で作品を見ないのは不自然であるとも言える。
深津は一作一作を自らの遺書として意識しながら作品を作っているだろうし、団員も心の底でこれがもしかして最後の桃園会の作品になるかも知れないと考えずにいるのは難しいに違いない。
今年上演される二作品は、桃園会の観客による過去上演作品の人気投票で決まったと言う。深津にとって残酷に思えるのだけれど、『よぶには、とおい』は余命いくばくもない数人の入院患者が登場する病院が舞台となった作品だった。初演時の2003年、今から一〇年前には深津はよもや自分が数年後に肺がんにかかるとは思っていなかったはずだ。今、この作品を再演することは、深津にとっては自分の病、再発の恐怖に作品を通してしっかりと向き合わなくてはならないことを意味する。これは作品創造の面からはプラスとなるかもしれないが、現在も治療中の深津にとってはずいぶんきつい作業に違いない。
『よぶには、とおい』は深津作品のなかでは、例外的といっていいほど飛躍が控え目なリアリズムの芝居だ。内容、展開は『blue film』よりはるかにわかりやすい。
病院の屋上が舞台である。入院患者と見舞客は病室の窮屈さの息抜きにこの屋上にやってくる。ここにやって来る入院患者は30代、40代の比較的若い患者がばかりだが、予後のかなり悪い病気での入院であることが会話のやりとりのなかからわかってくる。病人たちには時折鐘の音が聞こえる。その音は彼らの死期が近いことを告げるものであるように思える。
26年前に失踪し、南国の島で娘を作っていた父とこの病院で再会する姉弟のエピソードもこの作品の核となっている。死ぬ直前、父は南国ではなく、生まれ故郷に近いこの病院で過ごすことを希望した。姉弟は自分たちを捨てた父と二〇年以上ぶりにこの病院で再会することになる。父には南国で作った見知らぬ妹とその恋人が付き添っていた。そして姉弟が病院に来たときは父は話すことができない状態だった。宙ぶらりんとなった家族のきずなと葛藤もまた『よぶには、とおい』のテーマである。
死を待つ人たちの芝居だからだろうか。芝居には何とも言えぬ諦念が漂っていた。その諦念が、病院の屋上から見上げる青空、背景となる白いシーツ、そしてビルの重なりの向こうにちらっと見える海のきらめきと対比をなしている。