- 作:ベルトルト・ブレヒト
- 訳:加藤衛訳『屠殺場の聖ヨハンナ』より
- 構成 庭山由佳・小森明子
- 演出 小森明子
- 音楽 かとうかなこ
- 装置 池田ともゆき
- 衣裳 稲村朋子
- 照明 真壁智恵子
- 音響 勝見友理
- 合唱指導 菊池大成
- 宣伝美術 スズキコージ・奥秋圭
- 舞台監督 入江龍太
- 制作 太田昭
- 出演:久我あゆみ(ヨハンナ・ダーク)、松下重人(牛肉王 ピーヤポント・モーラー)、大多和民樹(仲買人スリフト)、冨山小枝、尾崎太郎、上條珠理、篠澤寿樹、奈須弘子、坂本勇樹、公家義徳、天利早智、志賀澤子
- 上演時間:2時間
- 評価:☆☆☆☆
- 劇場:武蔵関 ブレヒトの芝居小屋
ヒロインの聖ヨハンナは、フランス語では聖ジャンヌとなる。聖ヨハンナには、英仏百年戦争でフランスを勝利に導くものの処刑して果てるジャン・ダルクの伝説が投影されている。ブレヒトのこの作品は、資本主義社会のジャンヌ・ダルクの悲壮な奮闘ぶりを喜劇的でシニカルな調子で描く優れた社会風刺劇である。
時代は20世紀初頭、世界大恐慌の直前のシカゴの食肉市場。この食肉市場を支配するのが資本家のモーラーである。彼は市場操作によって富を蓄積し、家畜業者と食肉加工業者たちをその支配下に置く。ヨハンナはキリスト教救世軍のメンバーとして、貧民たちの救済活動を行っている。ヨハンナは、救世軍が援助する労働者たちの困窮を訴えるためにモーラーと面会する。資本家のモーラーはヨハンナの純真さとカリスマ性ゆえに彼女に関心を持つ。
ヨハンナを演じた久我あゆみの熱演にひきこまれる。ヨハンナは劇中で、労働者たち、資本家、そして救世軍の人間など、彼女を巡るあらゆる人間たちのエゴイズム、狡猾さ、やましさ、希望と絶望を引き受け、劇が進行するにつれ憔悴していく。単なる役柄上の設定であるだけでなく、常に強いテンションで、多数の登場人物と力強く渡り合っていかなければならないヨハンナを演じるには、相当な体力と精神力が必要であるように思えるのだ。久我あゆみの演技は、まさに身体を張って、ヨハンナの消耗ぶりを具現化していた。
ヨハンナの死後、資本家たちはヨハンナを「聖別」し、神格化することで、大衆の目をそらそうする。イエス・キリストの如く祀られたヨハンナの遺がいのそばから、彼女と同じ服を着た少女が走り出て、まっすぐ退場していく最後の場面が印象的だ。その少女に何らかの希望を見出したい。しかし彼女は新たな空虚なアイドルに過ぎないかもしれない。
現代日本にある支配-被支配に関わる問題が、今回の上演では巧みに組み込まれていて、ブレヒトが演劇的なかたちで提示した問題が普遍的かつ身近なものであることが示されていた。舞台中央には高さ二メートルほどある木製の巨大な台が設置されている。この台の上板の幅30センチほどの側面にテロップ風に、場面状況などを説明するト書き的記述や舞台上で展開する事件から連想される現代日本の社会問題(TPP、非正規雇用、アイドル、原発など)についての文字列が映し出されていた。観客は20世紀初頭のシカゴを舞台とする労使闘争の物語を、自分自身を取り囲んでいる現実の事象にひきよせて考えないわけにはいかない。テロップ風に文字列で素早く提示され、提示されるそばから消えていくという提示の仕方がスマートで効果的だった。あまりべたべたに現実を下敷きにしてしまうと、強引なこじつけに感じられ、作品のとらえかたが限定されてしまうからだ。
舞台中央に設置された二メートルほどの高さがある巨大な木製のテーブルは、家畜の屠る作業台を思わせる。この作業台をとりかこむかたちで、人物が出入りする木製の壁が設置されている。この壁の出入り口から登場する労働者たちは、作業台で屠られる家畜たちの姿と重なり合う。
またこの台の上に資本家たちが立ち、下にいる貧困労働者を見下ろす構図は、そのまま社会階層を視覚化したものになっている。
この台は祭の櫓も連想させる。ヨハンナというヒロインを巡る人々の姿は、民衆運動の熱狂を感じさせるものでもあった。そして最後にこの台は、ヨハンナを祀る巨大な祭壇となる。