閑人手帖

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被差別部落の青春

角岡伸彦(講談社文庫,2003年)
被差別部落の青春 (講談社文庫)
評価:☆☆☆☆

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著者はフリーのジャーナリストで加古川の被差別部落出身.
関西の被差別部落出身者とその周辺の人間に丁寧に取材している.五章構成だが各章のテーマは異なり,一貫した構成にはなっていない.内容が特に興味深かったのは奈良県の被差別部落の戦後の変遷を幾人かの住民を軸にたどった第三章.1960年からの30年間にバラックの小屋が建ち並ぶスラムから同和対策事業によって市営住宅がたち住環境が劇的に改善される.住環境は改善された後,1980年代になってもその同和地区の教育環境が全般に極めて「後進的」で一般世間からは隔絶されたものであったことが,地区出身の保母や教員によって語られている.筆者自身が体験勤務した加古川の食肉加工業のルポも,そこで働く人々の活動的な様がしっかりと取材されていて読み応えがあった.

全編を通して正義感をふりかざして社会の差別の現状を批判するような調子は避けられている.同和対策事業が終了し,差別の現状がひどく曖昧になってしまった現在のつかみどころのない現状を淡々と記録しているような感じのルポルタージュになっている.しばしば部落差別問題の中でセンセーショナルに取り上げられる「結婚問題」「恋愛問題」もこの著作の中で何回も出てくるが,著者が取材した例は問題がすっきり解決したとはいえないまでも,少なくとも悲観的で絶望的な状況には陥っていない.
しかし部落差別が完全になくなったかといえばそうでもない.差別は薄まりつつも社会の中で何ともとらえがたい形で沈殿しているような状態であるように思える.

僕の通った小学校と中学校の学区には同和地区が含まれていた.僕が小中学校に通っていた時期はちょうど同和対策事業による住環境改善で地区の姿が大きく変わった時期にあたる.学校の先生が放課後,地区の児童館で校外促進学級という補習授業を行っていて,塾に通っていなかった僕はその地区の子どもだけが促進学級に通えることに不公平だと思っていたことを思い出す.もちろん促進学級がなぜ行われていたかという事情については知らなかった.僕が中学校に通った1980年代は校内暴力が社会問題になった時代だった.僕が通った中学校でもけんかはよくあったし,対教師暴力も珍しくないし,朝学校に行くと教室のガラスが全部割れていたり,授業中に卒業生が廊下をバイクで走り回ったり,とにかくいろいろなことがあった.この暴れ回る生徒の中心は部落出身の子が多かった.もっとも僕をはじめ多くの者にとって彼らは単なる「不良」にすぎず,当時は彼らの派手な暴れぶりを部落問題と結んで考えたりする発想はなかった.

同和教育は盛んだったので「部落問題」についてはよく知っていたのだが,それが具体的にクラスメートの誰それとは結びけて考える習慣は少なくとも僕にはなかった.同和の時間に見た教育映画の登場人物たち,真面目でさわやかで差別的言辞に傷つく少年,少女は,同和地区出身のクラスの強面の不良たちとはあまりにも異なっていたというのも原因かもしれない.そもそも彼らに差別的な言辞を投げたりしたら半殺しの目に遭わされていたはずだ.

被差別部落の問題は歴史的な知識としては頭に入ってきても,それが身近にあった僕でさえ,現実の社会問題としては捉えにくい.しかし何かしらの強烈なタブー意識が僕にもあって,被差別部落については在日朝鮮人差別問題よりはるかに話題にしにくいことであるように感じられる.