閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

劇団青年座『あゆみ』

劇団青年座 第211回公演「 あゆみ 」

  • 作・演出:柴幸男
  • 照明 :中川隆一
  • 音響:オフィス新音
  • 演出助手:森井沙織
  • 舞台監督:川上祥爾 
  • 出演:阪上和子、野沢由香里、土屋美穂子、松乃薫、藤井佳代子、椿真由美、柳下季里、小暮智美、安藤瞳、坂寄奈津伎、山口晃、石井淳、和田裕太  
  • 劇場:代々木八幡 青年座劇場
  • 上演時間:90分
  • 評価:☆☆☆★

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劇団青年座は今年で創立60周年だという。青年座劇場は東京メトロ千代田線の代々木公園駅から歩いて3分ほどのところにある古くて大きなマンションの一階にあった。劇場の収容人数は300人ほどか。かなり大きな劇場だ。青年座の公演も劇場も私は今回が初めてだった。

女優10名に加え、男優3名が加わるというのが、これまでに私が見た数本の『あゆみ』と違うところだ。また俳優の平均年齢も高い。今年の一月に田無第四中学校演劇部による『あゆみ』を見たのだが、私にとってはこれが決定版と思えるような素晴らしい舞台だった。なので今回、老舗の新劇劇団である青年座が『あゆみ』を上演すると知ったときは、見に行くかどうか迷った。予約はすぐに埋まってしまったのだけれど、その売れ行きの好調ぶりゆえに、20日(日)のソワレが追加公演となった。ツィッター上の評判もよかったので、追加公演の座席を予約した。

ほぼ素舞台で、照明の変化だけで見せる。複数の俳優でひとりの女性を代わる代わる演じるという『あゆみ』のスタイルは変わらない。見た目の印象でまず違和感を持ったのは女優の年齢である。若い女優も交じってはいたけれど、見た目が四〇代後半以降の女優(それもあまり美しくない)が主体だった。新劇的な誇張演技で、彼女たちが「あゆみ」の子供時代を演じる様子は、率直に書くと、かなりグロテスクに感じられた。この違和感は最後まで払拭されることはなかった。

最初と最後にもオリジナルなアイディアが導入されていて、劇団の六〇周年の口上と舞台上の女優たちの演劇人生が、『あゆみ』の物語に重ねられている。演じる者たちの現実が、「あゆみ」という存在に仮託されることで、「あゆみ」はねっとりと重いものになってしまった。俳優たちのいわゆる「達者」な演技も、私には色が濃すぎるように思われ、受け入れがたいものだった。もちろん色んなバージョンの『あゆみ』があっていいのだが。柴幸男の作・演出作品とは思えないかった。と言っても脚本は『あゆみ』なので、最終的には柴幸男の世界に収束されていくのだが。いやいやそんなことはなかった。あれはまさに青年座の『あゆみ』だった。演出家が柴幸男に変わったところで、劇団の持っている伝統、味わいというのは、そうそう変えることができるほど融通のきくものではない。

過剰な表情の表現(満面の笑顔等)、明瞭でわざとらしい台詞回しは、私の好みからは遠く外れたもので、座っているのが少々苦痛だった。それでも晩年の「あゆみ」の回想の場面ではほろりとしてしまうのだけれど。

少なくとも私にとって「あゆみ」を演じる女優は、できるかぎり無色透明な存在でなくてはならない。「あゆみ」は観客が自分の記憶、願望、経験を投影できる容器のように軽やかで空虚な存在だ。その「あゆみ」に演じる側の思い入れや願望が注入されてしまうと、少なくとも私はげんなりしてしまう。青年座の『あゆみ』は、思い入れたっぷりに歌われるシナトラの《マイウェイ》という趣だった。

しかし様々な演じ手に、様々に解釈されてしまうのが古典の宿命だ。「あゆみ」はすでに「古典的」になった作品と言っていい。今後もこの作品を上演する団体は増えるだろう。その過程で、「あゆみ」は作者の思いからはずれ、どんどん俗化していくであろうことが、今日の上演を見て予測された。しかしこれはどうしようもないことなのだ。