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古びたみすぼらしい民家を利用した外来精神病院「こらーる岡山」に通院する患者の姿と語り、この病院で医療活動を行うスタッフの日常をごろりと映し出すドキュメンタリー作品。
生きることへの倦怠感と疲労感が画面から漂ってくる。この絶望的な倦怠感と疲労感は患者だけが発する空気ではない。患者たちの苦しい状況を穏やかに、優しく受け止める病院やケアのスタッフにもどこか疲労、やりきれなさが感じられるのだ。映画全体が梅雨空のように重苦しい湿り気を帯びている。
生きることに絶望し、生へのエネルギーがマイナスとなっている人々の苦痛の大きさは想像に余りあるが、職業とはいえ、そうした強大な負のエネルギーを受け止め続ける医師の精神の強靭さに僕は感嘆する。「こらーる岡山」の山本昌知医師がとつとつと誠実に患者の苦しみに向き合っていく姿に心打たれた。
正常/異常というわれわれが陥りがちな二分法がナンセンスであることもこの映画を見て改めて気づかされたことだ。あらゆる人間は他人から見るとどこか異常な部分を持っている。狂気と呼びうるものをを持っている。要は各人が抱えている「異常」が、それぞれの属する社会と折り合いをつけることができるかどうかが問題なのだ。「異常」が重度化して社会生活と折り合いを付ける事が難しくなれば治療が必要となるだろうし、さらに進行すれば社会生活を送ること自体が困難になる。ときには「治らない」こともあるだろう。「異常」の症状と具合もまたさまざまだ。私にとっては非常に困る種類の「異常」もあれば、そう気にならない「異常」、面白い個性として受け入れることのできる「異常」もある。
精神の病気のみならず、健康/不健康の二分法もやはりナンセンスなところがあるように思う。何かしら不健康な部分を持っていない人はおそらく存在しない。そして個々がかかえる不健康となんとか折り合いをつけながらそれぞれは日常生活を送っているのだ。ときに折り合いをつけることが難しくなるのであるが。逆説的な言い方をすると、われわれの大多数はどこか不調を抱えていることが常態なのだ、と考えつつ生きていくほうが健康的であるように僕は思う。