#股旅KO演劇
20代前半女性二人の演劇ユニット、のあんじーによる野外移動劇『夜を旅した女』は、今年私がこれまでに見た演劇公演のなかでもっとも強烈な演劇体験だった。大阪府西成区あいりん地区、昭和の時代に取り残されたようなレトロな下町をのあんじーが切り裂いていく。数十名の観客を引き連れて、異装の二人組の女子が、規格外の発想で、釜ヶ崎の風景を情念の物語の舞台に塗り替えていった。
「演劇界のプリキュア」を自称する同い年の20代前半の女性二人、あんじーと栗栖のあによる演劇ユニット、のあんじーの野外移動劇を見るために大阪に行った。のあんじーのデビューは2019年8月4日に千葉屏風ヶ浦で行われた平原演劇祭で上演された『駆込み訴え』だ。この旗揚げ公演は私は見ることができなかったが、同じ月の23日に麻布霞町教会で上演された『カチコミ訴え』(太宰治) と『女の決闘』(H.オイレンブルク) の二本立て公演を見ている。この2019年夏には、彼女たちは高校を卒業したばかりの10代の女性だった。あんじーは美大に進学し、確か今年度卒業するはずだ。栗栖のあは高校卒業後、歯科助手として働いている。あんじーについては、のあんじーの旗揚げ以前に、平原演劇祭の春の公演で現役女子高生が演じることになっている一人芝居、「詩とはなにか」に出演したのを私は見ている。岡本かの子を連想させるふてぶてしい風貌のあんじーは、小説好きの文学少女でもあった。栗栖のあは、高野が高校演劇の地区大会で見いだしたと聞いたことがあるような気がする。栗栖のあの父親はプロテスタント教会の牧師で、栗栖のあは熱心なクリスチャンでもある。
のあんじーの二人はこの後、平原演劇祭への参加を継続しつつ、平原演劇祭の枠組みによらない単独公演を行っている。二人とも東京近郊が居住地のはずだが、どういうつてがあったのかは知らないが、関西や九州での公演も行っている。高野竜が主宰する平原演劇祭のほとんど公演は劇場でない場所で行われるが、平原演劇祭への出演を通し野外劇の可能性を知ったのあんじーの二人は、その方法論を受け継ぎつつ、自分たち独自の野外劇のスタイルを確立しつつある。彼女たちの活動には、頭でっかちでスタイリッシュな気取りや洗練ではなく、若さゆえの危うさと荒っぽいエネルギーに満ちた破天荒さが魅力的だ。
のあんじーの西成での野外劇公演については、ユニットのtwitterでかなり前から予告されていたが、会場が関西で遠征が必要なので当初は見に行く予定はなかった。今回、大阪まで出向き、のあんじーの公演を見に行く気になったのは、この公演が《路地裏の舞台にようこそ2022》というイベントの枠組みのなかで上演されることを知り、新今宮駅前の廃墟ビルをメイン会場に、あいりん地区の数カ所で小劇場系のアングラっぽい雰囲気の公演が並ぶプログラムのユニークさに好奇心をそそられたからである。
西成あいりん地区の動物園前商店街にあるココルームのゲストハウスに宿泊し、9/18にはのあんじーの野外公演も含め、このイベントで上演された4本の公演を見た。
《路地裏の舞台にようこそ》のメイン会場であるJR新今宮駅前にある廃ビル、3Uでのピンクの×ソラ『メアリ・スチュアート 前編』公演を見終わったあと、14時過ぎにビルの外に出ると偶然、ビルの前でのあんじーの二人に会った。上演の時間の目安を聞くと、二時間ぐらいだろうとの答え。彼女たちは午後3時半からはじまる自分たちの野外劇のルートの確認をしている最中だった。私はこの後、一度、宿泊先のココルームに戻り、のあんじーの公演が始まるまでアイスコーヒーを飲んで休憩した。この日は薄曇りの天候で日は照っていなかったが、気温が高くて蒸し暑い日だった。
のあんじー 移動劇『夜を旅した女』の出発地点は、釜ヶ崎の炊き出しやお祭りなど釜ヶ崎の住人が集うさまざまな活動の会場となる三角公園である。15時半の開演の15分ほど前に三角公園に到着すると、最近、人気Youtuber番組、ジョーブログなどでにも登場するようになった釜ヶ崎の歌姫、坂田桂子がライブをやっていて、その周りには30人ほどの人だかりが出来ていた。
絡みつくようなダミ声で歌い、観客に絡む坂田桂子の個性は強烈だが、公園に集まっているおっさんたちもそれに劣らず濃厚だ。こんなどろどろした独特の空気の場所で、西成になんの所縁もない若い娘二人がいきなり野外演劇をやるのだ。始まる前からドキドキする。三角公園の常連のおっさんたちとはあきらかに雰囲気の人間が十数名いて、これがのあんじーめあての観客だった。のあんじーの二人は15時25分頃に公園にやってきた。
