ク・ナウカ
http://www.kunauka.or.jp/jp/index.htm
- 作:近松半二ほか
- 台本・演出:宮城聡
- 照明:大迫浩二
- 空間:木津潤平
- 衣裳:高橋佳代
- 作曲:棚川寛子
- 出演:美加理、本多麻紀、大高浩一、寺内亜矢子、本城典子、大道無門優也、野原有未
- 時間:約100分
- 劇場:新宿 文化学園体育館 特設舞台
- 評価:☆☆☆☆★
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四月より宮城聡が静岡芸術劇場監督に就任するため、ク・ナウカの公演はこれが一区切りとなる。劇団の有終の美を飾るにふさわしい充実した公演だった。
「安達原一つ家の鬼女」伝承をあつかった浄瑠璃『奥州安達原』の四段目の翻案。練り上げられた解釈と表現によって、原作の世界はさらに大きな広がりを持つことになった。臨月の娘の胎児を、一族再興の野望のために、娘とは知らずに腹から掻き出すという描写の残忍な猟奇性は、私的な母子関係の歪みをグロテスクなかたちで示しているのみならず、その背景にあるもっと大きく社会的な物語の醜悪さを象徴している。ク・ナウカの今日の公演では、この二重性が明確に示されていた。
現代語によるユーモラスな導入から芝居ははじまる。この口上役を務めた野原有未の名調子が非常に心地よい。彼女は開演前には観客を座席誘導する係だった。ひととおり観客が座席に着くと、口語的表現を適宜交えつつ、芝居の物語の始まる前の前説的な話をはじめ、次いで今日の公演の本筋である「一の家」の前提となる出来事が影絵のかたちで示される。次第に現代語の口上が交代し、浄瑠璃の言葉、古語の世界に入っていく。物語の発端は京都での出来事、語りは古語であるが理解は可能である。舞台が安達原に移動し、一の家の老婆の物語がはじまると、ことばは大半の観客には理解不能な「方言」に変わる。日本語的な響きにもかかわらず全く理解不能な言語によるやりとりはフラストレーションを増大させる。断片的に聞き取ることができる単語と動作から、観客はそのやりとりを想像するしかない。もっともこの「方言」には、後半になると徐々に理解可能な単語が混入していくので、段々とやりとりが理解可能になっていくのだが。東北方言(デフォルメされているかもしれない)の意識的な使用には、蝦夷である安倍一族の異民族性を強調する演出家の意図を反映したものはあきらかである。舞台の衣裳もアイヌ風で、宮廷風衣裳と対比されている。演出家は母子間の殺戮の悲劇に、民族間の闘争を重ねる。そしてその視点は朝敵である蝦夷に同情的だ。
芝居は展開が進むにつれテンポをあげる。
エンディングでは、力強い合唱と集団での舞踊によって舞台は狂騒的な高揚感に包まれる。
古典作品を現代的視点で読み替えた上で再提示すること意義をあらためて感じた優れた舞台だった。
体育館の特設舞台を組んだことの効果には疑問を感じる。かなり客席は寒かったし。がらんとした人工的空間である体育館に舞台をわざわざ組む意義がわからなかった。舞台美術でも愉しませてほしかったのだが。
鬼婆の館の入り口に、実物大の白馬の模型が座っている。舞台美術らしいものはこれくらいしかないので、かなり人目を惹きつける。この白馬はたいそう場違いな印象も与えるのだ。この白馬の演出意図がわからない。