閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

吉例顔見世大歌舞伎 昼の部

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/11/post_32-ProgramAndCast.html

  • 通し狂言 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
  • 玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)吉田屋
    • 藤屋伊左衛門 藤十郎
    • 扇屋夕霧 魁春
    • 吉田屋喜左衛門 我當
    • 評価:☆☆☆
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八月の納涼歌舞伎以来、三ヶ月ぶりの歌舞伎座、昼の部を見る。
鶴屋南北の『盟三五大切』が見たかったのだ。期待を裏切らない面白さだった。敵討ちのための資金となる百両の金の移動とともに、無慈悲で凄惨な殺しが次々と繰り広げられる。彼らは結局、主従の誓いという武士の世界の美学に翻弄され、犬死していく運命にある。

狡猾な色仕掛けで源五兵衛を罠にはめるしたたかな悪女、小万も、情夫である三五郎への愛の繰り人形に過ぎない。そして三五郎が百両を騙し取ったのは父への孝行のため。その父に百両が必要なのは、主君への忠義ゆえである。そしてその主君とは、小万と三五郎がだました源五兵衛。源五兵衛は源五兵衛でその百両は、切腹させられた主君の仇を討つための資金である。世間のしがらみと愛欲、金が、皮肉な因果の輪のなかをめぐり、最後は死屍累々となる。武士である源五兵衛はその死体の山を踏みつけ、敵討ちに出かける。

三角関係をなす源五兵衛が仁左衛門、小万が時蔵、三五郎が菊五郎。この三者のバランスがとてもいい。他の役者もみな適材適所という感じで、リズムのある緊密なアンサンブルの芝居を楽しむことができた。殺戮の場面の直前の緊張感がとてもいい。「うっ、きたっ!いくぞっ」と心の中で声が出て、腹に力が入る感じ。

藤十郎の『廓文章』は、ふにゃふにゃとふぬけた脱力的ストーリー。ストーリーじゃなくて、舞踊や、呆けたやり取りの遊びを楽しむ演目なのだろうけど。あの極端に弛緩した雰囲気は歌舞伎ならではという感じもする。親に勘当され、遊び人のぼんぼんの伊左衛門がなじみの遊女、夕霧に会いに遊郭にやってくる。紙衣のみすぼらしい姿。ところが夕霧は他のひいきの客の相手をしていて、なかなか伊左衛門のもとにやってこない。さんざん待たされたあと、ようやく夕霧がやってくる。伊左衛門は彼女の不実をなじる。痴話げんかのあと、和解。そこに伊左衛門の勘当がとかれという知らせと、夕霧の身請けのための千両箱が届いて大団円。めでたしめでたし。