http://www.ntj.jac.go.jp/performance/954.html
通し狂言
梅初春五十三驛(うめのはるごじゅうさんつぎ)五幕十三場
紛失してしまったお宝の探索のため,東海道五十三次を京都から江戸まで順々に舞台が移動していく「ロード歌舞伎」.江戸後期から明治にかけて次々作られたという東海道を舞台にスピーディに物語が展開している「五十三次もの」の一つ.この物語の基本構造のみならず,各場面各場面にいかにも歌舞伎らしい大らかな趣向に満ちた荒唐無稽な物語.茶利場が多く含まれた娯楽性の高い作品だった.菊五郎をはじめ中心役者がすべて,二枚目,三枚目,女形等々の複数の役柄を代わる代わる演じる上,十三場がめまぐるしく展開していくため,印象が混乱してしまったところがあるが,五十三次物のお約束で,音羽屋の家の藝である岡崎の場の「化け猫」のシーン,吉原での櫓のお七のパロディ,今回あらたに付け加えたという「品川御殿山の場」の桜一色の美術の中での集団で行うスピードのある立ち回りのシーンなどが記憶に残る.がちゃがちゃとしたにぎやかなエネルギーにあふれた作品となっていたが,幕切れは若干爽快感に欠ける.各場の美術のすっきりとしたデザインも印象的.
しかし同時に若干の冗長さも感じた芝居だった.ばかばかしい話を長時間見続けるのも案外疲れるものだ.観劇後の充実感については昨春見た四世南北の「曽我もの」のほうが上だった.
作品の上演は160年ぶりで台本は活字校訂されていおらず,復活にさいして参照したのは手書きのものだという.大幅なアレンジが加えられているが,菊五郎の現代化の姿勢は,作品を書き換えによって現代的なテクストにしたり,あるいは古典として原典をできるかぎり忠実に再現するのではなく,上演当時作品が持っていた大衆芸能性,荒唐無稽さや馬鹿馬鹿しさがもたらす活力,のり,雰囲気の再現を目指しているように思う.現代歌舞伎の方向性についてはいろいろな選択肢があるのだろうが,僕には菊五郎のスタイルが一番好みである.よくこんなばかばかしい仕掛けをまじめに考えるモンだなぁとあきれつつ関心してしまう.
昼飯後の休憩時間には猛烈な睡魔がおそってきて,熟睡.