ポツドール vol.14
- 作・演出:三浦大輔
- 照明:伊藤孝(ART CORE design)
- 舞台美術:田中敏恵
- 衣装:金子千尋
- 出演:安藤玉恵,米村亮太朗,仁志園泰博,古澤裕介,鷲尾英彰,名執健太郎(smartball),佐山和泉(東京デスロック),小倉ちひろ
- 劇場:新宿 THEATER/TOPS
- 評価:☆☆☆☆☆
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ネット上の評価では賛否両論で評価の分かれる作品だが,僕にとっては非常に刺激的で面白い舞台だった.
台詞の全くない芝居.といってもパントマイム的な表現というわけではない.ことばによる意思疎通が必要なくなってしまった日常的状況を演劇化した作品なのだ.
ワンルームマンションで共同生活する8人の若い男女(男性5人,女性3人)の一日を5幕の構成で再現される.第一幕と最終幕がいったん降りて再び上がった後(劇はもう終了している)は,部屋の外側の壁とサッシ,エアコンの室外機が置かれた小さなベランダが手前に設置され,客席からマンションの一室を外から覗き見している感覚が強調される.
8人がなぜ共同生活をしているのかは説明されない.8人の男女の風貌はいずれもやさぐれのごろつき風であり,部屋の様子は彼らの精神と生活の荒廃ぶりを反映しゴミが散乱している.この8人は共同生活といっても彼らの間のコミュニケーションに言語は介在しない.退屈しのぎといった感じで気まぐれに行われる性行為が彼らにとって最も「意味のある」コミュニケーションである.その性行為にしても,倦怠した日常にわずかな空気の変化をもたらすにすぎず,時にすぐ隣で同居者が性行為をはじめても,他の住民がさして関心を示す様子もない.乱交は生理的欲求を処理する日常的動作となっている.誰に熱心に見られるでもなく常につけられたままのテレビが一台あるが,そのテレビでは野球ゲームがと住民の一人によって漫然と行われていることが多い.とっくみあいや戯れに同性愛行為も行われるが,そうした変化も部屋の空気に結局は大きな変化を与えない.寝食を共にしつつも彼らは互いに基本的には無関心であるように思える.他者の性行為,排泄行為さえ,気にならないようである.
こうした倦怠感ただよう生ぬるい日常を,役者は台詞を一切交わすことなく,淡々と演じていく.役者が「声」を観客が耳にするのは最後の場面のみである.深夜,もうすぐ朝になろうとする時間,外出していた住人たちが次々と帰宅する.どろりとよどんだ空気の部屋で布団に入る住人たち.暗闇の中で女の住人のすすり泣きが聞こえてくる.
退廃的日常の泥沼の中で,己の生活の不毛に絶望した人間のもがきが最後に表明される.このすすり泣きは,僕にはとても感動的な演出に思えた.
生ぬるい地獄であるような日常風景を,無言劇というスペクタクルとして提示するという極めて独創的な発想にしびれる.この再現にリアリティを与えるための,テレビゲームをはじめとする小道具の選択や無秩序に動く各人物の動きの演出などのディテイルの表現への配慮も見事だった.
『夢の城』というタイトルは,その強烈な皮肉ゆえに逆にせつない叙情も喚起する,いかにもこの作品にふさわしいタイトルであるように僕は思う.
学生時代などの若い頃に一人暮らしの経験がある人間なら,この作品で表現されている無秩序な退廃の甘美な吸引力とそこに浸ることに対する自己嫌悪の感覚に共感できる人間は多いのではないだろうか.