SPAC(静岡舞台芸術センター)公演
鈴木忠志の舞台を生で観るのはこれがはじめて.演目は鈴木忠志演出の定番レパートリーの一つで1978年に岩波ホールで初演されて以来何度も上演されている作品.2月にパリのコメディ・フランセーズで観た『バッコスの信女たち』が原作だが,原作と違いデュオニソスそのものは舞台上に登場せず,その代わり六人の僧侶がディオニュソスの預言者として舞台上に現れる.パリで観た『バッコスの信女たち』,仏語がほとんど理解できなかったと思っていたけれど,今日同じ作品を観てみると案外細部までちゃんと理解していたことを確認できた.
アフタートークでの鈴木自身の言葉によると,酒と豊穣の祝祭の神であり,動的で非造形的な抒情・音楽芸術の守護者として,秩序を破戒するデュオニソス神は,理性的で権力的存在へのアンチテーゼとして肯定的に演劇作品の中では捉えられることが普通だという.鈴木演出ではデュオニソス信仰による宗教的熱狂のエネルギーの暗黒面を強調し,息子殺しのアガウエの悲劇に焦点をあてたものとなっている.
派手さはないが,緊張感のある美しい視覚的表現の洗練に目を奪われる.巫女の長大な紅白縞模様の衣裳,僧侶の服装,抑制された照明など.
非日常的な特異な役者の動き(時にバネにはじかれたような,時に痙攣するような)は舞踏や能,歌舞伎との親縁性を感じた.この極めて人工的・演劇的に再構築された鈴木スタイルの延長線上にク・ナウカのスタイルがあるのかなという気もしたが,役者の表現の自由度はク・ナウカのほうがはるかに高そうだ.アフタートークで鈴木の様式をある観客が「独裁的」と呼んだことに過剰に反応していたが,あの反応から見て(独裁者と呼ばれるのをとても気にしていた)おそらく動きの一つ一つまで役者に細かくだめ出しをしているのではないだろうか? 演出家の頭の中に細部まで書き込まれた楽譜があって,役者はそれを作曲者兼指揮者である鈴木のイメージ通りに再現することを求められているような気がする.
上演時間は七〇分.見た目はとてもシャープで格好いい舞台だけれども,正直言って虚仮威しじみたところもあるように思えた.「現代西洋歌舞伎」だなぁ,と思ったりして,若干期待はずれの感あり.上演中,断続的に意識を失う.
キラリ☆ふじみのメインホールに入ったのは今日はじめて.八〇〇人ほどのかなり大きなホールで天井が高いため広々した感じ.客の入りは七割ぐらい.