奇妙きてれつな出で立ちである。あんじーの墨色の羽織とワンピース、黒猫のかぶりものをしている。かぶりものから金髪がみえ、口紅は黒。黒い隈のふちどりメイクの目はうつろで、ダウナー系の薬物中毒者のようだ。アルミ製の鍋蓋を首から提げている。のあのほうは首にはタオル、上半身は羽織、その下にはさらしを不器用に巻いている。下は赤いボクサーパンツで、両手はボクシング・グローブをはめている。二人とも足はわらじばきだ。公演中ののあんじーのtwitterアカウントには「#股旅KO演劇」とある。東京(近郊)からゆかりのない西成にやってきて、いきなり街頭野外劇をやるのあんじーはいわば流れ者、その流れ者が西成の町を歩き回るので「股旅」というわけか。西成自体、故郷を持たない流れ者たちが寄り添う町でもある。のあがボクシング・グローブをはめ、ボクサー・パンツをはいているのは「KO演劇」だからだろうが、この「KO演劇」というのが結局最後までよくわからなかったが、わからなくても面白い趣向だったから別にかまわない。彼女たちはいったい誰と、何と闘っていたのか。上演中に二人が殴り合い、どちらかが倒れてカウントが行われるという場面はいくつかあった。あんじーが首から下げるアルミ鍋のふたはゴングの役割も果たしていて、劇の終演はテンカウントを数え上げることで終わった。
『夜を旅した女』は黒岩重吾の短編社会推理小説だ。黒岩重吾は1960から70年代にかけての高度成長期に人気のあった作家だが、2003年に死んでいて、今ではほぼ忘れられた作家になっていると言っていい。作家キャリアの後半には古代史を取材した小説を数多く書いたが、60-70年代の彼の小説の中心は裏社会に生きる人間の生々しい生き様を描く風俗小説だった。私の両親の本棚には黒岩重吾の社会派推理小説の文庫本がかなりあって、中学生から高校生ぐらいのときにけっこう読んでいた。そうした黒岩の社会風俗小説には、大阪の釜ヶ崎が舞台になっているものがかなりあることは私は知らなかった。私が当時読んだ小説に釜ヶ崎を舞台とするものがあったかもしれないが、釜ヶ崎、飛田、西成といった地名は、当時の私には何らかのイメージを喚起するようなものでなかったため、記憶に残っていなかったのかもしれない。
西成を会場とする演劇祭で野外劇を上演にするにあたって、のあんじーが黒岩重吾の小説を選択したのは慧眼としか言いようがない。上演後にネット検索してわかったのだが、2018年にどういうわけかちくま文庫で「夜を旅した女」を含む黒岩重吾の短編推理小説集が復刊されている。《路地裏の舞台にようこそ》へのエントリを決めた彼女たちは、西成という場所にふさわしい野外劇の題材を探している過程で、たまたま黒岩重吾に短編集に行き着いたのだろう。高度成長期の日本の繁栄のひずみが集積されているような釜ヶ崎でうごめく人間たちの生態をあざとい筆致で描き出す黒岩重吾の社会風俗小説は、およそ現代の若い女性が手に取るようなものではない(ちくまがなぜ数年前に黒岩重吾の小説の復刊を決めたのか興味深い)。若い女性の二人組が釜ヶ崎の町であえて野外劇を行うという発想も高度に挑発的・戦略的だが、その題材として黒岩重吾を選ぶ彼女たちのセンスは天才的だ。
『夜を旅した女』は、婚約が決まった直後に行方不明になり、数日後に野井戸に落ちて死んでいるのを発見された女の過去を探る物語だ。婚約者の男が聞き取り調査を通じて、貧しく不幸な女の生い立ちを追いかけていく。のあんじー移動劇では、死んだ婚約者の過去を探る旅に、のあんじーの西成あいりん地区放浪が重ねられる。女の過去を探る旅路が進むにつれ、彼女の人生は西成の町の混沌とした風景に溶け込んでいき、その実像は逃げ水のように捕まえることはできない。のあんじーはその彷徨劇を股旅もの大衆演劇として提示する。
