閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

狂気という隣人:精神科医の現場報告

狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)

狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)


評価:☆☆☆☆★

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日本最大の精神病院、都立松沢病院での勤務経験を持つ精神科医による現代日本の精神科医療の現状のレポート。
精神病の問題を扱うルポルタージュとしては、その記述の姿勢の誠実な客観性(現在の精神科医療の限界やシステムの問題についての言及)、そして問題をとらえるパースペクティブの的確さから言って、出色の部類だと思う。
精神病に関するルポルタージュについてはこれまでかなりの数を読んでいるほうだと思うのだけど、この著作を読んで初めて知ったこともいくつかあった。日本の医療システム全般についての崩壊が昨今話題になっているけれども、精神病医療の領域については末期的・絶望的な状況にあることがこの本を読むとよく見えてくる。この著作で紹介されている事例は、著者がかつて松沢病院という東京の精神病医療の最後の砦のような場で勤務していたこともあって、症例としてかなり重度のものが多い。しかしこれらの重症例は決してまれで例外的なものとはいえないことに戦慄を覚える。
統合失調症(かつて精神分裂病)の発症は、民族、地域を問わず100名に1名の割合だという。これはかなりの高率であるといえる。しかし潜在的な「統合失調症」の患者は総人口の10-20パーセント近くいると考えられている。私の身近な人間、いや私自身が統合失調症となる可能性は決して低くはない。統合失調症だけでなく、鬱病、薬物中毒、アルコール性痴呆、あるいは老人性痴呆など、われわれ自身が重度の精神障害に陥り、人格解体、自己破壊へと進む確率は、もしかすると癌が発病する割合よりも高いかもしれない。精神病はわれわれの想像以上に日常のごく身近にある。しかしその実態については「人権的」配慮などによりほとんど報道されていない。

夜間の救急外来の安易な利用についての批判的な報道が近年目に付くが、夜間救急外来診察所を紹介する都の医療情報システム、「ひまわり」への問い合わせの約半数は精神科救急の問い合わせなのだそうだ。夜間に急に発作が起こり、困った家族が「収容先」を求め電話するのだ。精神科救急外来の受診は、「ひまわり」の許可が必要になっている。しかし現実には、精神科救急外来を利用するには、警察官が患者を保護して受診を申請したケースでしか原則的に受診できない。「ひまわり」は精神科救急にとっては、受診先の紹介ではなく、診療拒否のフィルターとしてもっぱら機能していると著者は書く。
恐るべき行政の横暴であるように思われるが、現実的に受け入れる病院が圧倒的に不足しているのだからどうしようもないのだ。もしかすると一般外来医療も将来的にはこうした行政システムによる受診不可の分別が行われるようになるかもしれないが、精神科医療ではそれが現実なのだ。

精神病者、統合失調症患者および殺人嗜癖を持つサイコパスの犯罪の問題についても、医師の立場から事例が紹介されている。著者が勤務していた松沢病院の入院患者には、精神病ゆえの殺人を犯した患者が珍しくなかったのだ。こうした殺人事件は精神病院内部でも起こる。しかし彼らは異常であるがゆえにその責任を問われることはない。多くは何年かの措置入院ののち、再び社会に放りだされ、そしてかなりの割合で再犯を行う。
全犯罪者における精神病患者の比率はきわめて低いと言われるが、殺人、放火といった凶悪犯罪については精神病患者の犯行の割合が、「正常」な人間より桁違いに高いことはよくしられている。この著作では、「無罪」の凶悪犯罪者の病院での日常の観察が、淡々とした筆致で、客観的に記されている。

「保安」的な観点からの犯罪的精神病患者の措置についての考察、近代以降の精神病院の歴史の概説、精神科医の立場から見た夢野久作ドグラ・マグラ』の評価(絶賛されていた!)、Mによる幼女連続誘拐殺人事件の精神鑑定についてのコメント、など多面的なトピックで、精神病のリアリティが提示されいている。