閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

僕を葬る

http://www.bokuoku.jp/

監督: フランソワ・オゾン Francois Ozon
製作: オリヴィエ・デルボスク Olivier Delbosc マルク・ミソニエ Marc Missonnier
脚本: フランソワ・オゾン Francois Ozon
撮影: ジャンヌ・ラポワリー Jeanne Lapoirie
プロダクションデザイン: カーチャ・ヴィシュコフ Katia Wyszkop
衣装デザイン: パスカリーヌ・シャヴァンヌ Pascaline Chavanne
編集: モニカ・コールマン Monica Coleman
 
出演:
メルヴィル・プポー Melvil Poupaud ロマン
ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau ローラ
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ Valeria Bruni Tedeschi ジャニィ
ダニエル・デュヴァル Daniel Duval 父
マリー・リヴィエール Marie Riviere 母
クリスチャン・センゲワルト Christian Sengewald サシャ
ルイーズ=アン・ヒッポー Louise-Anne Hippeau ソフィー
アンリ・ドゥ・ロルム Henri de Lorme 医師
ウォルター・パガノ Walter Pagano ブルーノ
ウゴ・スーザン・トラベルシ Ugo Soussan Trabelsi

劇場:日比谷 シャンテシネ
評価:☆☆

『8人の女たち』『スイミング・プール』『ふたりの5つの分れ路』と秀作を立て続けに発表してきたフランソワ・オゾンの新作.オゾンの作品はこれ見よがしの仕掛けと気取った雰囲気が鼻につくものの,今のフランス映画の雰囲気を最も濃厚に感じることのできる監督の一人であり,若干の反発を感じつつもその才気とセンスある作品には惹きつけられてきた.
しかしこの『ぼくを葬る』(「葬る」と書いて「おくる」と読ませるセンスの気持ち悪さ.シンプルにLe temps qui reste 『残りの時間』と原題の日本語訳にすればよいものを)には,甘ったるい感傷とげんなりするようなナルシズムしか感じない.オゾンらしいひねりも毒もない駄作.オゾンがこんな凡庸な作品を作ってしまったことがちょっと信じがたい.
ガンで余命3ヶ月を宣告された同性愛者のカメラマンの話.主演のメルヴィル・プポーは性フェロモン漂う官能的な美男子.見所は彼の姿ぐらいか.
興ざめなのは核となる「代理父」のエピソードが現実離れしてることである.以下映画の本筋に触れる.
たまたま入ったカフェの中年女性に主人公は,不妊精子の夫に代わってセックスして子種を提供することを依頼される.いったんは断ったものの,あとになって主人公は同意し,彼女の夫を交えた三人でベッドをともにする.そして女性は懐妊.彼はお腹の子どもに自分の遺産を託す遺言書を残す.
まずいくらハンサムであっても見ず知らずの行きずりの男に子種の提供を頼むこと自体が不自然なのだが,適当な日に一回や二回セックスしてそれが受精してしまうというのはご都合主義以前の非現実的な事態である.受精が可能なのは排卵し,その卵子が生きているときだけである.卵子の寿命は一日ほど,精子は三日ほど生きているので,一月のうち受精可能な日はごく数日しかないのだ.しかもその排卵日に性交したといっても必ず受精するわけではないのは説明するまでもないだろう.見ず知らずの男にセックスを介しての子種の提供を頼むような不妊に悩むカップルなら,排卵の知識は当然もっているはずだし,排卵日を知るために少なくとも基礎体温を測っているはずだ.
ところが映画では主人公が子種を残すことを決意したその日に性交していて,排卵日への配慮があったとは思えない.しかも性交の回数もおそらく一回だけ.それであっさり妊娠してしまうのだ.子どもを本当にあの夫妻が望んでいるなら,そんないい加減なセックスは受け入れられないだろうし(セックスレスで妻の欲求不満の解消が目的でないかぎり.そのような描写は映画中にみあたらなかった),そもそも不確実極まりない性交という手段を選ぶわけがない.冷凍精子で人工授精など他にもっと確実性の高いやりかたはあるはずだ.
この妊娠のエピソードは映画の物語の核のひとつだったが,核となるエピソードが荒唐無稽なため,すっかり白けた気分になってしまった.オゾンは同性愛者ゆえに妊娠のメカニズムに無頓着だったのだろうか?この緩い脚本の設定が通ってしまったことが不思議だ.