閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

Mirror

jorro vol.6
http://www.jorro.net/

  • 構成・演出:富田恭史
  • 舞台監督:渡辺陽一
  • 美術:尾崎智紗、袴田長武(ハカマ団)
  • 照明:工藤雅弘
  • 出演:林弥生、志水衿子、畑雅之、しよな、脇坂圭一郎、仁志園泰博、青木宏幸、井上幸太郎、鷲尾英彰、江原大介
  • 劇場:王子 王子小劇場
  • 上演時間:80分
  • 評価:☆☆☆☆
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ポツドール三浦大輔がどこかでこの団体について言及していて関心を持った。せりふのないト書きのみの台本を使って芝居を作っているとのこと。
このユニットの公演を見るのは今回がはじめて。
ジャズ演奏のように即興的に舞台上で芝居を作っていくのかと見る前は思っていたのだけれど、そうではなかった。

おそらく稽古を始める前の段階でせりふはないが、その分、台本には細かくプロットや演技指示が記されているのではないだろうか。最初に言葉からはじめないという縛りが、劇世界を精密に作る仕掛けとして機能しているのだと思う。そしておそらく細かいト書きを元に、稽古の過程でせりふを共同作業で探していっているのではないか。稽古の過程で生成されたせりふが実際に書かれているかはともかく、いずれにせよ上演時には台本は完成された状態にあるような気がした。

作品の質は高く、スタイルはすでにかなり完成されているように思った。せりふのない状態から作り上げた舞台言語が、三浦大輔平田オリザの戯曲と比べてより自然であるかどうかは判断に迷うところだが、せりふなしという「縛り」は作品製作において効果的に機能している感じである。
東京のとある一人暮らしの女性のアパートが舞台。ロフトのあるこじんまりした部屋であるが、その部屋のつくりや内装はどこか安っぽくて垢抜けない感じが残る。部屋の住人である女性はさびしがりやなのか、この部屋は彼女の友人たちの溜まり場のようになっていて、男女を問わずしょっちゅう人の出入りがある。彼女は、訪問する友人にいつも細やかな気配りを見せるよい人であり、部屋に人の出入りがあることに満足しているのだろうが、この溜まり場の賑わいにはどこか空疎な雰囲気も漂っている。
このアパートの一室を舞台に、いくつかのエピソードが再現される。エピソードの時間軸は基本的に時系列だが、一つ、二つのエピソードは過去にさかのぼっていたように僕は思った。
友人関係の間にある、恋愛関係を含む微妙な感情のやりとりのバリエーションが、各エピソードで展開する。

よくできた戯曲だと思った。特に各人物の性格付けがしっかりとなされているところに感心した。これはせりふなしで作り始めるやり方がもたらした成果かもしれない。各役者がリアリティあるせりふを探す過程で、しっかりとした人物像を自分で作り上げることができたのではないだろうか。
お話もよくできている。各エピソードは15分ほどの長さだったと思うが、それぞれ独立した良質の短編小説のような味わいがあった。全体の構成も考えられていて、一冊の連作短編小説のような趣がある。

しかしどこか物足りない。その方法論はともかく、提示される表現スタイルやアイディアはやはりポツドールの二番煎じなように思えてしまうのだ。登場人物の偏差値をポツドールより10ぐらいあげて作ってみた、という感じである。物語の作り方もそつがない。うますぎる。昨年見たポツドールの『恋の渦』が、性的表現の執拗さはあったものの、実質的には黒いウェルメイドプレイと呼ぶことができるものであったように、今回見たjorroの『Mirror』もそうしたウェルメイドプレイの雰囲気がある。しかもその味わいはポツドールよりはるかにマイルドで、深夜枠のドラマなどでも放映されても違和感がないほどだ。個人的には小劇場系演劇には、前衛的な志向を期待したいので、jorroがこの世界にとどまるのであれば関心を失ってしまうだろう。あと、1,2作、このユニットの作品を見て、その可能性を見極めたい。

女優が三人出ていたのだけれども、いずれもかわいらしかった。