公演では『夜を旅した女』と平行して、岡本綺堂の『番町皿屋敷』の抜粋が上演された。皿を割った咎で殺され、井戸に捨てられたお菊は、『夜を旅した女』で野井戸のなかで死んでいた女につながる。『夜を旅する女』の無残な死は、彼女の婚約者によって、最終的には、ある意味、弔われた。男は婚約者の生涯の闇を丹念な調査によって明らかにしていくことで、彼女の鎮魂に行き着くことができたのだ。『皿屋敷』のお菊と『夜を旅した女』を結びつけ野外移動劇として上演することで、お菊は数百年の年月と数百キロの距離を超え、西成の町のなかで、のあんじーの二人によって成仏することができたとも言えるだろう
のあんじー『夜を旅した女』は、三角公園内の野外ステージから始まった。三角公園にたむろしていた常連のおっさんたちも何事がおこったのかと、この異装の若い女性に興味津々だ。最初は黒猫姿(?)のあんじーの『皿屋敷』からスタートしていったように思う。
このへんのおっさんは人なつっこいので、芝居中の彼女たちに話しかけてきたりする。そうした状況は想定済みのようで、のあんじーの二人はうまいことあしらっていた。三角公園内でペットボトルのお茶を彼女たちに差し入れたおっさんもいた。公演は投げ銭制だったが、芝居の最中でものあが背負っている籠に投げ銭を投げ入れてもいいと芝居開始前に説明があった。おっさんのペットボトルのお茶は、背負い籠に放り込まれた。
『夜を旅した女』の語りは主にボクサーのあが担当していたように思う。対話部分になるとあんじーがからむ。主筋となる『夜を旅した女』のあいだに、あんじーが担当する『皿屋敷』の語りが間奏曲として挿入される。
三角公園を出ると、あいりん地区のアーケード商店街のなかを、芝居をしながら彼女たちは進んでいった。 30名ほどの観客がぞろぞろとその後を追う。「ハーメルンの笛吹き」の状態だ。ただでさえ濃厚でものものしい釜ヶ崎の商店街の風景が、この二人の女優の存在によってさらにまがまがしい風景に変容していく、黒岩重吾の風俗小説の世界に引き込まれてしまう様子は痛快であるとしか言いようがない。のあんじーの二人は、よそ者、流れ者のトリックスターとして傍若無人に、釜ヶ崎を演劇化していった。
15時半に三角公園からはじまったのあんじーの野外劇は、飛田新地を含む新今宮駅南側一帯を縦横無尽に動き回り、17時半に銭湯、日の出湯で終わる。数百メートル四方のそれほど広くない地域だが、移動距離は相当あったはずだ。ときに走って移動したりするので、ついていく観客も気が抜けない。事前に根回しを行っていたらしく、行軍途中、あいりん地区にある数カ所の店のなかに入っての芝居もあった。この日は薄曇りとはいえ、かなり気温が高かったので、こうした休憩地点がいくつかあったのは、体力のないおっさん観客としてはありがたかった。
芝居の終着点は飛田新地のそばにある銭湯、日の出湯だ。ここは当然、男女別に風呂が分かれている。「最後は日の出湯のなかになります。カウントダウンが聞こえたら、それが終演の合図です」と説明があった。
入湯料を払ってとにかく銭湯のなかに入る。暑い中、歩き回ったので、かなり汗をかいていた。これまで二時間あまり、一緒に芝居を見ていた人と一緒に銭湯に入るのは若干抵抗がないわけではなかったが、ここまで来たら終演までしっかり見届けたい。浴場に入ったあと、すぐにのぼせてしまう私が湯船に入ったり出たりしていると、15分ぐらいしたところで、女湯からのあんじーの声が聞こえてきた。女湯の浴場で芝居を演じているのだ。その台詞は浴場の反響で何を言っているのかよくわからなかった。
そして芝居の終了を告げるテンカウントのゴングが浴場に響き渡る。二時間を越える彷徨のすえ、無残な死を遂げた二人の女の魂は、銭湯のなかでやすらぎを得たのである。感動的なラストだった。
二人の若い女性が、西成あいりん地区の風景を堂々たる態度で切り裂き、その風景と空気を十全に利用しつつ、黒岩重吾の小説の世界の舞台として演劇化してしまった。のあんじーのしびれるようなかっこよさ。観客たちはハーメルンの笛吹きとなった二人に導かれ、この強引な借景演劇のなかに引き込まれてしまう。
のあんじーの股旅KO演劇『夜を旅した女』は今年、私が見た演劇公演のなかで、圧倒的に素晴らしいものだったし、これまでの私の演劇体験のなかでももっとも印象的なものの一つとなった。
平原演劇祭でデビューし、その後、ユニークな野外劇スタイルを追求してきたのあんじーはまだ演劇活動をはじめて4年ほどだ。伸びしろはありすぎるぐらいある。のあんじーは今後50年にわたる公演活動が予告されている。これらかのあんじーがどんな演劇を体験させてくれるのか、楽しみでしかたない。